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CASE5:オルター/本音は湯煙の中

 俺がこの浴場を作った理由は、日本が恋しくなったからだ。もちろん、市井の民のためでもあるが、わざわざデザインにまで口を出した理由は私情そのものだ。


 古き良き町の銭湯、どこか懐かしい雰囲気を再現するのにはずいぶん苦労した。それでいて壁に描かれているのは富士山ではなく、街のはるか北にそびえるラスコー山だ。俺がここを使うことなんて滅多にないし、そこは利用者たちが喜ぶものの方がいいだろうと考えた。


「俺、実は初めて来ました……広い風呂っていいもんですね……」


「なー……」


 最高だ。世界は変わっても、風呂の良さは変わらない。いつもより深くて長くて幸せなため息、これは風呂に入った時しか出ない特別なものだ。オルターもリラックスしているようだ。


「クラークさーん……」


「なんだー……」


 のんびりと間延びした声で会話する。返答するのも返ってくるのも、いつもより2拍ほど遅い。


「本当、ありがとうございます……色々と……あ、でも俺のためじゃないのか……やっぱなしで」


「えぇ……無駄に損した気分だ……」


「プラマイゼロじゃないですか……」


「いや考えてみ……朝に偶然拾ったお金をさ、いつのまにか落としてたら……凹むだろ?」


 ちょっと考え込むオルター。


「……ああ~それは、凹むわぁ……」


「ほらぁ……一緒一緒」


 この実りのない会話、銭湯マジックだ。会話のフィルタリング機能が完全にオフになっている無秩序感、これがいいんだ。湯気と熱気でぼんやりとする視界、反響する声、すべての境界がおぼろげになるこの空間、やはり風呂はいい。だが、リラックスタイムは唐突に終わりを告げた。


「……あれ、ここ、なんか出っ張りありますね」


 一気に身体がこわばった。オルターが仕掛けに気付いてしまった。そう、浴槽内のわずかな出っ張りを強く押し込み、壁に耳を当てると、女湯の”音”が聞こえる仕掛け。


 本当は覗けるようにしたかったのだが、そこまでの度胸はなかった。


「……へぇ、なんだろうな」


 選択肢は二つ、オルターに話すか、話さないか、だ。元々こういう下世話な話は嫌いではないはずだが、クレアと付き合い始めてからはそういう話はあまりしなくなったからな。


「……あ、押したら引っ込むみたいです。なんだろ、おもしれー」


 無邪気に遊んでいる。どうする、話して共犯者になってもらうか。いや待て、なんだか少し恥ずかしくなってきた。だって、のぞける、じゃなくて音が聞こえるって、マニアックじゃないか? 調べなくては、オルターの変態度がどれくらいのものか。


「……なぁ、オルター。おまえ、フェチってあるか?」


「フェチ……そうっすねぇ……目、ですかね強いて言うなら」


 少し悩んでそう答えたオルター。目か。けっこうノーマルだな。


「どんな目が好きなんだ?」


「うーん……あ、よく考えたら目じゃないかも、どっちかっていうと、まつ毛が好き」


 まつ毛、これは若干マニアックになったものの、まだノーマルだな。女性の長い睫毛に惹かれる男は多い。


「へぇ、まぁたしかに女性の長いまつ毛ってのはいいもんだよな」


「ですよね……鳥の羽のように長いまつ毛が涙でしっとりと濡れてるのなんて最高ですよね」


「そうなの……?」


「それで、こう、うつむいた拍子にまつ毛から涙がこぼれおちて頬を伝うとさらにいいですね。文学的っていうか」


 熱が乗ってきたのか、早口になってきた。まるで夢を語る幼い少年のような表情をしている。


「オルター……?」


「で、細い身体を震わせながらこう言うんです『ごめんなさい。許してください』って、ふふ、考えるだけでニヤけちゃいますね」


 こちらを向き直って同意を求めてきたオルターに曖昧な笑みを返す。


「あ、あぁ…………」


 前言撤回、こいつはド変態だ。わざわざ私財をなげうってまでこんな仕掛けを作った俺でさえ、こいつの前ではノーマルに思えてくる。


 クレアと付き合っている間に、オルターの変態性は過度に熟成してしまったようだ。こんな変態と分かり合うことはできないだろう。この仕掛けについては話さないでおこう。


 そう考えているうちに、オルターは先に風呂から上がっていった。一人残されたが、オルターの毒にあてられて仕掛けを起動する気が起きなかった。


 ……さて、俺もそろそろ上がるか。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 浴場の外に出てきた。もうすっかり暗くなり、あたりを月がぼんやりと照らしている。少しだけ吹いている夜風が気持ちいい。


 二人はどこかと探していると、少し離れたベンチに腰かけていた。どうやらなにか話しているようだ。


「ありがとう、付き合ってくれて」


「別にいいよ、昔からお世話になってたしー」


 風呂上がりのナンシー、健康そうな色の肌が上気しており、いつもより少し気の抜けた顔をしている。


「そうですか……でもナンシー、どうしてクラークの前だと俺にも敬語なんですか?」


「えー、なんか恥ずかしいじゃん。というか、お兄ちゃんだって敬語だし」


 ナンシーは二人きりだとお兄ちゃん、と呼ぶのか。本当に仲がいいんだな。


「俺は昔からこうですし」


「嘘! ちっちゃいときはそんなことなかったよ。かっこつけてるんでしょ?」


「うるさいなぁ」と恥ずかしそうなオルター。知らなかった。あれ、キャラだったんだ。


「ほらー図星じゃん」


 にひひ、といたずらっぽく笑うナンシー、はじめて見る表情だ。それにしてもオルター、さっきまで俺相手にあんな変態性を見せていたくせに、なにまともぶっているんだ。


「……てかさ、クレアさんのこと引きずってないの? あんなに大好きだったじゃん」


 不意にナンシーからまじめ顔でそう尋ねられ、オルターは気まずそうに目をそらした。


「べつに…………いや、正直引きずってる」


「やっぱりー……まぁ、まだ別れてからそんなに経ってないもんね」


 3年だもんな。そんなにすぐに割り切れる方が不自然だ。二人とも少しの間無言になった。


「……家にさ、まだクレアの荷物がいくつかあるんだ。きっと、取りに来ることはないんだろうけど。……いつも朝起きると、クレアは何時に来るんだっけって、時計を見上げて、それから思い出すんだ。あ、もう来ないんだ、って」


「お兄ちゃん……」


 ふたりとも胸を締め付けられているような顔だ。オルターの傷はまだまだ癒えていない。生々しい痛みが伝わり、俺も胸が苦しくなった。


「……ふう、ごめん、こんな話して」


「ううん、辛いこと話させちゃって、こっちこそごめんね」


「いや、話したら少し胸が軽くなったよ。ありがとうナンシー」


 まなじりを下げてそう言うオルター、まだ顔に陰があるものの、すっきりした顔をしている。それを見たナンシーがオルターの頭をヨシヨシ、と撫でている。


 やれやれ、こんなのを見てしまったら、もっとやる気が出るというものだ。とりあえずまずは飯でも食いに行こう。このあたりにうまい飯屋がある。


 今日くらいはおごってやることにしよう。

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