二十九話 散髪しよう
サンドワームの息が、突風となって砂漠を薙いだ。
「それ行け、爆進さん」
魔物も砂嵐も線路を隠す砂礫もまとめて吹き飛んでいった。
平和な砂漠を、真っ赤な汽車は悠々と走る。
「最初っからこれが出来なかったのかね……」
サーノは客車から、平穏な砂漠の地平を不服そうに眺める。
もっとも、不服なのは労力の話ばかりではない。
「行きはよいよい帰りもよよいのよい、ですわ」
サーノの頭にあごを乗せたオリヴィアが返答する。
「……」
サーノの顔は雄弁に『重い』と語っていた。
怒るオリヴィアは面倒くさいからと「何が不満なのか教えてくれよ、何でもするから」なんて言ってしまったのはサーノ本人だ。
結果として、オリヴィアの膝の上に乗せられ、なすがままにされていた。
「え、えっと……本来、こういった『お掃除』は、定期的に行われるものなんです」
ザミーラが健気に解説を加えた。
「今回のご令嬢の横断は、定期の『お掃除』の周期とは合わなかったので……」
「わたくしがせっかち?」
「い、いえ、ご令嬢の頼みとあらば、このくらいは」
「そうかしこまらずとも。腎臓風呂で背中を流した仲ではありませんか」
「きょ、恐縮です……」
ザミーラは委縮しているが、オリヴィアの『人間にもかかわらず、自分より重くて大きかった身体の特定部分』について、腎臓風呂では若干嫉妬していた。
「砂漠を抜けたら、ザミーラ様ともお別れなんですね。なんだか寂しいです」
紅茶を人数分テーブルに出しながら、ペペは名残惜しそうにザミーラを見つめた。
「人間の生では今生の別れにもなりかねないでしょうが、私は少なくとも、ペペさんのことは忘れませんよ」
「本当ですか? 私も忘れません。毎晩のお祈りのとき、神様の代わりに祈りますね」
「現人神みたいな扱いをされても、重たいと言いますか……」
「エルフの皆さんは、私からすれば神様みたいなものですよ」
「おおっと。サーノはわたくしのものですからね」
オリヴィアは口を挟んで牽制してきた。サーノの胴体を抱きしめながら。
「痛でで、姫さん痛い。病み上がりには激痛」
「サーノ様は、どちらかというと近所のおばあちゃんなので、どうぞオリヴィア様だけで独り占めしてください」
「そもそも姫さんの所有物じゃねぇから。借金作ったわけでも奴隷でもねぇから」
砂漠はB.G.Fが要所にキャンプを張っており、包囲網の拠点は複数ある。
その中でも限られた数か所が、サンドワーム胎内鉄道にアクセスできる線路へと続いている。
特に厳重に守られている路線ポイントには、B.G.Fでも選りすぐり・腕利きの精鋭が集められている。
「達者でな!」
「お元気で」
「お身体に気をつけて!」
「さよーならー!」
森と化しているキャンプでザミーラを降ろし、赤い汽車は再び、真っ赤な曇天の下の緑の大地へと踏み出した。
「フォレストエルフの嬢ちゃん、元の拠点には戻らねぇのか?」
サーノは久しぶりの草原を眺めながら、頭上のオリヴィアに聞いた。
「同じB.G.F内での配置転換は、けっこう自由らしいです。なので、しばらくは新天地でお世話になるそうですわ」
「ふーん」
「というより、砂漠のあっちとこっちで、元の拠点が正反対の位置なので、気軽に戻ることが難しい……というのが実情なのでしょうけれども」
「そいつは悪いことしたかな。助けないわけにもいかなかったろうけど」
「魔王軍の影響で、サンドワーム胎内鉄道の利用者は減りつつありますから。胎内の駅で元のキャンプに戻る列車を待つよりも、戦力として早期に戻れる場所へ戻るべき、という判断なのでしょう」
「そっかそっか。まあ当人の考えなら、それが一番だよな」
サーノはそれきりザミーラのことは気にせず、別のことを考える。
「髪、変えてぇな……」
「またですか? 確かに、サンドワーム胎内鉄道駅では髪染めはできませんでしたけれど」
「けっこう長くこの色だから、なんか落ち着かねぇ」
黄色の強いオレンジ髪を弄るサーノ。
「そういえば、少し髪が伸びてきましたわね」
「ん、確かに。長いと取っ組み合いで邪魔だし目に入るし、いっそバッサリ短くしちまうか」
「それでしたら、サーノ。わたくしが切りましょうか?」
「首を? 腹を? この世の愛と正義を?」
「髪をですわ。話の流れを見失わないでくださいまし」
「え、姫さんに散髪させるの? やだやだ怖い。絶対目の前ではさみシャキシャキさせて『うっかり目玉に刺さったらゴメンあそばせオホホホ』とか言い出すじゃん」
「……」
「マジにやる気だったなコイツ」
「切らせてくださるなら、サーノの無礼は許して差し上げますわよ」
「それでいいのか……重いのか軽いのかわかんねぇ怒りっぷりだぜ」
「わたくしも大人ですもの、サーノにも事情があったことぐらい想像できますわ。これで上げた拳を降ろさせてくださいまし」
「ま、別にいいか……変な髪型にすんじゃねーぞ」
「はーい♪」
サーノを座席に降ろし、鼻歌混じりに研究車へ消えるオリヴィア。
「……んんん? よく考えると、姫さんが一方的に怒って姫さんが一方的に静まっただけじゃねーか、これ? どう思うペペ」
紅茶のセットを片付けるペペに疑問をぶつけてみたが、
「きゃー、サーノ様のふわふわな髪を弄れるだなんて! 私も準備しなきゃ、新聞紙引いたりしなきゃ。バリカンどこにしまったかなぁ」
「おいこら、ペペは関係ねぇだろうが」
こちらもうきうきとどこかへ行ってしまった。
「……まあいいか。適当に防御魔法でも使って寝てれば」
「ツインテール。やはりツインテールですわ」
サーノは髪を左右で結ばれていた。
もともと癖っ毛なので、波打つ房は短くてもボリューミーに広がっている。
「ヘアアレンジは頼んでねぇよ……」
サーノはてるてる坊主のようにシートを被った状態で、オリヴィアとペペに髪型で遊ばれていた。
「いいから切ってくんね?」
「オリヴィア様、サーノ様は強いんですからモヒカンとかいいと思います」
「ふむ。サーノ、モヒカンブーメランに興味などありませんか?」
「テスター仕事は義手だけの契約だよな」
「オリヴィア様。サーノ様は背丈が低く威圧感が足りません。柱みたいな髪型にしましょう」
「ほう。サーノ、ミサイル内臓柱髪など」
「やらねぇっつってんだろ」
「リーゼント式ラム」
「リーゼント内臓回転ノコギリ」
「リーゼントロケットパンチ」
「なんでふたり揃って、こんな可愛くて小さい幼女を全身戦闘兵器に改造しようとすんの?」
「サーノ様が強いと私も嬉しいですから!」
「逆に聞きます。戦闘の楽な短髪ばかりというのも、芸がないのでは? ならば坊主でも良いではありませんか」
「そこまで極端に振られると、言い返せなくて困るな……。傭兵だってオシャレくらいしたいし、娯楽と実用の折衷だろ」
「でしたら、義手も何か柄など入れましょうか?」
「いいね、今度からスカイブルーとビビッドピンクのストライプにしてくれ」
「……え、本気ですの? 冗談のつもりでしたのに」
「……冷静に考えたら、ナシかな……うん、肌色でいいや」
「真面目な提案だったのですね……」
「背中痒いから、はよ髪切れ」
「わかりました。ペペ、メス」
「はいどーぞ」
「待て」
「はい、サーノ。なんでしょうか?」
「髪切るだけだからな。散髪して終わり」
「ふふ。心配ですとも、脳の切開などいたしませんわ」
「誰も言ってねぇよそんな懸念」
改めて、サーノの散髪がはじまった。
「……あら? ちょっとこちらが短いかしら」
「そのセリフ、聞いたの十四回目なんだけど」
そういう合間合間に、ポニテだのオールバックだのと遊んだりして、なかなか進まなかったりした。
「ふふふ、サーノったら。くすぐったいですか? あっ、切り過ぎましたわ」
「もう二度と姫さんに髪切らせねぇからな!」
「もうちょっと左を切ってバランスとりましょうか」
「やだぁ! お願いストップ! 街に着くまで我慢するからもう終了! ハサミを置いてくれぇ!」
一時間後。
「お、おおお……ふ、ふ、普通だ」
さっぱりと短くなった「だけ」で、何もおかしくない散髪結果だった。
サーノは自分の頭を鏡で見るなり安心して、その場にへたり込んでしまった。
「流石に護衛を妙な髪型にはしませんわ。スティンバーグの名が傷つきますもの」
「あ、うん。心臓に悪いからやっぱ二度と頼まないけど、一応ありがとう……」
「ふふ、耳元で不必要にハサミを開閉させたりするのは楽しかったですわね」
「ほんっと、今回ばかりはふざけんなよこいつ!!」
「きゃー痛い、痛いですわサーノ。実力行使は真剣に痛いので痛だだだだっごめんなさいごめんなさい」
サーノはオリヴィアのこめかみを拳でぐりぐりした。