二十一話 メイドをしよう
「どうしてペペはメイドなんだ?」
汽車での夕食後。
山並みを窓の向こうに見ながら、サーノはふと思いついた疑問を口にした。
「おっと、わたくし以外の女の子に目を向けましたわね?」
「嫉妬深いふりすんなよ、姫さんの癖に」
「ペペには、そこまで面白い話はありませんわよ。わたくしの幼馴染で、鍛冶屋の娘で、趣味がメイドなだけの、ごく普通の女の子ですわ」
「趣味がメイドってなんだよ」
「メイドをやるのが好きってことですわね。少し実演してもらいましょうか。ペペ―! ペペはいますかー!?」
手で拡声器を作ったオリヴィアは、大声でペペを呼びつけた。
すっかり気に入ったらしいフレンチスリーブから、健康的な腋が覗く。
「……見せる相手もいないくせに、処理は万全なんだよな……」
「なにか言いましたか、サーノ」
「なんも」
サーノはそこで、空のはずの自分のカップに、いつの間にか紅茶が注がれていることに気が付いた。
「はーい、ペペでーす。ここにいまーす」
「おうわっ!?」
音もなく『最初からそこにいた』としか思えない登場の仕方をしたペペに、サーノは大きく身をのけぞらせて驚いた。
「呼びましたか、オリヴィア様?」
「呼びましたわ、ペペ。何かメイドっぽいことをして見せてくださいませんこと?」
オリヴィアの無茶ぶりに、
「お任せください、オリヴィア様」
威勢よく返事をするペペ。
そこで場の空気はしんと静まった。
「……おい」
微動だにしないオリヴィアとペペに、声をかけるサーノ。
「……あの、オリヴィア様。メイドらしさって、なんでしょうか」
「……なんでしょうね?」
ふたり揃って首をこてん、と傾げた。
「なんだと思いますか、サーノ」
「なんで振ってくるんだよ」
一応、サーノは『メイドらしさ』について考えてみた。
「えーと……メシ作って掃除?」
「それはいつもやってますわね。いつもやってることでは、新鮮味がありませんわ」
「新鮮味がなくっちゃ、メイドらしさを示すなんてできませんよ。真面目に考えてくださいサーノ様」
「おう? なんでか知らんが、今日は妙に仲良く虐めてくれるなオイ」
「えへへー。メイドは雇い主様の鏡ですから」
「姫さんの素性を喧伝するな」
サーノは面倒くさくて仕方なかったので、考えるのをやめた。
「そもそも、メイドなんて雇ったこともなったこともないし、わかんねーよ。姫さん、答え」
「サーノがそう言うなら、少し考えてみましょう。うーんうーん」
大人しく考え込むオリヴィア。
不意に身を乗り出して、手がサーノの頭に伸びてきた。
「……なんでわざわざ撫でる。姿勢に無理があり過ぎるな」
「サーノの頭を撫でてたら、何か閃かないかなぁ、と思いましたの」
「ご利益ある水晶玉じゃねーんだぞ」
頭を触っても、結局オリヴィアも何も思い浮かばなかったらしい。
「がーん」
そんなふたりの様子を見ていて、ペペは打ちひしがれた声を出した。
「わ、私が今までやってきたことって……私って空気……?」
「……けっこう働き者なところありますもの。存在が大きくって改めて浮かんでこないってことですわ」」
「確かに、いつの間にかなんでも終わらせてるというか……割に優秀?」
「えへへー」
褒められたペペはにこにこと嬉しそうに笑った。
「……単純過ぎない? 姫さん、どっかから騙して誘拐してきたとかじゃあないよな」
「さっきも言いましたように、わたくしとペペは幼馴染ですの。メイドしたーいって勝手に着いてきたんですわ」
「ふーん」
サーノは長寿なダークエルフなので、幼馴染という単語のニュアンスに対するオリヴィアとペペの年の差については、特に疑問を持たなかったのだった。
「けど、メイドが大変で素敵なお仕事だってことは知って欲しいです」
「うふふ、ペペはいつもメイドの話になると、顔が輝きますわね」
「というわけで、です」
「何が、というわけで、なんだよ」
三十分後。
客車にはいつも通りのメイド姿のペペに加えて、メイド服姿のサーノとオリヴィアがいた。
モップとバケツを持たされて、ペペの前でふたり並んでいる。
「メイド体験です! オリヴィア様もサーノ様も、私のこと、緊急時に逃げるだけのお荷物だと思っていらっしゃるかもしれませんが!」
「いえ、思っていませんよ?」
「適材適所って言葉もあるしな」
「そうなんですか? ありがとうございます。えへへー」
ペペはまたもふやけた笑いをこぼした。
「それはそれとしてです! メイドにはメイドの戦場があって、誇りを持ってそこを守っているのだということを!」
「教えてくれるってか?」
「いえ、単に語りたいだけです。覚えてくれなくてもいいです。相づちだけ欲しくって」
「ふざけんな。寝る」
サーノは仏頂面になって、座席に横になった。
「あらあら、サーノったら。ぐうたらメイドですこと」
「飽きた。姫さんだけで相手してやってくれ」
「うさぎさんなのですね」
「だからスカートって嫌なんだよ!!」
サーノは真っ赤になって飛び起きた。
湯気を立てているのは、羞恥心なのか怒りなのかと言えば、どちらもだろう。
「人間ってさぁ! ウサギや熊のを履いてると、やたらとからかってきてうっとうしいんだよなぁ!」
「好きで履いてるのですね」
「だってウサギ美味いし熊は強いし猫は可愛いじゃん! 無地は落ち着かないし!」
「今度オトナの黒をプレゼントして差し上げますわ」
「それはそれで容姿を気にして背伸びしてるみたいで嫌だ!」
「サーノって、変なとこで変な方向性の見栄張りますわよね……」
「それに、戦場でいきなりこういうファンシーなの見せられた男は、たいてい故郷の娘を思い出すんだよ。剣先が鈍ってくれて助かるんだぜ」
ぱんぱんと裾を叩いて、サーノはペペの前に再び並んだ。
「あ、歩きづらい……足出した先に布があるのって、なんか抵抗されてるみたいで気持ち悪い……」
「……そのうち、サーノは全身刺青の全裸姿で外を歩くようになりそうですわね」
オリヴィアはサーノの行く末に一抹の不安を覚えた。
「で? 語りたいなら手短に頼むわ。あいにく傭兵で手一杯なんだよ、メイドスキルなんざ身に着けてられっか」
「じゃあまずはですね!」
「何が、まずはですね、なんだよ」
三十分後。サーノは汽車の窓を雑巾で拭いていた。
その表情は心底納得のいっていない仏頂面だった。
「まあまあ、たまにはいいではありませんか、サーノ。洗車みたいで楽しいですわ」
オリヴィアは床をモップで拭いている。
「洗車って、車なんて洗ったことあるのかよ。都会の金持ちだなー」
「それに、どうです? わたくしのメイド服姿」
言われて、サーノはオリヴィアの姿を眺める。
フリルだらけのエプロンドレスやホワイトブリム。ワインレッドのロングワンピースには、主張し過ぎない程度に金の刺繍。
「……ひょっとして私物?」
「上流階級の作法や常識を学ぶのに、メイドって職業はなかなか良い体裁でして。一時期、よそのお屋敷でお世話になっていました」
「へぇ、姫さんってちゃんと他人の下で働けるようなつくりになってたんだ」
「もっともそのお屋敷は、ちょっとした不幸な事故で、わたくしが去った翌日に更地になってしまいましたが……」
「何をされた腹いせなのかを聞くべきな気はするんだけど、よく考えたら聞きたくはないしろくでもないことだって予想できるな」
「安心してくださいまし、ご家族はきっと無事ですわ」
「ペペ辺りが言ってたら心から安心できるんだけどなぁ」
サーノは短く詰めたスカートを邪魔そうに蹴り広げながら、大股を広げて掃除に励む。
シンプルな黒基調のメイド服ではあるが、普段ラフなスタイルのサーノからすれば、
「暑い、痒い、重い、邪魔」
「酷評ですわね」
「ペペー! もう辞めていいかなー!? 飽きたんだけどー!」
「別にいいですよ」
「のわおぅ!?」
またも音もなく現れたペペに、飽きずに驚くサーノ。
「このまま仕事されると、私がやるぶんのメイドがなくなってしまいますから!」
「ああうん、それじゃあ辞めるわ」
「でもなんだか軽んじられてるみたいで納得はいきません! もうちょっと頑張ってみませんか?」
「勘弁してくれよ……」
見た目だけなら、幼いメイドふたりが忙しなく動いているという微笑ましい光景。
「……わたくしのお尻を撫でてくれた手は、今頃どこで棒を押して回っているのでしょうか。手紙など出して笑ってやるのも良いかもしれませんわね」
オリヴィアは、サーノとペペの交流を眺めながら、モップを絞った。
「うふふふ、モップが悲鳴を上げているみたいですわ。癖になりそう」