十九話 宇宙のエネルギーをぶつけよう
「次はあなたね」
ダメ押しとばかりに、鉄塊を尻尾で叩いたデミスンは、フィラヒルデに向き直る。
「……くっ、強い……しかし、やらねば!」
銃剣を発砲するが、小さな銃弾は鱗にかすり傷をつけただけ。
「あなたもなかなか、私たちを苛立たせてくれたわよね。いきなりやってきて、真面目に仕事しちゃって、まあ……」
デミスンの表情は、ようやく八つ当たり先を見つけたとばかりの暗い笑顔だ。
避ける間もなく、フィラヒルデはデミスンの手に捕まってしまった。
「う、っぐ……!」
ギリギリと握り締められ、息を無理やり吐き出させられても、なお銃剣のトリガーを引き続けるフィラヒルデ。
ドリルレイピアをデミスンの指に突き刺してフルパワーで回転させるも、鱗で滑るばかりで有効打にはならない。
「あなたみたいな頑張り屋さんが多過ぎるのよね、人間。身の丈に合った程度の土地で、気ままに生きたっていいじゃないの」
デミスンは、フィラヒルデの頬を人形遊びのように小突く。
丸太を顔面に押し付けられたような心地で、フィラヒルデは肝が冷えるばかりだった。
「……わ、私も食らうつもりかな」
「あなたを? 何を思い上がってるのよ。魔力もないのに食べるわけないでしょ、工業製品まみれでマズイったらありゃしないでしょうし……」
「……!!」
デミスンはフィラヒルデの頭を指でつまんだ。
今、目の前の怪物が少し力を加えただけで、首が離れる。
その事実がフィラヒルデの心を冷やす。
「流石にこのサイズの眼球から放たれる石化の光を、受け止められはしないでしょう。……いや、意外とあなたならまたぶっ飛んだ屁理屈で切り抜けるのかもしれないわね……」
デミスンの眼球が光を帯びていく。
フィラヒルデは、最期までその瞳には屈しないとばかりに、
「……ひと思いにはやってくれるなよ? 逆転劇をご所望であれば、是非とも魅せてやりたいのでな」
不敵に笑い、握られている大きな腕に唾を吐いた。
「……やっぱり有利なうちに殺すわ、あなただけは!!」
デミスンの瞳から放たれた光線が、フィラヒルデの頭を──
頭の遥か上を飛び越えて、雲を射抜いた。
「……え?」
「ごあぁっ!?」
フィラヒルデの何が起きたかわかっていない声と、デミスンの悲鳴。
赤い雲が灰色の石となって降り注ぎ、デミスンの顔面を何度も叩く。
デミスンの顎の下には、
「黄金の右アッパー! 思い知ったか軟体動物め!」
右腕を高く振り上げた姿勢で宙に浮いたサーノの姿があった。
「サーノ!?」
「分身だよ分身! 詰所よりデカイ化け物が通りからも見えてるのに、のこのこ不用心にご入場しますか……っての!」
喉に目掛けてドロップキック。からの、喉を蹴り飛んで膝を顎に再び叩き込んだ。
浮遊の魔法があるからこそできる、無茶苦茶な空中殺法である。
「あがああっ!! ごはっ!」
たまらずのけ反るデミスン。
「うっ、く、今だ!」
フィラヒルデは力が緩んだ隙に腕を抜け出す。
不安定な手の甲でよろめくフィラヒルデにも構わず、サーノはデミスンの額に額をぶつけた。ヤンキーの喧嘩さながらの作法でぐりぐりと頭を押し付け、メンチを切る。
「リードを手放しやがったな、デカブツ!」
「くうぅぅ!」
一旦離れて、腕を振り上げるサーノ。
「あ、ま、待てサーノ、私が降りてから」
「だから近づくなっつったろ!」
フィラヒルデの制止を無視して、肘鉄を眉間に落とす。
「げはぁ!」
ほとんど爆発のような打撃音。反撃の石化光線の狙いも定まっていない。
「落っこちたら受け身ぐらい取ってみな!」
サーノは空中を猛スピードで飛び回りながら、デミスンの頭部に必殺の一撃を何発も叩き込んでいく。
重力を弄って加速し、鼻っ柱にタックル。
「んぶぐ!?」
「顔面セーフ!」
八匹の蛇頭は幻覚を見せてお互いを食わせる。
「あっ、ぎ……」
「髪の毛みたいなもんだし痛いっちゃ痛いのか、やっぱ」
耳の穴に魔力を投げ込み、強烈な爆音を起こす。
「ああぁぁぁ!!」
「耳掃除いっちょ上がり!」
鱗を一枚遠隔操作で剥がし、眼球を切り刻む。
「ぎゃあああ!!」
「……流石に見ててグロいなこいつは……」
叫んで大きく開いた口には地面の鉄塊を投げ入れた。
「っご!? ごお!?」
「それ返しとくよ! 潰してくれた礼だ!」
デミスンは必死に腕や尻尾を振り回そうともがくが、
「握手ならお断りだぜ!」
「ごふうう!?」
鉄塊の重力を一気にマイナスに変換したことで、デミスンの身体は一瞬で遥か頭上へと飛び上がった。
「いきゃん!」
フィラヒルデが地面に尻もちをついたのが見える。
地面に打ち込んでおいたバウンドの魔術はしっかり効果を発揮したようだ。
「感心感心! ちゃんと着地できたじゃねーか」
「……さ、サーノ、貴様!」
「五分くらいそこで待ってろ、あのデカイ蛇女にケリつけてくるからよ」
乱暴な戦いぶりに抗議の視線を送ってくるフィラヒルデ。
サーノはフィラヒルデの顔を見て思い出した。
「ああそう、あの兵士ふたりな。なんか人並みにしようとしてくれてありがとう、とかなんとか言ってたぜ」
「何……?」
「じゃ、また後でな!」
ビュン! と風を切って、遥か上空へ飛び去るサーノ。
空には、石化光線で開いた穴から、星空と満月が覗いていた。
雲海を飛び越え、星が瞬く暗闇の空間へ。
流星のように大気圏を越えたサーノは、飛び出た母星を背景に仁王立ちした。
眼前には、苦痛に悶える巨大なメドゥーサ。鉄塊を吐き出して、治療魔法を使いつつサーノを睨んでいる。
サーノ達にも宇宙空間に空気がないという知識は存在する。サーノもデミスンも、全身を保護魔法で包んでいた。
「てめぇの身体じゃ、あの街は窮屈だろ? だだっ広いここで仕切り直しだぜ」
サーノはデミスンを指でクイクイと挑発した。
「お、おのれ!」
デミスンはその巨体が災いして、魔力の殆どを保護魔法に費やさねばならず、焦っていた。
サーノは幼女そのものの小柄な肉付きを、ダークエルフの有り余る魔力で片手間に守れば良い。攻撃に回せる魔力量が段違いなのだ。
「サーノ、サーノォ! あなたが、あなたはっ!!」
石化光線を放つデミスン。サーノは軽々と身をかわす。
「防壁を張られようが、宇宙空間では踏ん張る足場がない! 物理攻撃も含めたコンビネーションで、ここで確実に仕留めるわ!」
頭の蛇が再生し、追い詰められたことで進化する。
八匹の蛇は、八匹のドラゴン頭になった。
「火炎で酸素を奪いなさい!」
八つの火の玉が、光線を上に飛んで避けたサーノへ迫る。
サーノは火炎を高速飛行で回避した。
「行きなさい、宇宙空間に適応したドラゴン達!」
デミスンの頭部から、ガトリングのようにドラゴンたちが発射された。
雄たけびを上げて、思い思いのブレスを吐き、サーノを追い詰めていく。
火炎、氷結、猛毒、雷。
それらを、サーノは避け、更には同士討ちを狙ってドラゴンたちの間を飛び回る。
「千匹部隊を御しただけはあるわね、でもまだまだよ!」
デミスンの頭部からは、ひっきりなしにドラゴンが生え、サーノを囲んでいく。
「はしゃいでくれるねぇ、名も知らないメドゥーサさん……よっ!」
サーノがひらりと舞いながら裏拳を打ち込むと、ドラゴンの身体は軽々と吹っ飛ばされた。
背後から噛みついてきたドラゴンのヒゲを掴むと、遠心力で投げ飛ばす。
腐食のブレスを魔力で圧縮し、ドラゴン達が固まっている方向に投げ返して解放すれば、ドラゴンの白骨が隕石となって大気圏で燃え尽きた。
「こ、この……しぶとい!」
再びデミスンの石化光線。
今度はドラゴンに当たるのも構わず、ひたすら光を垂れ流してサーノを目線で追いかけた。
実際、ドラゴンは放っておいても、デミスンの頭部から無尽蔵に飛び立っていくのだ。
石になったドラゴンを破壊しつつ、サーノはこの状況で苦笑いをした。
「やけくそかよ、そりゃ短期決戦じゃないと魔力が尽きるもんな。けどよ!」
ドラゴンの群れとデミスンの光線を翻弄しつつ、サーノは更に自分の星をどんどん離れていった。
スピードを上げて、月へぐんぐん迫っていく。
「……え、いやまさか、月を攻撃に使おうって言うの!?」
デミスンは発想がイカレたとしか思えないサーノの行動を、にわかには信じられない。
しかし頭から否定できるほど、サーノというダークエルフを楽観視できない。
「無茶でしょう!? 天体と一匹のダークエルフでは、魔力量も魔力の伝達も明らかに……」
「足りないって?」
サーノは月面に着地した。
両手から魔力を月に流す。月が、紫色の光を帯びていく。
「唐突だがレクチャーしてやるぜ。時間を操る魔法のバリエーション」
「じ、時間!?」
「いくつかパターンがあるんだぜ。ひとつは大陸や天体、大気を間接的に操作しての固定化。体感時間の停止だ」
ドラゴン達が月面へ降り立った。
「ひとつは脳みそを弄っての、幻覚の応用だな。他にもまだあるんだが、ドラゴンくんが揃ってやんちゃしそうなんで、実例をひとつ見せてやる」
サーノは紫に発光する地面に立ち上がった。
「こいつは時間を直接弄って、物体そのものの動きを利用するパターンだ!」
サーノが右手を振り上げた瞬間、足場が消えた。
「消え、えっ、いや違う!? ふ、振り回してるの!? 嘘でしょう!?」
デミスンの眼には、サーノがハンマー投げのように月を振り回しているように見えた。
紫に光る糸が、サーノの右手から紐のように月に繋がっていて、そこを軸に円の動きで回転していた。
ドラゴン達が、天体の質量に抵抗することもできずに押しつぶされていく。
「この右手を天体運動の基点にして、朝と昼を超スピードで繰り返させる! 天体そのものじゃあなく、時間って概念を弄るんなら、大した準備は必要ない! 何せ時間なんてどこにいても触ってるようなもんだからな!!」
「く、屁理屈で! 何て滅茶苦茶を……!」
「巨大化したあんたも大概じゃねーか、滅茶苦茶は!」
苦し紛れの石化光線も、元から巨大な月に防がれて全く歯が立たない。地表の数メートルを石にしたところで、遠心力で剥離するだけだ。
「来世は雇われダークエルフなんかよりも、ずっと強くなれるよう祈っといてやるぜ! この程度のちゃちな抵抗ごと捻り潰せるように!!」
月面ハンマーが、デミスンの身体を中心に捉えた。
「あばよ!」
「え、ええ、あ、あの、月が」
「どどど、どうなってるんでしょう!?」
駅に残るふたりの兵士は、久しぶりに星空を見上げていた。
月が高速で円運動をしているのを、心底不気味そうに眺めていた。
「……ふふ」
月の異常にうろたえる兵士ふたりとは対照的に、オリヴィアは柔らかに微笑んでいた。