三十七話 海底の様子を見てみよう
「いかがですか、爆進さん。こんがり小麦色ですか?」
オリヴィアは、手押し車に青い心臓を乗せて、浜辺をのんびり歩いていた。
オリヴィアの優しい声音に、心臓は嬉しそうに血管を振って答える。
「うふふ、よかったですわね。サーノが優しくしてやれとおっしゃっていましたから、特別ですよ」
ニコニコと語りかけるオリヴィア。
そのまま歩き続け、桟橋に差し掛かる。
「さて、次は海底探検ですわ」
桟橋には、巨大な潜水艦が停泊していた。
赤いボディに、金色のパーツ。
「サーノ達は遅いので、きっとわたくしに内緒で楽しいことをしてらっしゃるのでしょう。迎えに行かなくてはなりませんわね」
青い心臓はぶるっと震えた。
「お仕事の時間ですわ、爆進さん」
「いい牢屋じゃん」
「よくないですよぉ……ぐすん、前科一犯のメイドなんて前代未聞ですぅ」
小さな牢屋で、サーノとペペはぷかぷか浮いていた。
海中の牢獄だけあって、牢屋も海水で満たされていた。
幸い、水中でも呼吸ができるマスクのおかげで、呼吸は不自由していなかった。
「見ろよ、ベッドが天井に逆さまに備え付けられてるぜ。ははは、浮力で寝ろってことか」
「こんな水吸ったベッドで寝られませんよぉ!」
「生活様式の違う海中亜人では、そこまで頭が回らなかったってことだろうさ」
「うう、ひどい……キレイな身体が自慢だったのに、犯罪者なんてぇ……」
ペペはぐすぐす泣いていた。涙はすぐ海中に溶けた。
「だが、やるなぁマーメイドの連中も。ペペの逃げ足は、触手とかでがっちり捕まえたら発揮されないってことか。イソギンチャク、なかなかの強敵だぜ」
サーノは現状を振り返る。
周囲に特に魔法を抑制するような仕掛けはない。
海中は砂漠と同じく、狂気で満ちた空間であり、魔法は海中亜人も含めて使用不可能なのだ。
加えて、海中亜人達には、海中に特化した技術力がある。脱獄されても鎮圧できる自信があるのだろう。
「……マーメイド?」
「ペペも捕まった、下半身魚の亜人だよ。牢屋の前にいるのは……」
サーノは、牢屋を見張っているマーマンを親指で示す。
「マーマン。マーメイドとは近縁」
「ふむ。つまりメイドなんですね」
「いや、残念ながらメイドではない」
「メイドじゃあないのにメイドを名乗ってるんですか!?」
「メイドじゃあねぇっつってんだろ」
「メイドに対する誇りはないんですか!」
「本人達に聞けよ……」
ぷんすか怒るペペを捨て置き、サーノは思考に戻った。
「さて、なんでこんなすっからかんの牢屋にぶち込まれたのか……」
「罪状を確認したいか?」
見張りのマーマンが、無表情に話しかけてくる。
「魚の顔は表情が読めねーなぁ……。宝石盗もうとしたって言いたいんだろ?」
「いかにも、窃盗未遂だ。よって、一時間後に死刑!」
「い、一時間ン!? なんでそんなスピード執行なんだ!」
「海中では一瞬の迷いが命を奪う! 判断の遅れが、同朋の命を奪うのだ!」
「落とし物拾おうとしただけで死刑って、酷過ぎないですか!?」
流石にペペも抗議に加わった。
「馬鹿者! 海中では我々が正義! 従えぬなら死刑!」
「横暴な刺身め!」
「我らが守り神、リヴァイアサン四世へのささやかなエサとなることで、貴様らの罪は浄化される!」
「やってられるか! ペペ、こうしちゃいらんねぇ! なんか脱出の作戦考えるぞ!」
「はい! メイドを騙る不届き者に裁きを下すんですね!」
「ノリノリだな……まあいいか!」
ふたりは水を吸った羽毛布団に潜り込み、作戦会議をはじめた。
「それで、どうするんですか!?」
「大前提を確認するぜ。まず、長い間潜ってるわけにはいかない」
「なんでですか? 息はできますよ」
「皮膚から狂気入りの水分が吸収されるんだよ。ダークエルフはどうにか分解できるけど、ペペは人間だからそんなことできない」
「……ど、どのくらい潜ってたらヤバイんですか?」
「さあ……個人差あるからなぁ。でも一時間持たないと思うよ」
「一時間経つと?」
「泣いたり笑ったり以外は何もできなくなる」
「やだあぁぁぁあぁ!!」
「いてっ、こら暴れんな! 狭いベッドなんだから落ち着け!」
「やだやだやだ!! 死にたくない死にたくないーっ!!」
「罪人二名! 騒ぐなら刑が重くなるぞ!」
「死刑をどう重くしようってんだ! どうどうどう、いい子だから落ち着け~なぁ~」
口を挟んできたマーマンを無視し、サーノはとりあえずペペをなだめることにした。
魔王軍幹部・ダークエルフのベルラは、海底の魔王軍アジトを訪ねていた。
「ベルラ殿! よくぞ参られた!」
出迎えのマーメイドに武器を預け、特殊なマスクを装着し、海底を泳ぐ。
「遠路遥々、ご苦労。魔王山で新時代を始める手筈は?」
「順調よ。今は誰を依り代にするか、議論を重ねているところね」
「儀式の日は近い、か。海の平和を脅かす人間共め、今に見ているが良い」
「それで、あの……」
途中で、ベルラは立ち止まり、言葉を濁した。
「どうされた、同志ベルラ?」
「えっと……ここの、陸地部分の、現在の所有者なのだけれど」
「陸地? 所有者? それは魔王軍のことだろう?」
「い、いえ、そう、では……あるのだけど……」
ベルラは困っていた。
海中亜人の開発した武器を受け取りに来たはいいが、まさかビーチがスティンバーグ社爵の土地だとは思わなかったのだ。
(以前は気にしなかったのだけれど、よく見たら、デミスン様の仇の領地……! サキュバスの生き残りの証言で北に向かうとは言ってたけれども、今サーノはどの辺りにいるのかしら。絶対に会いたくないわ……)
孤鋼石の刀をぐっと握り締め、悔しみを紛らわす。
「……り、陸に、女達はいなかった?」
「女?」
「ええ。それと、子供のようなダークエルフ」
「生憎、陸は我らの管轄ではない。だが、もし見かけたら、ベルラ殿に伝えよう」
「ええ、お願い」
「それで、ここが武器を収めている倉庫の……」
耳をつんざく轟音。
ベルラ達の会話に、何らかの駆動音が割って入ってきた。
「!?」
「こ、この音は!?」
ベルラとマーメイドは上を見上げた。
潜水艦の腹が見えた。
逆光で陰にはなっているが、間違いない。
ベルラには赤い艦底を見間違えようがなかった。
「スティンバーグ社爵の潜水艦だわ!」
「ふむ、しかしどこへ向かっているのだろうな」
「な、なんでのん気なの、そんなに。領域を侵してるじゃない」
「不用意に我らの住処に近づくなら、無論しかるべき痛みを与える。が、そうでないなら……」
「そうでないなら?」
「藪蛇は避けたい」
「そ、それもそうよね……」
ベルラは少し冷静さを取り戻した。
「そもそも、あれにサーノが乗っているとも限らないわ。うん」
ベルラはオリヴィアと直接会ったことはない。生き残ったサキュバスの報告も、錯乱しているだけだと思っていた。
(心を読んだら死んだとか、言い訳になってないのよ)
危険度ではダークエルフとどっこいどっこいな極悪令嬢が、オーパーツじみた潜水艦を動かしているとは、とても想像できなかった。
「面舵いっぱい」
オリヴィアはにこやかに指示を告げた。
「面舵ってなんなのかよくわからないんですが、なんとなく響きが面白いですわね。ついつい言ってしまいたくなりますわ。ふふ、面舵もういっぱ~い、なんて」
汽車と同じ、上品な内装の潜水艦。
オリヴィアは紅茶をひとりで淹れると、窓から水中を眺めた。
「サーノやペペにも見せたいものですわね」
潜水艦は群れなす魚群と並走していた。
「健気に泳ぐ魚を肴に、紅茶を一杯、取舵もいっぱい。夢一杯、お金も一杯」
オリヴィアは優雅な所作で、紅茶をすする。
「……うーん……長旅で団体行動に慣れてしまったのでしょうか。独り言に返事がないと、寂しいですわね」
潜水艦を動かす心臓に視線を動かす。
早鐘のような鼓動。血管を巧みに動かし、潜水艦を操っている。
「……口くらいは付けてもよかったかもしれませんわ」
紅茶のカップを片付け、正面のモニターにリモコンを向けた。
「本当、不思議な機械ですこと。お父様はどこで、こんな複雑な仕組みを思いついたのでしょうか」
リモコンを操作すると、モニターに3Dの図面のようなものが映し出された。
海底を大雑把にマッピングしたものだ。
図面の片隅に、小さな赤い光がふたつ。
サーノとペペの位置を示す光だ。
「……ふたりで身を寄せ合って、何をしているのでしょう」
オリヴィアが剣呑な目でモニターを見つめてすぐ、変化が起きた。
ふたつの赤い光が急に離れたのだ。
「あ、これは突き飛ばされたのでしょうか。サーノ、まさかペペに乱暴を?」
オリヴィアがリモコンをさらに操作すると、天井から注射器が降ってきた。
注射器は青い心臓へ、綺麗に直立して刺さった。
「爆進さん、こうしてはいられませんわ。さあ、キリキリ走ってくださいまし」




