三十一話 暴走しよう
「……んっ……?」
「どうした、ペペ?」
「なんだか怖いような……怖くないような」
ペペは不安そうにオリヴィアの服の袖をぎゅっと握った。
「んん……あれ……そういえば、なんで私たち、旅行してるんでしたっけ」
「急になんですの? それは別荘に……」
「待て、姫さん。ペペお前、今何考えてる?」
「えっと、お夕飯のメニューとか……えっと、あれ? なんで急に理由なんて聞いたんですかね。単なる旅行ですよね?」
「そうですわ。きっと死体を見て、混乱しているのでしょう」
「いや……これがペペで助かったな。ペペは素直で正直者だから」
サーノは周囲を見回しながら、オリヴィアとペペの前に立った。
「サキュバスの読心だ。思ったことが口に出るタイプのペペには、問答する方式の読心は悪手だったようだな」
「……えっと、それ褒めてるんですよね?」
「なわけあるか、ちったぁ口を慎めって言ってんだ。姫さんの客に粗相しやしないかとヒヤヒヤしてるんだぜ」
「心配性というか、過保護というか……」
「そういう一言だよ。ええい、今はそれはどうでもいいんだ」
「敵ですか?」
オリヴィアはさりげなく、ペペの手を強く握った。
「て、敵!? なんで!?」
「……そういや、道すがら結構な魔王軍の構成員ぶっ飛ばしてきたな……」
「復讐でしょうか……心当たりはありますが、何故今になって狙いを絞られるのやら」
「ペペの心を覗いたのは、どうやら姫さんの旅行の目的を聞きたかったらしい。でも、なんで姫さんがここにいるってわかったんだろうな」
「そもそも、立ちふさがった魔王軍は全員再起不能のハズですわ。わたくしたちのことを知る機会があったでしょうか」
「……考えるのはあとにしようぜ。ペペ、ひとつ重要なことを覚えておいてほしい」
「な、なんですかサーノ様」
「姫さんから絶対手を放すな。汽車に乗り遅れたら置いていく」
「え、でも……」
「大丈夫だ、オリヴィアの護衛を信じろよ」
「それはもう、当然信じてますけど……走るんですか?」
「ペペ、今わたくし達は極めて危険な状態なのです」
オリヴィアが口を挟む。
「こちらは敵の数も掴めないのに、向こうからは一方的にペペの心を読んできたのです。わたくしもサーノも、次の瞬間どうなっているかわかりません」
「サキュバスの精神汚染で最悪廃人だ。ペペ、お前もその危険がある」
「え!? 廃人の!? やだ、なんですかそれ。怖いですよぉ……」
「サキュバスってのはそういうことができる亜人なんだよ。だからペペ、絶対姫さんから離れんな。近くにいれば、なんぼか守れる」
「なんぼか!? 完璧にはできないんですか!?」
「心を読む、なんてのをどうパーフェクトに防げってんだ。そもそも、戦闘になるといつもなら一瞬で消えるじゃねーかお前」
「それは、メイドは戦わないですもん」
「そうだな、それで別にいいんだが……どうもサキュバスの手口みたいなのには、お前の『怖いセンサー』働かないみたいだし。こうしてここにいるってことはさ」
「あ、なるほど。私が怖いって思う間もなく殺されるってことですね!」
「あ、うん、そういうことかな……なんでそんな、えらく『わかりました先生! えっへん』みたいな顔してんだ。自分の命の話だぞ」
「わかりましたサーノ様。私、死にたくないので、絶対にオリヴィア様のおそばを離れません」
「情けねぇ主従宣言だな……あと姫さん、いざとなったらペペ抱えて走れ。そろそろ通報された訓練場の兵士たちも、駆けつける頃だろうよ」
「肉壁ですわね」
「税金食って地獄の訓練してる見上げた奴らを、そんな使い捨てみたいに言うなよ……」
「だって、サーノのほうがずっと強いですもの。人間が何人助けに来たところで、安心なんてできませんわ」
「いやいやいや、キチンとしたノウハウを叩き込まれて、生活も管理されてキリキリ育てられてる奴らだぞ。五感封じられて手枷足枷装着した状態で、三時間正座した直後に百人くらいで一斉に襲われたら、さすがに敵わん」
「それを凌げる人は亜人とかそれ以前にもっと、こう、狂っているかと」
「ちゃんと足しになる戦力してるって話。だから、なんかあっても信じて走ってくれ」
「わかりました。それをサーノが望むなら、約束いたしましょう」
「聞き分けがよろしい。そんじゃ、走れ!」
三人は駆け出した。
≪気づかれたわね……やはり手練れ≫
サーノにサキュバス達の存在を気づかれた。
≪気づかれたわね♡じゃあないのよ! 焦って雑な読心したんじゃあないでしょうね!?≫
≪口を滑らすようなうっかりメイドを、わざわざ連れてくるなんて全然思わなかったわ! ふざけんじゃないわよ≫
≪落ち着いてふたりとも、まずはペペを洗脳して人質よ。とにかく離脱≫
≪……よく考えたら、スティンバーグ社爵令嬢の精神性が異常なら、人質も何も効果がないのでは……?≫
≪じゃあどうするっての≫
≪こうしよう≫
会話に割り込んできたのは、オリヴィアの汽車に潜入して待機していたサキュバス。
≪トベラ、いい案が?≫
≪この汽車で逃げよう。英雄サーノと言えど、汽車のスピードには追い付けまい≫
≪動かし方、わかる?≫
≪駅には運転手くらいいくらでもいるだろう。心を読むさ≫
≪そんなことしたら、今後は本格的に警戒されるんじゃあ……≫
≪現時点で、十分引き際は見誤っているだろう。ニフスが失敗したところで逃げるのが最良だった≫
≪そんなことできるわけ……!≫
≪そうだな、我々にはできない。我慢が効かない。扱い辛いから、こんなどうでもいい任務を任される≫
≪どうでもいい!?≫
≪魔王軍の中でも、私たちは諜報のエキスパートなのよ!?≫
≪能力だけは、な。だが、冷静で手綱を握れるニフスが死んだ途端、ボロボロと失態を重ね、このザマだ≫
≪くっ……≫
≪ニフスだったら、我々を無意味に死なせたいかを、頭を冷やして考えてくれ≫
≪……わ、わかったわ。駅で合流しましょう≫
「……さて、運転席に、何やら気配を感じる」
念話を切ったトベラは、すでに最前車両の扉の前で、聞き耳を立てていた。
いざとなれば汽車にいる仲間だけでも逃がすつもりだったようだ。
「生物……だが死んだように意識がない……無意識だけがある」
「猫とかじゃあないの?」
背後の仲間が、面倒くさそうに言った。
「何にせよ、直接眼を合わせたらそれで解決じゃないの」
「妙なんだ。言葉も何もない、狂気だけの気配……まるで魔物だ」
「……どういうこと?」
「わからん。だが、汽車を動かすにはここに入らなければ……」
「……トベラ、やっぱりあなた慎重過ぎるわ。仮に魔物だとして、貨物車両ならともかく運転席にいる理由は?」
「わからん。大人しい理由も」
「わからないなら、考えるより行動じゃない? わたしがこっそり中を覗くわ」
「注意深くだぞ、ハーシェイ」
「おっけ」
トベラの仲間・ハーシェイは、扉を小さく開け、中を覗き込んだ。
「……誰もいない……ていうか、床に何か……木の根っこ……?」
「……! 離れろ!」
ハーシェイの見たものが何か、トベラにわかったわけではない。
だが、生来の慎重さゆえに、咄嗟にハーシェイの腕を引っ張った。
「きゃっ! な、何よ急に。気づかれたらどうするの」
「す、すまない」
「もう……、……ん?」
ハーシェイは立ち上がろうとしたが、足首に違和感を覚え、足元を見た。
「……!?」
「ひっ!?」
ふたりは息を呑んだ。
ハーシェイの足には、ぐるぐると青い血管が巻き付いていたのだ。
「い……ったい!? 何!? 何よコレ! 何か刺さった!?」
ずぐん、と、無数の注射針に刺された感触。
「え、どういう事……ま、魔力が、吸われ……」
「ハーシェイッ!」
トベラは剣を抜き放った。
「しゃああっ!」
血管を音速で斬り刻むが、いくら斬っても、扉の隙間から次々と新しい血管が湧いてくる。
討ち漏らした血管触手は、ハーシェイの身体に突き刺さっていく。
「ああ、がっ……は、あ……」
魔力以外も吸われているのだろう、ハーシェイの脚は既に老人のように萎れて、サキュバスの軽い体重も支えられなくなっていた。
折れるようにして、ハーシェイは床に倒れる。
「た、たすけ……助けてトベラ」
「くっ、あっ、ぬ、くぉぉ!」
善戦虚しく、トベラも背後から忍び寄っていた血管に突き刺されてしまった。
「がふっ……う……!」
「トベラ……トベラーッ!」
既に自分を守ることで精いっぱいのトベラの目の前で、ハーシェイは床を引きずられ、扉の向こうへ消えていった。
「ハーシェーイッ!!」
トベラは叫ぶ。
その声は、汽笛にかき消された。
汽車はゆっくりと、煙を吐いた。
出発進行を告げる音が、駅に響いた。
「ん? おい、誰だ燃料入れたの」
休憩していた作業員達が異変に気付いた。
「俺じゃないよ。運転席は危険だって、お嬢様が散々言ってただろ」
「待て、何で動いてる? 誰が動かしている!?」
「侵入者か!? お嬢様に連絡を!」
「止めるのが先だ馬鹿! 止まれ! おい!」
がやがやと慌ただしく動き出した作業員達だったが、汽車は急には止まれない。
「? 動き出したわね。ハーシェイが要領を掴んだのかしら」
客車で待機していたサキュバス達は、振動に気づいて外を見た。
「ねえ、街中で動いてた子達、戻ってきてなくない?」
「え、ホント? じゃあなんで動かしてるのよハーシェイ」
「ちょっと、誰か止めて来なさいよ」
「えー、しんどいめんどい」
「しゃーない、私が行くわ」
ああでもないこうでもないと、姦しくしゃべるサキュバス達。
ひとりが運転席に向かう。
しかしそのひとりも、いつまで経っても帰ってこなかった。
「……ねえ、これ不味くない?」
ここに至って、ようやく念話が入ってきた。
≪汽笛が聞こえた! なんでもう出発してる!? まだ私たちは乗っていない!≫
「ウソォ!? すぐ止めるわ!」
「なんで動かしたのよハーシェイったら!」
わらわらと運転席へ向かうサキュバス一行。
それからというもの、汽車からの連絡は途絶えた。