十五話 蛇の軍団の猛攻を凌ごう
油断があったのは否めないが、例え備えられたとしても、奇襲は完璧だった。
突如、サーノの背後の壁がジュウ、と音を立てて溶けたのだ。
「なっ!?」
サーノが振り返ると、そこに壁はなく、見えたのは夜空に浮かぶ雲の向こうの赤い月。
そして、らんらんと光る目、目、目。
「メドゥーサ!」
デミスンが、宙に浮かんでいた。
「坊や!」
デミスンが叫んだ途端、サーノの視界は揺れた。
身体に急激に加速の負荷がかかる。
「ふおおあっ!?」
気が付けば、サーノの眼前は、一面の分厚い雲夜。
さわさわと髪がなびく方向からして、
「落下してる!? なんでだよ!?」
原因はともかく対処。
そう考えたサーノはまず、地面に魔力を投げて弾性を与え、トランポリンの要領で戦場となっている執務室に戻ろうと試みた。
しかし、両腕が動かない。脇をきっちりしめた状態から開かない。
「って、あぁ!? こいつが!?」
そこまで来て、サーノは自身の身体を鱗のぬめった感覚が包んでいることに気づいた。
その正体は蛇の身体だ。
巨大な一匹の蛇が、サーノの小さな身体を殆ど包み込むように巻き締めていた。
化け物みたいなサイズの蛇は、まっすぐに地面めがけて落ちている。
「坊やって面かよ、くそっ。叩きつけるつもりか!? そっちが力技なら、ゴリ押しで返すぜ!」
サーノは自分の全身に魔力を行き渡らせ、治癒魔法を行使した。
特に大きな怪我のない身体が一瞬で癒される。
巨大蛇は身体が大きすぎて、直接魔力を流すのに時間がかかる。仕方ないから、落下の衝撃は過剰な回復で乗り越える、という力任せな作戦だ。
「っぐ、がぁ!」
衝撃は一瞬だった。
サーノの細い肉体を運動エネルギーが蹂躙する。
全身の骨が粉砕された音を聞くのは、九十年程久しぶりのことだった。
「うぎ、ぐぅう……!」
歯を食いしばり、魔力の循環に集中するサーノ。
対する巨大蛇は、ダメージが薄い。
地面に落下してバウンドするが、すぐ何事もなかったかのように蛇行をはじめた。
「っち……っきしょぉぉおっ! 不公平だぞ軟体動物!」
落ちてきたのは詰所の中庭で、兵士たちの訓練のための設備が散らばっている。
巨大蛇は猛スピードで、ドロドロに壁が溶かされた大穴の方向へ這い、詰所の外へと進んでいく。
「あっ、そっちはダメだ! 駅のある方角じゃねぇか!!」
サーノは街の地理を思い浮かべて、詰所と駅がさほど離れていないことを思い出した。
駅には汽車があることも。
「壊したら姫さんが怒……っ、がはっ!? あぅ」
魔力で何らかの抵抗をしようと身じろぎしたのを察知してか、巨大蛇が締め付けを強くした。
折れた骨を片端から治癒するサーノだが、そのうちに蛇は道路へ出てきてしまっていた。
「……ええい、好きにしろよ! 心臓に血を吸い取られちまえ!」
結局抵抗を諦め、一撃を準備することに専念することにした。
「民家に突っ込むなら、そのときは自爆覚悟で痛い目を見せてやるぞ。覚悟しろ蛇野郎」
サーノはまだ、オリヴィアは宿で寝ているだろうと思っている。
「サーノ!」
「ベルラ!」
フィラヒルデとデミスンが、同時に叫ぶ。
デミスンは浮遊魔法で自分の身体を浮かせたうえで、遥か下の地面にとぐろを巻いていた巨大蛇を同じく浮遊魔法でサーノに投げつけたのだ。
巨大蛇はサーノと共に下に消え、今デミスンが夜景の見える執務室へ降り立った。
「デミスン様! 申し訳ありません!」
「いいから逃げるわよ!」
デミスンの眼が怪しい光を放った。
「いかん! 散開!!」
フィラヒルデは兵士たちへ命令を下した。
同時に眼前でドリルレイピアをペン回しのように回転させる。
「……うぅっ!?」
怪光線が反射され、執務室の花瓶に当たった。
白磁のシンプルな花瓶は一瞬で灰色の鈍い石へ変わり、ヒビ割れて崩れた。
「石化の光……!」
「なんで金属の光反射だけで凌げるのよ!?」
フィラヒルデは恐ろしい魔法の使い手が立ちはだかったことに戦慄していたが、対するデミスンも、武器を回しただけで防がれたことに理不尽なものを感じていた。
「……指向性を持った、眼球サイズの魔法光線……ちょっと致命傷になる豆鉄砲、といったところだが。総員、当たらぬよう気をつけろ」
「ベルラ! 油断せずふたりで突破するわよ!」
「はい、デミスン様!」
デミスンは頭部の蛇をさざめかせながら、戦力を分析していた。
(向こうは数が多いし、私は城壁を浮遊して越えるのにも魔力をかなり浪費しちゃってるから、これは厳しい戦いになるわね。サーノが戻る前にどうにかしなくては……)
とはいえ、なんとしてもベルラは失うわけにはいかない。
機密を多く知っているから人間に渡せないのもそうだが、魔王軍の中でもベルラは特殊な潜入要員だ。
亜人の誇りを自ら傷つけ、人間に姿を似せてまで潜入に特化したベルラを失えば、魔王軍の士気はかなりダウンする。
魔王軍にとってベルラは忠心の象徴であり、今もどこかで人間たちを翻弄していると信じることで戦意を高めている部隊も少なくないのだ。
「……サーノが戻るまで持ちこたえる!」
フィラヒルデが兵士たちに喝を飛ばし、ドリルレイピアをデミスン達に向けた。
その刃先が突然デミスンに迫ってきた。
「!?」
「くぅ!?」
辛うじてベルラが、突然飛んできたレイピアの刃を叩き落とした。
床に落ちたレイピアの刃の根元から、チェーンが伸びていた。
鎖はドリルレイピアのつばに繋がっている。
「まだ機能があるの!? おもちゃじゃあるまいし!」
「いいや、これはおもちゃだ。王都の武器開発チームにとってはな」
じゃらじゃらと鎖が戻っていき、レイピアの刃は再び持ち手に収まった。
「ふむ、悪くないな」
「……ええい、猪口才な!」
デミスンが苛立ったように頭をかきむしると、蛇がぽとぽとと落ちていく。
あっという間にデミスンの足元を埋めた蛇の大群は、すぐさま兵士たちへと襲い掛かった。
「う、うわああ!?」
「おおおっ!」
「怯むな! 各自で身を守れ! 私が親玉を潰す!」
フィラヒルデがドリルレイピアと銃剣の二刀流で突撃してくる。
「来なさい、人間!」
かくして、詰所は地獄と化した。
「……?」
ペペがぴくりと身を震わせた。
「どうしたんですか、ペペさん?」
すっかりくつろいでデザートのプリンをぱくついていた兵士の片方(スシミア、だったか)が、のん気に話しかける。
「……すみません、オリヴィア様。今日のお勤めはここまでで」
「ふぅむ。怖くなりましたか?」
オリヴィアはニコニコとペペに聞き返すが、煽っているというよりは純粋な確認のようだ。
「はい。なんか……こう、すごく……」
「いいのです、説明できないことも世の中には必要ですわ。今日もお疲れ様でした」
オリヴィアはすっくと座席を立ち、通路を歩いていく。
「では、これで。おふたりもお気をつけて」
そのままオリヴィアは汽車から外へ出ていってしまった。
「……え、ええ~……」
「ど、どうすればいいんですか、ペペさ……」
ふたりの兵士はオリヴィアの気を悪くしたかと不安に感じてメイドに話しかけたが、すでにペペはどこかに消えていた。
訓練されているはずの兵士でさえ見逃した隠れっぷりであった。
「……。とりあえず、出よっか」
「う、うん……戸締りとかしてからね……」
手持無沙汰な兵士ふたりは、とりあえずカーテンを閉めてみた。
汽車から出たオリヴィアは、夜風を吸い込む。
「……んんん~、さてさて。頼みの綱のサーノがいないのですが……」
ごそごそと研究車の車体下を漁ると、巨大なガトリング砲が出てきた。
「まあ、ある程度はこれでどうにかなるでしょう。多分」
がちゃがちゃとガトリング砲を台座に固定し、砲口を暗闇へ向ける。
「ああ、灯かりが必要ですわね」
オリヴィアは懐から何かのボタンを取り出した。
「ぽちっと」
押すと汽車の屋根に取り付けられた電灯が点いた。
「うふふふ、さあおいでなさい、悪意を持ったお人……」
オリヴィアがしばらく待っていると、ずるずると巨大なものが這ってくる音がする。
「……?」
やがて、駅の改札を踏みつぶしながら、化け物が現れた。
「えっ、蛇さんですの? これはちょっと想定外ですわね」
オリヴィアの身長の二、三倍はありそうな半径の身体をした蛇だった。
「な、なんで姫さんそこにいるんだよ!? 逃げろ、はやくっ!」
ついでのように、太い蛇の身体から顔だけ出してぐるぐるに巻かれているサーノもいた。
「あらあら、何をしてらっしゃるのですか、サーノ?」
「いぎっ、いででででっ! やっぱ逃げる前になんとかしてくれ姫さん!」
動く度に全身が締め付けられているのか、サーノは相当追い詰められているようだ。
「!!! さ、サーノがわたくしに助けを求めてくださるなんて……!」
「マジに頼むぜ、こいつはちょっとシャレにならねぇ! あががが……」
「ああ、長生きはするものですわね! サーノ、もっと泣いてくださいまし! わたくしに救いを求めて苦痛の叫びを! サーノ!!」
「やっぱなんもせんでいい! 自力でなんとむぐぅ!?」
血管が額に浮くほど怒ったサーノだが、すぐに顔面まで巨大蛇に巻かれてしまい、声も封じられた。
「ああ、あれでは悲鳴が聞けませんわ! くぐもってるのも味がありますが、とりあえずサーノを放しなさい!」
オリヴィアは気前よくガトリング砲の引き金を引いた。