CASE5:オルター/大失恋野郎
俺が地球にいた頃、大失恋をしたことがある。結婚を誓い合った相手は俺の元を去り、しばらく経って、他の男と結ばれたと風の噂で聞いた。
どうしようもないやるせなさを抱え、それでも生きていくしかなかった。とにかく、前に進むことだけ考えた。
だんだんとその記憶が彩度を失い、過去になりかけた頃、俺の地球での人生は終わりを迎えたーー。
◇◆◇◆◇◆◇
もう夏真っ盛りだ。太陽の日差しが眩しい。汗ばむ肌、遠くの陽炎、つがいを求める虫の鳴き声、うむ、いい季節だ。
なんとなく開放的な気分になる。水着の美女との一夏の思い出、言葉の響きだけで胸がワクワクする。だが、この世界の海は危険な場所だ。
《エウシ》が残した魔物たちが多く残っているからだ。陸にいる魔物は狩られるが、海に棲む魔物を狩ることは難しく、前回だけではなく、それ以前の暗い季節の古参の魔物たちが残っているらしい。だからこの世界で泳ぐなら川だ。
そんなことを考えながら街をぶらぶらしていると、行きつけの本屋の前を通りかかった。友人が経営しており、品揃えが俺好みで気に入っている。さっそく入ってみよう。
店に入ってまず目に入るのは、天井から吊るされた、地球儀のような形をした本棚だ。所々にハシゴがつけられていて、まるでアトラクションのような作りをしている。そこを中心として、広がる花びらのように椅子が置いてある。他にはない、ユニークな作りだ。
奥のカウンターに座っているのが友人のオルター。歳は俺の一つ下、人付き合いが少し苦手な大人しい男で、うねりのある黒髪が特徴的だ。もう5年くらいの付き合いになるだろうか。
「ようオルター、調子はどうだ?」
「……クラークさん……まぁ、ぼちぼちです」
そう答えるオルターの声に覇気がない。気の抜けた細い声だ。いつにも増して顔色が悪いな。全然ぼちぼちには見えない
「何かあったのか? 元気ないな」
「……元から僕はこんな感じですよ……」
「……そう、かぁ? そんなんじゃクレアも心配しそうだけどな」
彼にはクレアという恋人がいる。もう3年ほど付き合っており、いつも仲睦まじくしている。
「…………ああ、彼女とは別れましたよ」
「……え、え、え、なんで?」
オルターは蝋のように青いやつれた顔で言った。信じられない、あんなに仲が良かったのに。
「…………辛いんですって、俺といるのが」
やばい、かける言葉が見つからない。この俺、クラーク・ブラッドフォードには弱点がある。そう、恋愛経験が前世も今世も皆無だということだ。言葉にするとすごい破壊力だ。
「……ど、どんまい」
「…………ありがとうございます。しかもね、昨日見ちゃったんですよ」
あ、どんまいって通じるんだ異世界。よかった。そして、この後につながる言葉がなんとなくわかってしまう。恋愛経験がなくても察しがつくやつだ。
「……他の男と、歩いてるの。本当、女ってなんなんでしょうね」
「………ほんとだよな」
クラーク、お前はなんて情けない男なんだ。なぜ気の利いたことが言えないんだ。安易な同調に逃げてしまった。
「…………それから、ですかね。なんかもう全部どうでもよくって。だってこの店始めたのだって、彼女が本が好きだったからで……今月で閉めようと思ってるんです」
「や、やめてどうするんだ?」
「さぁ……朝から晩まで四葉のクローバーでも摘んでますよ」
俺も失恋の経験はあるが、ここまで落ち込んだことはなかった。たしかにオルターの入れ込みようはすごかったからなぁ。
「でも……四つ葉ってなかなか見つからないぞ?」
「……チッ、分かってますよそれくらい。どうでもいいでしょ」
「ご、ごめん……」
また無意味なことを言ってしまった。なんとか元気を出して欲しいものだが……。話を変えよう。
「そういえば! 前に頼んでいた本、届いたのかなぁ〜?」
「……ちょっと待ってくださいね。在庫表見れば……ウオオオオオオ」
「うおっ……どうした?」
在庫表を開くやいなや突如慟哭するオルター。頼み忘れてたのか?
「…………在庫表、いつも彼女が書いてて……彼女の字見たら、なんか急に……ウオオオオオオ」
この不安定さこえぇよ……せめて叫ばずに泣いてくれよ……。
◇◆◇◆◇◆◇
結局、そっとしておくのが一番かと思い、店を出た。いや、何をしたらいいのか分からなかっただけだ。
家を出た時にはあんなに綺麗に見えた空の青さが、今はなんだか、少し押し付けがましくさえ感じる。
心変わり、変わらないものなんてない。恋愛のことはよくわからないが、それだけは……よく知っているつもりだ。
「今から川行こうよ! 新しい水着も買ったし」
「え〜めんどくせえよ。家でいいじゃん」
「もー! すぐそれじゃん! たまにはどっか行きたい〜」
俺の前を歩いているカップルがいちゃつきながら浮かれた会話をしている。男の肌は浅黒く、如何にも遊んでいますという風だ。異世界でもこういうのがモテるんだなぁ……。あ、こっちに気づいた。
「あれ? クラークさん?」
長い髪を小綺麗に結い上げている彼女の方が話しかけてきた。色白で品の良さそうな風貌だ。
「……すまん、どこかで会ったか?」
どこかで見た気はするんだが……思い出せない。
「えーひどい。クレア! 前に何度か話したことあるんだけどなー」
「……ク、クレア? 気付かなかった……雰囲気変わった、な?」
オルターの元恋人だった。前に会った時はおとなしそうなイメージだったが、今はずいぶん垢抜けている。付き合う相手によって変わる子がいるのは知っていたが、目の当たりにするとなるほど……なんとも言えない気分になる。
「そうかなー? ……あ、紹介するね! こっちはスキピオくん!」
嬉しそうに男の腕に抱きつき、そう言うクレア。スキピオと紹介された男は、屈託のない笑顔で「どうも、クレアの彼氏のスキピオです」と挨拶をした。
「初めまして、最強無双勇者のクラークだ。よろしく」
「はははっ! 面白い人だなぁ、よろしくです!」
いつものように名乗ると、スキピオは黒い肌と反対に白くて輝く歯を見せて笑い、握手を求めてきた。一応応える。握力が強いな。
クレアはそんなスキピオをトロンとした目で見つめている。人の機微には疎い俺も、これが恋する乙女の視線であることはわかる。
「スキピオくんは若いのにいろんな事業を手掛けてて、それでたまたまこの街に来た時に出会ったんです」
聞いてもないのに話し始めた。スキピオはすかさず「事業って言っても、大したことないですよ」と謙遜している。人馴れした男だ。
「……そうか。しばらくここにいるのなら、ぜひ楽しんでいってくれ」
「もうめっちゃ楽しんでますよ〜。いい出会いもありましたし」
「もう〜恥ずかしいって〜」
楽しそうにじゃれている。うむ……微笑ましい光景だ。幸せそうで何より。2人に別れを告げ、街の散策を続けることにした。
スキピオは見るからに良いやつだ。そしてクレアも幸せそうにしている。それなのに、モヤモヤするのはなぜだろう。
◇◆◇◆◇◆◇
気付けば、スコットのカフェに来ていた。窓から中を覗くと、今日は客入りが少ないようだ。
「あ、クラークさん! いらっしゃい!」
中に入ると紅茶の香りとともにマリアが出迎えてくれる。前にフローラと来た時に比べると、接客が上達している。
「やぁスコット」
「よおクラーク。今日は1人か?」
そうだよ、と返事をしてカウンターに腰掛ける。木目の綺麗なカウンターからはほのかに森のいい香りがする
「あれからフローラは何度か来ているらしいな」
「ああ、もうすっかり常連さんだよ。マリアと仲良くしてくれているし、フローラさん目当ての男性客も増えて大助かりだ」
フローラは目を惹く見た目をしている。あの銀髪を靡かせる姿に心奪われない男はそういないだろう。
「それはなによりだ」
「…………クラーク、お前なんかあったな? 顔に陰があるぞ。まぁ、とりあえずコーヒーでも飲め」
スコットは急に真面目な顔になってそう尋ねた。傷のある右目で見つめられると、心の中まで見透かされているような気分になる。やはり敵わないな。
「……まぁな。コーヒーは飲めない。紅茶かオレンジジュースをくれ」
「相変わらずだな……ちょっと待ってろ」
そう言って背を向けて準備をするスコット。その広い背中を見ていたら、口が勝手に動いた。
「なぁスコット、実はーー」
◇◆◇◆◇◆◇
スコットの淹れてくれた紅茶で時々喉を潤しながら、今日あったことを話した。スコットは作業をしつつ、小さく相槌を打ちながら、最後まで口を挟まずに聞いてくれた。
「ーーなんだかモヤモヤしてしまってな。スキピオだっていい奴そうで、クレアも幸せそうだった。別に誰も悪くない、何も問題ないはずなのに」
「……クラークお前、本当にわからないのか?」
スコットは洗い物をする手を休めずにそう言った。
「なにが?」
「なんでモヤモヤするのか、そんなん決まってるだろ。お前は腹が立ってるんだよ。お前の友達が傷ついてるのに、傷つけた方は幸せそうにしている。その理不尽さが、お前は許せないんだ」
洗い物を終え、食器を丁寧に棚に並べていく。店に差し込む夕日が食器に反射していて眩しい。
「理不尽って……単にオルターが振られただけの話だろう。別に誰が悪いわけでもない。……人の気持ちなんて簡単に変わるものだし」
「その通りだ。だが、頭でわかっていてもお前の心は納得していない。お前は友達を傷つけたやつらが許せない。そして、何もできないことがもどかしい……まだまだ青いってことだよ」
とっさに反論しようとしたが、何も出てこなかった。その通りだ。オルターが傷ついて立ち止まっているのに、あいつらは先に進んでいる。それがすごく悔しい。
もちろん、オルターにも悪いところはあったのだろう。俺だってあいつの女々しいところには呆れることも多い。
「俺は……どうしたらいいんだろうな」
「さぁな。そもそもそれは友達自身の問題だ。お前が口を出すことじゃない。だが、そんなに気になるなら動くしかないだろうな」
「でも、何をしたらいいのか……」
俺がオルターに何をしてやれるだろう。
「それはお前にしかわからないさ。よく考えてみることだ」
突き放すような言葉だが、声色は優しい。
「わかったよ……なぁスコット、最後に一つだけ聞かせてくれ。もし、スコットが俺の立場なら、どうする?」
「……そうだな、とりあえずその友達と相手の男を一発ずつぶん殴るな。それでスッキリしたら、そこからまた考える」
一見、スコットは可愛いもの好きの穏やかな老紳士に見えるが、こういう荒っぽい一面もある。
「ありがとう。全く参考にはならないが、覚えておくよ」
「おう、またいつでも来い」
スコットに礼を言い、店の扉を開ける頃には、既に、あいつにしてやりたいことは固まっていた。
「よし、早速準備だ」
今回は全くハーレムには関係ないが、友のため、いや自分のために頑張るとしよう。




