三十話 サキュバスに狙われよう
コルコ断崖東駅。
「あれが……ベルラ殿を追い詰めたという、手練れのダークエルフね」
魔王軍のサキュバス・ニフスは、サーノとオリヴィアを監視していた。
ダークエルフの少女と妙齢の女性というふたり組は、人影の多い断崖東駅でもそこそこ目立っていた。
「あれがスティンバーグ社爵令嬢……で、手前を歩くちっこいメイドの情報は無し……」
ニフスは人混みに紛れ、三人を尾行する。
「それでっ、オリヴィア様! あとは何を買うんですかっ?」
「ほんっとテンション高ぇなペペ」
張り切って荷物を持つペペを、サーノが呆れ気味に見つめる。
「ていうか、よく考えたらまともに買い出しするの、三人でははじめてだよな」
「いつものペペは、居残った車内で清掃をしているんですのよ」
「今回はいいのか。砂漠の砂とか入ってねぇの?」
「サーノ様が入院している間に、車内を徹底的にお掃除しましたから。カーテンも絨毯も変えたんですよ」
「マジか。気づかなかった」
雑談しつつ、三人は買い物を続ける。
その後を歩くニフスは、テレパシーで仲間と連絡を取った。
≪シュンシー、小さいメイドの名前はペペ。戦闘要員には見えないけど、一応メモ≫
≪おっけー、お姉さま。いざとなったら人質ね≫
サキュバスの能力は精神感応。他人の精神を覗き見ることを得意としている。
「野性的な欲望」という分野において、彼女達は特に秀でた種族とされている。洗脳じみた精神操作すら可能としているのが、サキュバスの特徴だ。
ニフスや隠れている仲間たちも例に漏れず、サキュバスの能力を見込まれての偵察を目的としていた。
つまり、今回戦闘は想定されておらず、シュンシーの発言は気が早いものである。
≪ダメよ、シュンシー。まだ見つかってもいないもの、私たち≫
≪でもお姉さま、サーノってとんでもない実力なんでしょ? 気づかれていないうちにどうにかしちゃったほうがよくない?≫
≪ベルラが遭遇した街から見て、魔王山を更に離れているのよ。もしかしたら、計画の邪魔にはならないかも≫
≪危ない橋は渡らず、放置も視野?≫
≪そういうこと。先走らないのよ、シュンシー≫
≪はーい≫
念話しつつも、ニフスはオリヴィア達の監視を続けている。
「にしても、姫さんも物好きだよなぁ。砂漠に続いて、断崖絶壁だぜ。スリルがお好きで?」
「ペペが良い悲鳴をあげそうではありませんか?」
「酷いです。紅茶にサラダ油入れますよ」
オリヴィア達の目的地は、コルコ断崖の向こうにあるらしい。
一方で、目的地次第では、わざわざ特に険しいこのルートを選ぶ理由もない。
コルコ断崖は、切り立った岩山の中腹外周に無理やり路線を通したものだ。
安全を考えたら、麓の平坦な道を遠回りする路線を選んだ方が良い。
≪つまり、何か急ぎの目的なのかしら≫
≪腕利きの護衛がいることからも、その可能性はある≫
≪ニフス! 汽車に潜入したわよ≫
別行動していた仲間からの連絡が入った。
≪特に苦も無く、あっさり入れたわ。整備士たち、腕はともかく警戒心はゼロね≫
≪何か目的を知る手がかりを探して≫
≪わかったわ。十分後に≫
念話する亜人の存在も知らず、オリヴィア達の雑談は続く。
「コルコ断崖では落石にご注意を。上から降ることもありますし、足場が落ちることもあります」
「引き返そう。うん、そうすべきだ」
「サーノなら汽車くらい支えられますわよね?」
「めちゃくちゃ疲れるからやりたくない」
≪……いや、もしかして……この道を通ることに、そこまで深い考えはないのかも……≫
会話の様子に、ニフスは思わず「本当にただの旅行なのでは?」と思いはじめた。
≪単純に、スティンバーグ社爵令嬢が世間知らずで無鉄砲なだけなのかもしれないわ……≫
≪一度、中を覗いてみたら?≫
別のサキュバスが提案する。
中を覗く、とは、サキュバスの読心能力のことだ。
≪もう? せっかちね、トンピーユ。覗きにサーノが気づかないと思う?≫
サキュバス方式の読心は、相手の精神をかき乱して得たい情報を探る必要がある。
そのため、熟練の魔法使いには「あ、今心読まれてるな」というのが、感覚でハッキリわかってしまう。
しかも相手の精神に上がり込んでの家探し同然なので、地の利は「踏み入られた側」にある。
サーノレベルの魔法使いが相手だと、取り込まれる可能性は非情に高いのだ。
≪気づかれたら、気づかれたで、よ。出方を探れるわ≫
≪ようするに、ちょっかいかけたいだけ? 焦れてる?≫
≪……そうかも。じゃあ、人間ふたりを≫
≪どちらからにする?≫
サキュバス達は話し合いをはじめ、すぐに方針を定めた。
≪令嬢からにしましょう。メイドよりも情報は確かなハズよ≫
≪何らかの対精神魔法の訓練を受けているかも≫
≪メイドだってその危険は同じ。だったら、より確実なほうを選びましょう≫
念話を終えて、ニフスは集中する。
心を読むには、異物であってはならない。
心を読む対象に、精神状態を近づける。
「……オリヴィア、貴女の悲鳴を聞かせて頂戴」
ニフスはオリヴィアの精神にダイブした。
次の瞬間、ニフスの精神はオリヴィアの 縺ゅ∪繧翫↓繧ょクク霆後r騾ク縺励※谿玖剞 な精神に触れて、跡形もなく弾け飛んだ。
がやがやと、商店街の一角が騒がしくなった。
悲鳴が聞こえる。
「お、姫さん悲鳴だぜ。見に行かねぇの?」
「サーノ、この岩石芋バターというもの、なかなか美味しいですわ。ひと口いかが?」
「あーん……あっつ!! 熱い! でも美味い!」
「喧嘩でしょうか? なんか、治安の悪いところみたいですねー」
ペペが人だかりを気にしながら、荷物をまとめる。
「いえ、治安はむしろいいのですよ、ペペ。王領護警団のコルコ訓練場が、山中にありますもの。常に王都の目が光っているようなものです」
「へー。じゃあ、この喧噪は?」
「……なんか様子がおかしいな? 喧嘩してるような音もしないし……ちょっと見てくる」
サーノは不審に思って、人混みに向かう。
小さい身体のおかげで、それほど苦労せず潜り込めた。
「通してくれ、通して……、っ!?」
中心まで来て、サーノは絶句した。
両目と両耳と鼻、そして口から血を垂れ流すサキュバスの死体が、無造作に転がっていた。
「お姉さま!? お姉さま! 返事をして!」
「シュンシー、落ち着け!」
シュンシーは取り乱し、路地裏から人混みに駆け寄ろうとした。
それを仲間のサキュバス達がおさえる。
≪一体何があった!?≫
≪わからない、ニフスが突然死んだ! スティンバーグ社爵令嬢は凄まじい精神防御を持っているようだ、撤退しよう!≫
≪ニフスちゃんを殺されて、黙って帰るつもり!?≫
≪復讐は戦闘に長けた魔王軍の仲間が必ず成し遂げてくれる!≫
≪奴らの目的もわからないのに、魔王軍が動くわけないでしょう!?≫
サキュバス達は動揺して念話で言い争う。
≪待て、スティンバーグ社爵令嬢の様子がおかしい!≫
サキュバスのひとりが気づき、呼びかけた。
「ねえ、サーノ。何がありました?」
「亜人が死んでた。サキュバスだな、尻尾がそうだった。訓練場か何かを探りに来たのかね」
「亜人が!? 死んでたんですか!? ひ、ひええ」
「魔王軍かしら……厄介事に巻き込まれる前に出発しましょうか。またゲレプテンのときのようになるのも困りますし。それにしても、何故死んでいらっしゃったのでしょう?」
「わかんねぇ……顔面の穴全部から血が出てた」
「……それは……どういう死因なのでしょうか」
「顔面殴られてたわけでもなかったし……持病か何かかなぁ」
「そんな病気、聞いたこともありませんわ」
困惑するオリヴィアの表情に、嘘は見られなかった。
≪……自分が殺したことに気が付いてない?≫
≪ニフスを一瞬で消せるような精神よ、演技くらいできるでしょう≫
≪護衛相手に演技する必要はないですよね……≫
≪……≫
≪……す、スティンバーグ社爵令嬢の精神に侵入するのはやめよう。何が起こるのか全くわからない≫
≪人間相手に、屈辱だわ……!≫
シュンシーは、仲間の制止を振り切った。
≪あっ、待ってシュンシー!≫
≪お姉さまの仇ーっ!≫
シュンシーがオリヴィアの魂に触れる。
五秒もせずに、シュンシーの両目両耳鼻及び口から鮮血の滝が流れ、ぴくりとも動かなくなった。
≪……駄目だ! これは駄目だ……スティンバーグ社爵令嬢の心には絶対に触れないで! 覗くと死ぬわよ!!≫
≪りょ、了解!≫
≪くそぅ、ならばせめてサーノかメイドの心をっ!≫
≪待て!≫
サキュバスは仲間意識が強い。
「どうにかして一矢報いたい」という気持ちが先走りがちなように、感情的な部分が多い亜人なのだ。
≪っぐぅ!?≫
≪大丈夫、スクゥグ!?≫
≪だ、大丈夫……サーノの精神、魔力中毒でとても読めたものではないわ! 砂嵐だらけで、解読するだけでもダメージ受けそう……!≫
≪魔力中毒による狂気の霧か……≫
≪にもかかわらずピンピンして、元気に動いているとは。なんて化け物だ≫
≪さすがは英雄サーノ……規格外ね≫
≪……サーノが規格外なら、スティンバーグ社爵令嬢は……?≫
≪あれはもう忘れましょう、サキュバス程度でどうにかできそうにないもの≫
≪なんでダークエルフより人間のほうが反撃力あるのよ……納得いかないわ……≫
サキュバス達は、結局ペペの精神を覗くことにしたのだった。