三十五話 釣りをしよう
オリヴィアの赤い汽車は、海沿いをトロトロと進行していた。
「ふああ……わむ」
スカイブルーに髪を染めたサーノは、欠伸をしながら、汽車の屋根で釣り糸を垂らしていた。
極めて鈍足運転なのは、オリヴィアの都合だ。
『サキュバスの死体から大量の燃料が採れました』
『ふーん』
『ですが、大暴れした爆進さんは、しばらくおやつ抜き一日二食です』
『あ、うん、まあいいけど、もうちょっと優しくしてやって?』
で、途中で小さな駅に立ち寄り、サキュバス三本柱による落盤や途中に魔法廃棄物があることなどを報告。
今は赤い海に沿って、北への旅行を続けていた。
「サーノ様ぁ~。そんなことしてて飽きないんですか?」
ペペがサーノの練り餌で遊びながら、退屈そうに話しかけてくる。
海に出てしばらくは大興奮だったペペだが、今は代り映えしない景色に飽きてしまったようだ。
「飽きないね。感じろよ、潮風」
「メイドは潮風なんて求めてないです」
「あ、そう」
またしばしの沈黙。
「……」
「……」
「うがー! サーノ様ートランプしましょ!! 何も賭けなくていいので!」
「やだ。今晩飯との静かなバトル中なの。姫さんと遊んでこいよ」
「オリヴィア様は繕い物中です」
「え、姫さんが? 針仕事?」
思わずサーノは顔を上げた。
なぜかオリヴィアも、屋根上に上って何やら縫物をしていた。
「……え、なんで屋根に?」
「感じていましたの。潮風を」
「窓開けてやればいいじゃん」
「室内ではインスピレーションが湧きませんわ」
「なんの?」
「うふふ、竿が引いてましてよ」
「うぉ!」
慌てて竿を握るサーノだったが、引っ張り上げると長靴が引っ掛かっていた。
「……」
「ドンマイですわね」
「ほらーお夕飯なんて釣れませんよぉ」
「く、くそう。不法投棄反対」
サーノはエサを付け、再度竿を振った。
「……んー」
ペペは暇を持て余し、撒き餌を適当にばらまきはじめた。
「あっ、こら! なんてことしやがる」
「これは楽しいですね。枯れ木に花を~、なんて」
「やめろやめろ!」
「オリヴィア様、釣り竿って一本しかないんですか?」
「予備が何本か、貨物車両にあったはずですわ」
「よーし、サーノ様! 私と釣りで勝負です!」
「あー、うん。大人しくしてくれるならそれでいいや」
ペペはトテトテと走り去っていった。
梯子をガンガンと数段飛ばしで降りた音が聞こえた。
「おおい! ……行っちまったか。姫さん、危ない真似すんなって言っといてくれよ」
「うふふ、まるでペペのお母さんですわね」
「うるせいやい。危なっかしくて見てらんねーだけだよ」
しばらく無言で糸を垂らすサーノ。
オリヴィアは鼻歌まじりに針を動かす。
「……なんの歌?」
「音楽の都シノレナの、MINCという女性グループの歌ですわ」
「超絶きゃぴきゃぴアイドルソングじゃねぇか!? 姫さんもそういうの好きなんだなぁ。クラシックとかそういうのしか聞かないかと」
「サーノは、歌はお好きですか?」
「音楽に関しては舌馬鹿だから、なんとも言えねー。何聞いても『良い』って言うタイプ」
「ふふ、サーノらしいですわね」
「ただいまでーす!」
ペペが両手いっぱいに釣り竿を抱いて帰ってきた。
「一本でいいだろ? 張り切り過ぎだぜ」
「どれが本物かわからなかったので」
「偽物とかねーから」
「野球のバットだって、木製・鉄製・ノック用などなどあるんですよ! 釣り竿も練習用とかあるかもしれないじゃないですか」
「さいで。まー好きなの選びなよ。海と対話しようぜ」
「へへん、負けませんよー」
「勝ち負けじゃあないんだよ、ペペくん」
十分後。
「ぐぬうう! なんで、なんで釣れねぇんだ!?」
「やっぱり、サーノ様って勝負事に弱いですね」
「ペペが異常なの! くそう、まだだ!」
結局熱くなるサーノであった。
「よし、できましたわ」
「できたって、何が? 服?」
「水着です」
「え、水着?」
「海で泳げるんですか!?」
「ええ、次の街には海水浴場があります」
「やったー! サーノ様、海ですって海!」
「ああ、うん……この真っ赤な海でも泳げる精神力がうらやましいよ」
「あら、ペペの竿が引いてますわ」
オリヴィアの指摘通り、ペペのピンクの釣り竿が大きくしなっていた。
「おおう、これは大物ですね!」
「こいつはデカイな! 三人がかりで引っ張るぜ!」
「わたくしもですか?」
三人は釣り竿を握ると、全体重で引っ張る。
「ぬぬぬぬ……こ、これは……ちょっと重すぎですわ」
「ぐぐぐぐ……ペペ、腰を使え腰を!」
「うううう……オリヴィア様、お尻が大きくて屋根が狭いです! 少し小さくしてください!」
「むむむむ……ここぞとばかりに何をおっしゃってくれているのですか? あとで覚えてらっしゃいな」
女の子三人の全力とはいえ、それなりの力で引っ張っているはずなのだが、一向に引き挙げられる気配がない。
むしろ、気を抜けば揃って落下しかねない。
「ええい、姫さんスピード上げろ! 燃料ドカドカ入れちまえ! 汽車の馬力で引っ張り上げるんだ!」
「そうですわね、そうしましょう」
「釣り竿に固定魔法と強化魔法を使う! ペペ、絶対放すな!」
「死んでも放しませんよー!」
オリヴィアが走り去ってすぐに、汽車の速度が上がりだした。
しかし、獲物のパワーは想像以上だった。
「こいつ、並走する気か!?」
「き、汽車と力比べですか!? どんな化け物が釣れるんでしょうか!」
「きっとクジラだな!」
レールがカーブに差し掛かった。
「勝負を決めるぜ! クジラを痺れさせる!」
「あ、待ってください! 今手を放します!」
パッとペペが身を引いた瞬間、釣り糸を魔力の電流が伝う。
一瞬引きが弱まった。
「今だああああああ!!」
サーノは渾身の力で、獲物を引き上げた。
屋根にドサリと重いものが落ちた音。
「よっし! どんなもんよ、ペペ……」
振り返ったサーノの目の前を、鋭い刃が薙いだ。
「ひえ?」
「貴様! 俺を魚扱いしやがって!」
そこにいたのは、魚の顔、ぬめった鱗の肌、無数のヒレ。
海中に生きる亜人、マーマンである。
「三枚に下ろしてくれる!」
「おおおっ!?」
マーマンの怒りのこもったパンチを、サーノは慌てて釣り竿で防いだ。
竿はあっさり折れた。
「な、なんてこった! 悪い、悪かった、クジラだと思ったんだ!」
「クジラだと!? あんなデカイだけの!? 我ら魔王軍を侮っているな!」
「しかもテロリスト!? ペペの奴、当たりの引きがふざけてやがる!」
再び斬りかかってきたマーマンから逃げながら、サーノは周囲を見回した。
「ペペは!? よし、逃げたな!」
「余所見をするなぁ!」
マーマンの得意とする魔法は、液体の操作。
高圧で圧縮された海水が、マーマンの口から放たれた。
「効くかっ!」
サーノは防御魔法を展開し、別の釣り竿を拾う。
「何本も持ってきてくれて助かった!」
「貴様ぁぁぁ! この期に及んで、まだ俺を魚だと!!」
「うるせぇ! なんでそんな喧嘩腰かなぁ!!」
サーノは釣り竿を振った。
針が空中を泳ぐ。
「魔法で針操作か、甘い!」
マーマンは腕のヒレで、釣り糸を切断した。
針が明後日の方向に飛んでいく。
「ちいっ!」
「母なる海の力!」
マーマンは高圧水流を再び撃とうと、口を開いた。
「喰らえーっ!」
「何言ってるか……」
サーノは、先のなくなった釣り竿を振り上げた。
「わかんねぇよっ!」
次の瞬間、マーマンの口が勢いよく閉じられた。
「むぐっ!?」
「ペペめ、散らかしやがって!」
釣り糸がマーマンの口をぐるぐると縛り、開かなくしていた。
斬られた針は、マーマンの背後にも散乱していた別の釣り竿の針に引っ掛かっていた。
そのままわずかな魔力で別の竿を引っ張り、マーマンの口に巻き付いたのだ。
当然、小さな針に込められる魔力などわずかなもので、マーマンほどの亜人であれば引きちぎることはたやすい。
しかし高圧水流を発射する直前に口が閉じられたのだ。
「行き場のなくなった水圧で弾けろっ!」
「ぶぐぐーっ!!」
マーマンの口が粉砕され、水しぶきが散った。
「あ、あふ、はっ」
「海に帰れっ!」
痛みでのたうち回るマーマンを、サーノはサッカーボールキックで海に蹴り返した。
どぼん、と水しぶき。
「い、いきなり襲い掛かってくる奴があるか、あいつめっ!」
「サーノ、どうしたのですか?」
様子を見に帰ってきたオリヴィアが、ずぶ濡れのサーノを見て声をかけた。
「肌が透けて淫らですわね」
「なんっ……み、見るなよ」
「ふふ、サーノも恥じらうのですね」
「魔王軍だ、ついさっき、魔王軍を釣り上げたんだ」
「あらあら。照れ隠しには少々、真実味が足りませんわね」
「まあ信じないよな」
サーノはオリヴィアのスカートで髪を拭いた。
すぐにオリヴィアのチョップが落ちた。
「いってぇ!」
「な、な、何をなさいますの!? い、いくらサーノでもやっていいことと悪いことがありますわ!」
「ちょうどいい高さだったもんで、つい……ごめんなさい……」




