十六話 極悪令嬢を助けよう
「シャアアアァァ!?」
巨大な蛇が悲鳴を上げてのたうち回る。一発一発が必殺の弾丸を、秒間何百と撃ち込まれて、血だまりが駅に広がっていった。
びったんびったんと跳ねて悶える巨大蛇。
「ぐえっ!? おごはっ!」
サーノは蛇の締め付けからは解放されたものの、その場に落とされた上に、暴れるついでのように何度か蛇の身体で叩き潰された。全身を回復し続けることでどうにかやり過ごしているが、嵐のど真ん中にいるような状態であり身動きが取れない。
蛇は暴れ狂いながら、オリヴィアを睨み、咆哮した。
「……あら、意外とセクシーなお顔ですこと」
弾を撃ち尽くしたオリヴィアは、目が合ったのでとりあえず褒めておいた。
「シャアアァァア!!」
当然言葉は通じず、蛇はオリヴィア目掛けて猛スピードで飛び掛かる。
「っ、オリヴィア避けろ!!」
辛うじて立ち上がったサーノの目の前で、オリヴィアは頭から巨大蛇に丸吞みされてしまった。
「お、オリヴィアーッ!!」
『ご心配なくサーノ』
絶望して叫んだサーノに、オリヴィアは蛇の喉からくぐもった声で返答してきた。
「オリヴィア! 大丈夫か!? 生きてるか!?」
『生きてますが大丈夫ではありませんわね、このままだと消化されますわ。ドレスちょっと溶けてきましたもの』
「な、なんだってぇ!? くそ、今腹を割いて助ける!」
サーノは焦り任せに魔力を駅全体に放射した。精彩を欠いた魔力は赤みが強い紫で、巨大蛇にはあっさり弾かれた。
一方で妙に冷静なオリヴィアは、
『それにしても、意外と臭くはありませんわね。生まれたてかしら? 蠕動が弱いような』
「ちょっとは焦んねぇのかよ!!」
『わたくし普通の人間ですから、こんなおっきな蛇さんの内側から、どうこうできることなんて何もありませんし……』
「諦めがはやいな!? ちったァ怖がったりしろよ!! なんでそんな平常心なんだ!?」
『何故、と問われましても……』
困惑したようにオリヴィアは聞き返してきた。
『肝心なところの前で、サーノが助けてくださるのでしょう?』
「……!」
全幅の信頼。まるで幼子がサンタクロースを信じるような、妄信と紙一重の確信。
蛇の腹越しではあるが、オリヴィアが心から信じきっているらしいことを、サーノは感じた。
「……畜生。そう言われちまったら、やるしかなくなるじゃねぇか!」
サーノの心は、奇妙なほどに晴々としていた。
信じられている、頼られているという手応え。
何でもやれる、という全能感。気分は止めどなく高揚しているのに、思考はスッキリと聡明だ。
「そんなふうに頼られちゃ、応えないわけにもいかねぇもんな、くそったれ!」
浮ついた気持ちを誤魔化すように毒づく。
そんなサーノに、巨大蛇は消化毒を吹いた。
「詰所の壁を溶かしたのもそれかよ! ちゃちいぜ!」
サーノは魔法の防壁を張った。
そのまま消化毒に自ら飛び込み、突っ切って巨大蛇の眼前に躍り出る。
「どああぁぁあああっ!!」
魔法の防壁を一瞬で魔力に分解すると、両手を組んだ拳骨に集める。
「シャアッ!?」
「口閉じてろッ!」
サーノは勢い任せに、拳骨を蛇の鼻柱にぶつけた。
その一瞬で、蛇の身体に膨大な量の魔力が雪崩れ込んでいく。
しかし蛇の身体は大きく、全身に魔力を行き渡らせるにはもっと接触する時間が必要だ。
サーノは噛みつかれないように、蛇の鼻先を蹴って後退した。
「グブブゥ!」
「まずは毒を封じた!」
蛇は追撃もせずに苦痛に悶えている。
「てめぇの毒素を半分くらい解毒剤にしてやったぜ!! 自身の抗体で無力化されちまいな!」
一瞬の接触でも十分な効果を得るために、サーノは魔力を蛇の毒腺のみに流し込んだ。
蛇の身体は分厚く長いが、毒腺の流れに沿って細く鋭く魔力を通すなら、ピンポイントな分ずっとはやい。
必要分を置換すれば、あとは勝手に内側から毒を失う。
「次は姫さんを助ける! どこだ姫さん!」
『……ふあぁ、んむ……ごめんなさい、なんだか胎内回帰したような心地良さで、うとうとしてしまいました』
「ほんっと余裕だな!?」
『泣き叫んだところで、それを自分で聞くことは出来ませんし。勿体ないですわ』
「それを勿体ないと感じられるの姫さんだけだよ。筋金入りの変態だぜ、まったく」
サーノはオリヴィアの声を頼りに、蛇の背に飛び乗った。
すかさず蛇は、サーノをもう一度締め付けようと身体を丸める。
『あっ、待ってくださいまし、人体はそっちには曲がらな、あ痛』
「やっぱりギリギリじゃねーか!?」
オリヴィアの実況を聞きながら、サーノは再び魔力を固めて防壁にした。
ぎりぎりと滑る蛇の身体が、球状の防壁を包んで潰そうとしてくるが、
「一度手放したのが運のツキだったな」
ヒビひとつ入らず、軋む音も全くしない。サーノの魔力防壁がいかにけた外れな防御力を持っているのかを、巨大蛇はその身で味わっていた。
「タイマンの魔法使いは奇襲で殺せ! 鉄板だぜ。五秒あれば逆転できるからな。こんな風に……!」
サーノは両手で手刀を振り下ろした。
「姫さん、丸まってろ!」
魔力の刃が、両手から放たれる。
刃は防壁をすり抜け、蛇の胴体をぶつ切りにした。
「シャアアアアァァァ!!」
「きゃんっ」
激痛で悶える蛇の断面から、オリヴィアが落ちた。
がむしゃらに叩きつけられる蛇の身体から守るように、すぐにサーノはオリヴィアの傍らに寄り添った。
「……うわ、べとべとじゃねーか」
「あらやだ、ドレスが思ったよりボロボロですわ。はしたない、はしたない……」
顔を赤らめてもじもじと恥ずかしがるオリヴィア。
サーノはしばらく黙って、新鮮な印象のオリヴィアを眺めていた。
「……どうしましたの、サーノ? わたくしの身体に見惚れていましたか?」
視線に気づいたオリヴィアが、いたずらっぽく笑って、サーノの頬を突いた。
「うわきったねぇ。触る前に許可取りやがれ」
サーノは嫌そうに頬を拭う。
「き、汚い? 全身浸されていたわたくしの身にもなってくださいまし」
「どうせ逆の立場だったら最高だったのになー、とか思ってたんだろ」
「それはちらりとしか考えてませんわ。我が身はそれなりに大事ですもの」
「考えはしたんじゃねーか。けど、まああれだな」
サーノはふんわりと微笑むと、オリヴィアの頭を撫でた。
蛇の胃液でぐちゃぐちゃとかき混ぜられる金髪を、懐かしそうに眺めている。
「いつものゴテゴテしたドレス姿よりも、これくらい野性的な姿のほうが、シンプルで好きだな」
「……~~~!?!?」
ボンッ、と、オリヴィアの顔面がマグマのように真っ赤に熱くなった。
「姫さんもガキの頃は、このくらいやんちゃな服装してたんだけどなぁ。木登りしてたら落っこちてギャンギャン泣いてよ、こうやって頭撫でてやるとすーっと落ち着いたもんだ……」
対するサーノは、ノスタルジーから来る優しい表情だった。粘着質な音を立てる金髪を、飽きもせずくしけずっている。
「あ、あわ、あわわわわ……サーノがえっちなことを言い出しましたわ……」
ぺたんと地べたに女の子座りするオリヴィアは、すっかり口がふにゃふにゃと緩んで、正気ではなかった。
「えっちってなぁ、洞窟生まれ洞窟育ちの感性だから仕方ねぇだろ……ってか、うん? どうした姫さん、毒でも回ったか。顔真っ赤だぜ」
オリヴィアの様子がおかしいことにようやく気付いたサーノの頭上に、蛇の胴が振り下ろされた。
硬質な反射音と共に、防壁に弾かれた蛇の胴は、狙いが逸れて客車を直撃した。
「あ」
「あ」
バキバキと音を立てて真っ二つになる客車を、ふたりはぽかんと眺めていた。
「……ああもう、無粋な蛇さんですこと! サーノ、さっさと退治してしまってくださいまし」
ぷんすか怒るオリヴィア。
「へいへい、任せときなさいって」
サーノは頭を切り替えて、蛇を睨みつけた。
巨大蛇はすっかり我を忘れて、血しぶきをまき散らしながら断末魔の悲鳴を上げていた。
「ひ、ひええ……ヘレン! ヘレンどうしようこれ!」
「し、知らないわよ! どうなってるのこれ!」
きゃいきゃいと、客車の残骸からふたつの人影が這い出てきた。
「……あ、荷物持ちのふたりか。姫さん、なんで帰さなかったんだ?」
「おかわりする姿が清々しかったので」
「身体は弱くても精神は鋼かよ」
オリヴィアをおぶさったサーノは、兵士ふたりのそばに近寄った。
「あ、ああ!? なんてひどいお姿に……!」
「ふたりとも、軍人として最低限のことはできるよな?」
オリヴィアを降ろしつつ、サーノは兵士から拳銃を一本奪った。
「あっ、な、何を!?」
「三十秒だけ、オリヴィアを守ってくれ。頼んだぜ」
ウィンクひとつ、くるくると拳銃を回しながら、サーノは再び蛇に対峙した。
「さてと……大物だな。ボーナスの塊だ、こいつぁ」
ぐぐぐ、と、拳銃を振りかぶる。片足を上げて一本足に。
「だがオリヴィアを食った以上、今日は命で思い知ってもらうぜ! 誰にケンカ売ったのかをなァ!」
ダン! と地面を踏みしめ、
「シャアア!」
蛇が敵を認識して目を合わせたと同時に、
「叩き込ォむ!!」
拳銃を投げた。
ブーメランのように回転する拳銃は、蛇の口の中に吸い込まれるように直進した。
「……脳天ダイレクト」
投てき後のだらりと下げた腕で、指をパチンと弾く。
次の瞬間、喉奥の拳銃のトリガーが魔力で引かれ、巨大蛇の頭頂が破裂した。
ただの拳銃の弾でも、魔力で強化されていれば必殺の威力になり得るのだ。
噴火したように血が吹き飛ぶ。
「グシャアァァ……」
最期の声を上げて、巨大蛇はどさりと線路上に崩れ落ち、動かなくなった。