二十三話 喧嘩をしよう
「ふんぬ!」
キリミの筋肉に魔力が集まって強化された。
「体内の魔力はジャミングされにくい! 砂漠での魔法の基本は応急治療と一時強化だと考えな!」
「それが許されるなら十分だぜ!」
サーノの魔力は眼球に集中し、観察力が強化された。
「どおおおるあああああっ!!」
キリミの剛腕が唸った。
「……!」
サーノの動きは最小限だった。
姿勢を低くして拳をくぐる。
人差し指と中指で腕の毛を一本挟むと同時に、身体を捻らせた。
「うぬぉおお!?」
大きくバランスを崩されたキリミは、そのまま地面に倒れ込んだ。
起き上がるよりはやく、サーノの右足が胸に振り下ろされた。
「転んだのか? まだ立てるだろ」
「……、な、お前っ!」
キリミはそこでようやく、サーノが目をつむっていることに気づいた。
サーノの顔は緩く上を向いており、キリミには向けられていない。瞳は閉じられていて、何も見ていない。
「な、舐めているのか!」
「ダークエルフだから、視界の悪い洞窟暮らしが長くてよォ。視力よりも、聴力と肌の感覚でものを見るほうが本気なんだ」
「……そうなんですか、ザミーラさん?」
酒を片手にあぐらをかいてすっかり観戦モードのターニャは、隣のエルフに質問を投げた。
「え、ええ、そういう身体のつくりをしているとは聞いたことがあります」
腕を組んで祈るように闘いを見つめるエルフ・ザミーラは、歯切れ悪く肯定する。
「ですが、もう洞窟エルフの方々は洞窟の外で暮らして長い。そのような身体的特徴は、薄れてきているはずなんですが……」
「じゃあ、サーノさんは洞窟で暮らしていた頃から生きているんじゃあないでしょうか」
「そんな、あり得ません。そこまで長生きしているなら、しわくちゃのおばあちゃんですよ。不老のエルフと言えども」
ギャラリーののんきな反応に対し、勝負の当事者ふたり。
「換毛の時期だったら危なかったぜ。キリミだっけ、あんたの筋肉が強すぎて、毛をがっちり掴んでたから、最小の力で投げられたんだ」
「……く、くくく……はははは! 小手先で戦えるほど、砂漠は甘くないよ!」
「そいつは結構!」
サーノはサッカーボールのようにキリミを蹴り飛ばした。
「ぐがあぁ!?」
「それなら、次は真っ向からの力比べと行こうか。砂漠のやり方をもっと教えてくれよ!」
「……本気を出すしかなさそうだねェ!」
心から楽しそうに、キリミは満面の笑みを浮かべる。
その笑顔は殺意に満ちていた。
「どあああっ!」
猛牛のように力強い加速。
重くエネルギッシュな筋肉が、暴力的にきしみながら、サーノ目掛けて一直線に向かってくる。
「いいねェ、若いの! そういう無鉄砲なの嫌いじゃないぜ!」
サーノは目をつぶったまま、右足をゆらりと振り上げた。
「……!」
「ザミーラ、あの動きはなんですか?」
ターニャはつまみをかじりながら解説を求めた。
「すっかりくつろいでますね……えっと、洞窟エルフの方々の脚は、硬い岩や縦横に広がる洞穴の地形に鍛えられているんです。急流や冠水を立ちっぱなしでしのぐこともありますし、毒草の群生地帯を走り抜けることもありますから、見た目以上に強靭です」
「へぇ、過酷なんですね」
過酷さの欠片もないのんびりっぷりで、干し肉を噛むターニャ。
「っだらぁぁ!」
「ちぇぇぇいっ!」
サーノの右足とキリミの左腕が激突し、つむじ風が巻き起こった。
余波で設置の甘かったテントがいくつか吹き飛び、B.G.Fメンバーの数人が対応に追われる。
「ふぬぉぉおおおおっ!!」
「しぇぇぇあああっ!!」
両腕で怒涛のラッシュをしかけるキリミと、片足で受け流すサーノ。
両者の攻防は、既に常人の眼では追えない領域に達していた。
「互角ですね。メンバー随一の力自慢なキリミさんを、ああも簡単に」
ターニャの所見を、ザミーラは否定した。
「いえ、キリミさんが優勢です」
「え?」
ザミーラの言葉を受けて、ターニャは目を凝らした。
嵐のような応酬は、ターニャの動体視力では捉えきれない。
「……? やっぱりどっちも同じくらいの強さでは?」
「サーノさんは先程から防御しかしていません。キリミさんが腕二本で攻め立てるのを、脚一本で逸らすのがせいいっぱいなようです」
「ザミーラさんは眼が良いですね」
「あっ!」
ザミーラが大きな声を出すと同時に、サーノの右足がキリミに掴まれた。
「ちっ、しまった!」
「獲ったァ!」
キリミはサーノの軽い身体を、クワを振り下ろすように地面に叩きつけた。
「がっ!」
「死ぬんじゃあないよっ!」
大きく∞の字を描くように振り回され、何度も地面に叩きつけられるサーノ。
「ぐぇっ! ごぁっ!」
「仕上げのォ!」
抵抗の弱まったサーノを、天高く放り投げるキリミ。
ギャラリーから歓声が上がる。
「出るぞ! キリミの必殺技だ!」
「あれから逃れられた人型の魔物はひとりとしていないわ!」
「ふんっ!」
キリミもサーノを跳び越すように高くジャンプした。
「うっ、何する気だ!?」
「ベニットス流格闘術、節極めの七十二ィ!!」
キリミは空中でサーノの両足を掴み、頭上に持ち上げる。
自由落下に任せつつ、キリミはサーノの首を首筋で抑え込んだ。
「のわあああ!?」
「裂脚の型ァァァ!!」
サーノの脚が、太い腕で大きく割り開かれた。
落下運動のエネルギーを加えた関節破壊の一撃である。
ごしゃああ! という凄まじくも形容のし難い音が、森に響いた。
「ぐええ!?」
カエルが潰れたような悲鳴。
「ご自慢の脚を潰した! 勝負ありだねェ、おばちゃん」
キリミは勝ち誇って、手を放した。
ゆらりと、サーノが地面に倒れていく。
ザミーラは無意識に言葉を漏らした。
「あっ、油断ですね」
「えっ?」
ターニャの目の前で、サーノの両足が一瞬で閉じられた。
「隙ありィ!」
「むぐっ!?」
勝利を確信していたキリミは、頭を脚で固められてもとっさに反撃できない。
「こっちも必殺! 技名無し!」
縦回転。
弧を描いて、キリミは頭から地面に叩きつけられた。
勢いがあり過ぎて、キリミの頭は半分ほど地面に埋まった。
「ごおおおああ!」
「こきり、だ!」
「ごほっ」
サーノが首を強く絞めると、抵抗しようとしていたキリミの腕は、力なく地面に落ちた。
「……ふぅ、こいつが砂漠のスタイルか。仕事が終わったら、これっきり近寄らねぇぞ」
わっと湧いて勝者を称えるギャラリーを尻目に、サーノはひりひりと痛む股関節をさすって、苦い顔をした。
「殺す気でやったんだけどねぇ」
「ふざけんなよこいつ。死んでたら一生怨んだからな?」
仲良く並んで治療を受けるサーノとキリミ。
キリミは満足そうに笑っているが、サーノは疲れた表情だ。
「なんで関節が壊れなかったんだい?」
「本気で壊す気だったなら、怖いから近寄るな」
キリミは嫌そうなサーノにも構わず、親しげに顔を寄せてくる。
「というか、実際壊れたんだよ」
腕で脚をすくってプラプラと揺らして見せるサーノ。
神経が通っているようには見えない、脚の脱力加減。
「そりゃあ、あれで壊れなかった魔物はいないからねぇ」
「姫さんに裁判起こしてもらうからな。治療費用意しとけよ草食系女子」
「じゃあ根性で動かしたってのかい?」
「魔法だよ」
サーノは悔しそうに言った。
「魔法! ザミーラも以前、肩関節を外したときに、治癒魔法で予想外の回復を見せたことがあったねぇ!」
「てめえ誰彼構わずあんな殺人行為行ってんのかよ!?」
「その、それは私から鍛錬を頼んだことなので……」
キリミの治療を行っていたザミーラが、恥ずかしそうに呟いた。
「えっ、その細腕で前衛!?」
「細腕はそちらもだと思いますけど……」
「ザミーラは斧の二刀流だからね。パワー自慢の私でもなければ、相手は務まらないんだよ」
「いやいやいや、斧っつったらそっちじゃねーの?」
「私は短剣専門さ」
「……からかわれたってことにしとくぜ」
ごほん、と咳払いをするサーノ。
「話を戻すと、つまり咄嗟に神経を走る電気信号の代わりを魔力に任せたってことだ」
「体内の魔力で無理やり動かしたのかい。理屈では、砂漠の流儀から外れちゃあいないねぇ」
機嫌良さそうに歯茎をさらしてうなづくキリミのヤギ頭はサイズも大きく、サーノに若干の威圧感を感じさせた。
「納得のいく負けっぷりだ! 認めるよ、あんたは強い!」
「はいはい、どーも」
「……あんまり嬉しくなさそうですね?」
ザミーラはテンションの低いサーノに目線を合わせ、問いかけた。
「ほんとは魔法は、最後まで使わないつもりだった。草食系女子の筋肉にはパワー負け確実だから、トドメに使うのは仕方ないだろうな、って。視力は条件合わせるためとして」
「トドメに使ったじゃあないですか」
「違うだろ、ありゃ治療でも攻撃でもない。神経の代替だぜ。精神の摩耗がヤバイ」
「ああ、確かにずいぶん疲れてるねぇ。年なのかと思ったけど」
「とにかく、これじゃあ砂漠では、土壇場で姫さんを守り切れそうにないってことがわかった」
「お、じゃあ修行だよ修行! 鍛えりゃいい! 具合のいい滝を紹介したげるよ」
「んな時間あるか、姫さんが待ちきれねぇって。手持ちの手札でどうにか砂漠を抜けるしかない」
サーノは左肩の断面を押さえながら、忌々しそうに吐き捨てた。
「それからは、二度と砂漠に来る仕事はしない。姫さんの命がいくつあっても足りねぇよ、これ……」