一話 オークを狩ろう
空は真っ赤な曇天で、平野を穏やかな風が薙いでいた。
「姫さん姫さん。なんか目に優しい奴らがこっち来てるぞ」
単眼鏡でオークの群れを確認した少女が言った。
人工的な色あいの薄桃短髪はウェーブした癖っ毛、褐色の肌、長い耳。ノースリーブからむき出しにされた細い肩には幾何学模様の刺青。容姿は十歳程度。
単眼鏡から離した目はエメラルド色。ぱちくりとさせながら、手持ちの筒を眺める。
「……こいつはすげーな。遠見の魔法と違って目が疲れねぇ」
「でしょう?」
褐色の少女の背後から、美しい声がした。
「でも上から見たりできないのが不便だな」
くるりと手のひらで回した単眼鏡をぱしっと掴み、レンズで背後を指す。
レンズの先には、妙齢の女がいた。
金髪は腰までのロングでさらさらと流れていて、豪奢なドレス姿。利発的な金目の、二十歳程の女だった。
金髪の女は、パラソルを刺した簡易テーブルで、優雅に紅茶を飲んでいた。
「……平野のど真ん中でよくやるねぇ、姫さんも」
褐色少女は呆れたような、感心したような声音で言った。
「風が心地好くて、つい」
姫さんと呼ばれた金髪の女は、にこりと微笑みを返す。
「それで? ダークエルフの英雄さん、所感は如何ですか?」
金髪の女は、カップをテーブルに置いてから、褐色少女の尖った耳を模して指を角のように立てる。輝く気配とは裏腹の、お茶目な仕草。
「あと三十分くらいでここを通るな。数は二十前後」
褐色少女は単眼鏡をしまい、腕を伸ばして準備運動をはじめた。
「揃いもそろって筋肉ばっかだぜ。食ってもマズそうだ」
屈伸を行い身体を温めるダークエルフに、
「……ところで、サーノ。オークって豚肉に含まれると思いますか?」
金髪の女はふと生まれた疑問を口にしてみた。
サーノと呼ばれた褐色少女は、苦虫を噛み潰した顔で、もう一度金髪の女に振り向いた。
「ええ、大丈夫ですわ、食べません」
サーノが何も言わないうちに、金髪の女は先んじて言う。
「試さないぞ。絶対試すなよ。試したら怒るからな」
「わたくしはサーノのぷんすかした顔、嫌いじゃありませんわよ?」
にこにこ底知れないほほ笑みを見せる金髪の女。
「……オリヴィア、この際だから念押しときてぇんだけどよ」
サーノはクラウチングスタートの姿勢を取った。
オリヴィアと呼ばれた金髪の女はにこにこと聞いている。
「食いもので遊ばないってのは、旅行の最初に決めたルールだったよな?」
「あら、遊んでなんかいませんわ。知的好奇心を満足させたいだけです」
「食ったらまずそうなんて言わなきゃよかった……」
断固とした否を吠えて、
「絶対、食わねぇからな!!」
サーノは地面を蹴った。
轟音と土煙。
オリヴィアは土埃にも構わず、エレガントに紅茶を口にして、
「……んえ。じゃりじゃりしますわ」
顔をしかめて呟いた。
真っ赤な曇天の下を、オークの集団が行軍していた。
青地に赤い剣が描かれた旗を先頭に、およそ20匹程度。平野を踏み荒らしながら進んでいる。
どのオークも緑色の巨体、血で錆びた大ぶりな武器を抱えていた。
「隊長、次はどの人間の巣を襲うんで?」
先頭で旗を掲げたオークが振り返って話しかける。
獰猛に血走った目のサイにまたがった、一際屈強なオークが質問に答えた。
「もうしばらく歩くと、線路がある」
遥か遠く先を、手にした大斧で示す。
「それに沿って北に向かい、リザードマンの軍勢と合流する」
「トカゲ野郎が群れてたって、俺達の腹の足しにもなりませんぜ?」
片目が潰れたオークが、酒瓶片手に最後尾から煽った。下卑た笑いが起こる。
隊長オークはにやりといびつに口の端を釣り上げただけで、肯定も否定もしなかった。
「急げ。粗野な彼らよりも先に人里を襲う」
そう言った直後。
隊長オークの首がポトリと落ちた。
「……え?」
その場の全オークが、突然頭を失った隊長オークの姿で異常を察知するよりはやく。
「ぎゃあああ!?」
酒瓶を手放したオークが突風とともに空高く舞い上がった。
「!?」
「な、なんだ!?」
ようやく殺気をまとったオーク達。武器を構え辺りを見回すが、
「個人的な恨みはないんだけどよ……」
群れの中心、足元から声がして、全員がバッと後退った。怯えたサイが鳴きながら逃げ出していく。
オークの輪っかに睨まれた中心には、サーノがいた。
「雇い主がワガママ娘でね」
自らの身長程もあるオークの酒瓶を、左手一本で軽々とジャグリングするサーノに、オーク達は武器を向ける。
「だ、ダークエルフ……」
「貴様、俺達は魔王軍だぞ! 何故味方を襲う!?」
サーノはつまらなそうに鼻で笑った。
「ハッ……魔王軍ったって、『魔王の血』に便乗してるだけのテロリストじゃねぇか」
「なんだと!?」
「人間の皆々様方には、もうちょい長生きしていただきてぇんだよ……なっ!」
サーノがおもむろに酒瓶の先端を地面で割った。
同時に、空からオークが落ちてくる。
赤い雲を突き破って、悲鳴を上げて落ちてくるオークを、
「ただいまだろッ!」
サーノは割れた酒瓶で貫いた。
串刺しになったオークから流れる液体で全身を赤く染めたダークエルフは、隊長オークの首を踏みにじりつつ、大斧を拾って啖呵を切った。
「オリヴィアがてめぇらの心臓をご所望だ! あるだけ置いて地獄へ行きな!」
「野郎ォーッ!」
「こ、殺せぇ!」
地響きのような怒号。ひとつひとつが華奢なサーノの肉体を必殺して有り余る重量の武器。景色が歪む程の殺意。
サーノは殺到する刃物や鈍器を、大斧と串刺しオークで凌いでいく。時には隊長オークの首をボールのように蹴って攻撃を防ぎ、武器が使い物にならなくなれば倒れたオークから奪う。仲間の死体で脳天をかち割り続ける。
返り血の上塗りが絶えないその表情は、好戦的な口火とは裏腹に冷めきっていた。
オリヴィアがパラソルを畳んでいると、サーノが帰ってきた。
「三匹生きてる。いいか、絶対に、食わないからな」
ロープで死体も半殺し体も縛ってまとめられたオークを、左手一本で引きずってくる。
「傭兵が好き嫌いしたらいけませんわよ」
「食が楽しくないとやってられない仕事なんだよな」
オリヴィアはパラソルの先端で、意識が朦朧としているオークをつつく。
「ぶへ」
「呻きましたわ! ぶひぶひと本当に豚さんみたいな……」
「食わねぇっつってんだろうが」
オリヴィアは楽しそうにオークで遊んでいたが、サーノは無視して、そこに停車していた汽車の前に立った。
六両が連なった汽車は、赤いボディに金の装飾が施された、エレガントなデザインだ。土煙で少々汚れてはいるが、統一感のある色調から滲む気高さは霞んでいない。
サーノは汽車の最後尾、貨車の扉を開けて、オーク達を無理やり押し込んだ。
「お、おい、ダークエルフ……」
今にも気を失いそうな一匹が、目が合ったサーノに話しかけてきた。
「『魔王の血』だぞ……共に人間へ反抗を……」
「まだ言ってんのかよ……」
サーノはわざとらしくため息を吐き、
「あれはただの自然現象だって、いい加減わかれよな」
適当な返事をしたサーノは、ぴしゃりと扉を閉めた。
「オリヴィア! 出発だ!」
「はーい、今出しますわ」
少女達を乗せた汽車が、煙を吐き出し、進み始めた。