十七話 詰所に戻ろう
ドロドロのドレス姿でも、オリヴィアの輝きは薄れていなかった。
「お手柄ですわ、サーノ。素晴らしい大立ち回り、堪能しました」
「ご機嫌なようで何より。けど、すぐ詰所に戻らにゃならんのよな」
サーノは申し訳なさそうにオリヴィアの肩を撫でた。
「心細いかもだけど、我慢できるな?」
「なんだかやけに優しいですわね?」
「そういう気分なときもあるよ。気まぐれに付き合うくらいしろよな」
「いいでしょう、最後に戻ってくるのを待つのが港の務めですわ」
「……港?」
唐突に出てきた単語に、サーノはきょとんと首を傾げた。
「女は港、と言うのを知りませんこと?」
「……どっちも女じゃねーか」
「あの……」
兵士ふたりが話しかけてきた。
「えっと、トゥウィーティとヘキテスカだっけ」
「違いますわ、ヘレミアとスシンです」
「ヘレンとスシミアです!!」
「さっきまで一緒にご飯食べてたのにひどいです!!」
ノリで間違えたオリヴィアにぷんすか怒る兵士ふたり。
「悪い、ド忘れしたみたいだ。それで、なんか用か?」
「え、えっと、私たちも詰所に戻らないといけないかな、と」
「一緒に連れて行ってください!」
「……あー」
サーノはなんとなく、フィラヒルデがふたりに荷物持ちをさせた理由がわかった気がした。
キラキラとした目で「なんでもやります!!」と押してくるのに身体は弱いとなれば、このくらいの仕事を任せるしかなかったのだろう。
ついでにフィラヒルデは、オリヴィアの汽車が武器まみれなことも調べていたのかもしれない。
「姫さんなら、街が危険なうちはこの要塞で寝泊りするだろう、ってことか。ダークエルフがいる詰所よりは安全だもんな」
「何の話ですの?」
「いや、勘違いを修正してただけだよ。姫さん、宿泊は豪華なホテルなら何でもいいと思ってたから」
「そういう適当なスタンスなのはサーノだけですわ。しっかり格式も見ます」
「そうかい。じゃ今度からそう考えとくよ、姫さんの行動原理」
「サーノさん、それでいつ出発するんですか!?」
「私たち、なんでもやりますよ!!」
兵士ふたりはやる気を重ねてアピールしてきた。
「……えっと、な」
サーノは困っていた。
正直なところ足手まといだ。巨大蛇相手に動揺しまくっていたところからもわかる。
間違いなく、殺される相手で賭けができる。メドゥーサか、ベルラか、味方の流れ弾か。
というか、おそらくフィラヒルデ以外にまともに亜人の相手をできる軍人はこの街にはいないだろう。
フィラヒルデだけが次元の違う強さで、あとは犠牲覚悟の数任せなゴリ押しでなんとか、といった練度だった。
数でかかればどうにかなる証左として、今詰所に残っている兵士たちは、指示に従ってサーノを包囲することはできた。
それ以前の問題として、ヘレンとスシミアは戦力として彼らに加わるのがそもそも難しい。
「さっき客車ぶっ壊れたとき、のこのこ出てきたのが、レベル一目瞭然って感じでな……めっちゃ大声でうろたえてたし」
「うっ」
「すみません……」
「なんで実戦部隊に配属されたんだよお前ら」
呆れた声音のサーノに、兵士ふたりはバツが悪そうに答えた。
「きゅ、給料がよかったので……」
「も、モテそうかな、って……」
「……給料に目が眩む気持ちは滅茶苦茶わかるから、そっちは許す」
「では、ヘレン様にスシミア様。スティンバーグ社爵権限で、わたくしの護衛を依頼しますわ」
どう断ろうかと考えていたサーノに、オリヴィアが助け舟を出してくれた。
「いかがでしょうか? 無論、働きは王都に報告しますわ。きっと勲章ものでしょうね」
「ほ、報告ですか?」
「す、すみませんサーノさん。私たちオリヴィア様を守ります」
オリヴィアは(残るとのちの出世に役立って得ですわよ)と、プラス評価の可能性という親切心で言ったのだが、兵士ふたりは(はたらきが悪いと偉い人に報告される!?)とマイナス評価の可能性で震えあがっていた。
「……まあ、恐怖心に正直なのはいいことだよな。うん。任せるぜ姫さん」
サーノは後を任せて立ち去ろうとした。
「……あっ、あの、サーノさん」
そこに兵士ふたりが声をかける。
「なんだよ、まだ用事あるか?」
「……フィラヒルデさんを頼みます」
「へっぽこな私たちにも、他の人たちと同じような働きができるよう、特訓をしてもらったりして……」
「今日もこうして、できる仕事を回してくれたり……」
「すごく、すごく恩があって。その、お願いします」
「ちょっと人が悪いところもありますけど、助けてあげてください」
精一杯といった言葉選びで、サーノにすがるような視線を向けるふたり。
サーノはしばらく黙っていたが、
「……身体が弱いなりに、頑張らせてはいるわけだ」
ふっ、と不敵に笑ってみせた。
「よっし、護衛肩代りの恩返しだ。こっから先は全部、任せとけ!」
サーノは詰所へ全力で走り出す。
「ちぇいやっ!」
「ぐくぅぅ!!」
フィラヒルデがレイピアを一閃させると、デミスンの頭の蛇が薙ぎ払われた。
もぞもぞと再生する頭の蛇を、
「芯に響くだろう!?」
回転するドリルレイピアでかき混ぜて、再生を遅らせる。
「ががぁぁああっ!」
デミスンは石化光線を放つが、
「見切った!!」
フィラヒルデはなんと光線を蹴り飛ばした。
「はあ!?」
「一本ッ!」
蹴り上げた足は、そのままデミスンの左眼に振り下ろされた。
「あぎゃあああぅああっ!!」
ぼたぼたと血を滴らせながら呻くデミスン。
フィラヒルデは石化を始めたブーツを踏み潰し、素足を晒した。
「ブーツの金属部分なら、一瞬だけ石化光を跳ね返せるのだよ。もっとも面積は目玉より小さいから、余さず反射するためにも蹴り飛ばすような動きをする他なかったがな」
「ぐぅうう、そ、そんな、屁理屈あぁああ!」
「デミスン様!!」
ベルラが刀を振り下ろしてきた。
「ふっ。武器も持たない貴様よりは、ベルラの方が歯ごたえがあるな!」
レイピアで受け止め、剣戟を再開させるフィラヒルデ。
「黙りなさい! デミスン様の苦労も知らないで!」
「お涙頂戴を知っては切っ先が鈍るのでな、解説はご遠慮願おう!」
「……ぐぐ、うう……!!」
治癒魔法で眼球を治療しながら、デミスンは後悔していた。
(ベルラなんて放っておいて、さっさと逃げればよかった……世話焼きな性分で損ばっかりしてる……!)
頭の蛇の再生は遅い。
一般兵たちは分離した子蛇の軍団で十分相手をできているが、フィラヒルデひとり相手に手こずってしまっているのが現状だ。
そもそも、準備を万全にして策で追い込むのがデミスンの本領なのだ。こうして最前線で行き当たりばったりに戦うのは不得手だった。
(……けど、こういう陰気な私の陰気で地味な作戦を、本心から賛同して助けてくれたのも、ベルラなのよね……)
眼を押さえた手の隙間から、今なお互角に打ち合うベルラの背中を覗き見る。
(……なるほど、そういう健気さ・八方美人さが、悲劇のヒロインっぽくて、それで魔王軍全体から大人気なのね……)
納得したと同時に、ふつふつと得体のしれない感情が湧いてくる。
「……なんか腹立つわね! 同情されてるみたいで!」
「デミスン様!?」
「なんだ!?」
「ごああぁぁぁぁーっ!!」
頭の子蛇たちの断面から、強烈な消化毒が溢れ出した。
デミスンの肌を焼くほど強烈な毒は、滴って床に広がっていく。
「なんか! 陰気だから可哀想って言われてるみたいなのよっ! 勝手に手を差し伸べられて、たまらなく不愉快だわ!!」
「何を言ってるんですか!?」
「最後の悪あがきか!」
フィラヒルデは後退し、ベルラはデミスンのそばに下がる。
「あんたたちもよ、人間! メドゥーサは誇り高く、気高く、美しく! 冷たい廃墟で耽美的に生きてれば良かったのに、それを勝手な物差しでピカピカに整えてっ!」
メドゥーサの瞳が一際強い光を放った。
「うっ!」
防ぎきれないと判断したフィラヒルデは物陰に隠れた。
至近距離のベルラは予想外の行動を避け切れずに、光の只中で石に代わりながら絶望した目でデミスンを見てきた。
「で、みす……さ……」
「最期くらいはひとりでいさせてちょうだい!!」
次の瞬間、床に広がった毒が強化され、爆発音にも似た消化音とともに一気に溶けた。
あっという間に辺り一面を埋め尽くす煙。
「……馬鹿な、味方を石に……なりふり構っていないな」
ドリルレイピアで煙をはらい、フィラヒルデは下に逃げたデミスンを追う。