三話 運転室を見てみよう
「サーノ、そろそろ次の駅に着きますわ」
オリヴィアがサーノを呼んだ。
カーペットの長い毛を倒して絵を描いて遊んでいたサーノは、今さっきまで熱中していた猫の絵を踏み消した。
通路をとことこ歩くと、オリヴィアの乳房をカーテンのように押し上げて、通路から身を乗り出し窓を覗き込む。
「自然にセクハラしましたわね」
「なんだ、木しかねぇぞ」
サーノは窓の外、真っ赤な空の下の遠くに見える鬱蒼とした森を見て答えた。
「サーノ、支度をなさって」
「支度? カーペットロードの?」
「買い出しをしますから、荷物持ちです」
「力仕事か。護衛がてら、つきあってやるよ」
その時、突然汽車が停まった。
「っと、なんだ?」
「トラブルでしょうか? 先頭の様子を見てきます」
すたすたと歩いていくオリヴィアの背中に、
「それ護衛の仕事じゃねーの? おーい姫さーん」
サーノは声をかけたが、オリヴィアは振り返るなく前の車両へ行ってしまった。
「……クソジジイの血はアクティブだねぇ」
肩をすくめて、サーノも後を追う。
先頭車両にて。
「どうしましたの、爆進さん」
薄青く発光する心臓のようなものが、車掌の席を占領していた。血管のように根が張り巡らされ、運転室に寄生したような情景になっている。
オリヴィアは青い心臓を爆進さんと呼び、宥めるようにさすった。
「何が怖いのですか……? 声を……」
と思えば、おもむろに太い注射器をぶっ刺した。
驚いたように一瞬心臓が震える。
「抵抗しないで爆進さん、そう落ち着いて……何が怖かったんですか?」
声音は優しいが手つきは事務的だ。目盛り5つ分の真っ青な液体を吸い取ると、試験管に流し込んだ。
そのまま懐から取り出した小瓶の黄色い液体と混ぜ合わせる。
すぐにボコボコ泡立ちながら真っ黒な煙が発生した。
「……ああ、そうですか、それは怖かったでしょうね」
オリヴィアは窓を開けて煙を逃がす。
「でもあなたはもっと怖いのですよ」
そして聖女のように微笑みながら、ピンク色の液体の詰まった注射器を刺した。
「何を怖がるのですか? その程度、轢き潰しておしまいなさい」
オリヴィアは注射器の中身をぐっと注ぐ。
痛みに泣くようにぶるぶると振動する心臓を横目に、炭水車に積まれた紫色の塊を金色のスコップですくい、火室に投げ入れた。
嫌がるように心臓の根がびっしり絡みついていくハンドブレーキを、無造作に解除すると、
「では、お任せしますわ」
優しく心臓をひと撫でして、運転室を去ろうとした。
「お任ししますわ♡ じゃねぇだろ」
「あら、サーノ」
ダークエルフが扉の前に立っていた。
「退いてくださりません? 炭水車の通路は一人通るのがやっとですのよ」
「燃料貯めるとこに無理やり道開けてるのが間違いだろうが。そうじゃなくてよぉ」
サーノは可哀想なものを見る目で爆進さんを見つめた。
「昼夜問わず不眠不休で頑張ってるんだぜ? ちったぁ加減してやれよ」
「ふふ、サーノは優しいですわね」
「優しいっていうか……こんなびっしり触手みてーなの生やしてるやつ、怒らせたくないっていうか」
サーノにすがりつくように、心臓の根がずるずる伸びていく。
そのうち一本を、オリヴィアはダンッ! と音がするほど強く踏みつけた。
「ロマンチストですわね。森の民だから?」
「ダークエルフは洞窟生まれだよ」
「この爆進さんは、汽車を動かす以外のことは何もできませんわ」
ぐりぐりとブーツで踏まれて、心臓の根がぐにぐにのたうった。
「この痛がりな素振りには何の感情もこもってません。安心してこき使ってよいのです」
「本当かなぁ」
「疑いますの? わたくしが造り、わたくしが調整したのですから、心配無用ですわ」
うねうね迫ってきた心臓の根をぴしゃりと叩き落とし、オリヴィアは運転室を去った。
ようやくブーツから解放された心臓の根はぐったりと横たわる。
「……ま、あんま気に病むなって。姫さんあの調子だろいっつも」
半端な慰めを口にするだけの無責任なサーノ。窓の景色が、じりじり後ろに動き出す。
汽車はゆっくり、再び動き始めた。
リザードマンの軍勢は線路上を悠々と進んでいた。
その数50匹程度。
「……隊長、やっぱ森の中進みません?」
隊列の中ほどの一匹が、先頭に向かって言った。
「馬鹿言え。森の中をお行儀よく歩いてたら、豚共に先越されちまう」
線路の両脇は密林になっていて、大きな身体のリザードマン達がはやく進むのは難しいだろう。
「それもそうだがなァ、隊長? やっぱいつ列車が来るか怯えながら進むのは……」
「デカイ図体の鉄の塊だろ、あんなの。俺達の方が速い、来たら避ければいい」
隊長は隊列に振り向いた。
「それともなんだ? 命が惜しいのかてめぇら」
「い、いや、そんなことない」
「あ、ああ! 列車が何だ! 俺達は『疾風怒涛ドラゴンウォリアーズ』だ!」
「そうだ! 男も女も食い尽くせ!」
口々に鬨の声を上げる部下たちに、隊長は満足げに頷いた。
「……っ! 避けろッ!」
盛り上がる部下たちの背後で、煙を吐きながら迫ってくる汽車を視認した隊長は、そう叫ぶと右の森に身を投げ出した。
ざんっ、と、鋭い感覚が膝下から駆け上がった。
「っぐわあああ!?」
横の運動エネルギーがプラスされてきりもみ回転する隊長は、そのままの勢いで木にぶつかった。
「あ、脚が、俺の脚が」
めまいで定まらない視界で、自分の膝から下が無くなっているのを確認する。血がどくどくと溢れて止まらない。
木々の向こうでは、今まさに赤い汽車が、部下たちを全て血煙に変えて通り過ぎたところであった。
暴風の如き鉄の塊が過ぎ去った静けさの中で、隊長はまたひとつ賢くなった。
「……せ、線路の上は……二度と歩かねぇ」
「ひえー、トカゲが焦げるニオイ」
窓を開けて後ろを眺めていたサーノは、煙が入ってきて慌てて窓を閉めた。
「モンスターを直接燃料にするとか、どういう仕組みなんだ?」
「爆進さんが、血管で直接、火室に投げ込んでいるんです」
紅茶を片手に、オリヴィアが答える。
「あの血管を伸ばして?」
「あの血管を伸ばして、です」
「轢き飛ばした奴、全員?」
「二、三匹程度はこぼしているかもしれませんが、そこは改良していきます」
オリヴィアはおぞましい原理を冷静に語る。
「怖いな……先頭車両には近づかないでおこう」
「それが良いでしょう。ダークエルフも燃料になりますから」
「なんつーもんに乗せてんだてめぇ!!」
血相を変えて詰め寄るサーノを、オリヴィアは涼しい顔で受け流す。
「先日のオークの魔力を炭化させたので、魔力炭の貯蔵は十分です。しばらくはご安心を」
「安心できるか……!」
「それに、護衛を火にくべるような状況になる前に、旅行は中止にします。そこまでの非常事態にはならないと思いますけど」
「マジに頼むぜ姫さん。焼死は勘弁だからな」
「ええ、理解しています。サーノの頼みとあれば、出来るだけ聞き届けましょう」
オリヴィアが柔和にほほ笑みながら、サーノの頭を撫でてくる。
「ふふ、この頭の形……やはり落ち着きますわね」
「撫でてもいいけど、代わりにボーナス出せよな」
サーノは面倒くさそうに唸りながら受け入れていた。