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『それでさ、うちの大学Fランだからさ』
幼馴染のシンの声がイヤホンの向こうから聴こえる。
『ほんっとに授業の中身薄っぺらいわけ』
7月ももう終わる。気づけばセミの鳴き声も聴こえている。夏が近づいてくる。だけど、それでも夜は少し冷える。
『いやもう笑えるわ。ははっ』
電話越しのシンの自嘲。私は、どうすればいいんだろう。
橋の下の道路を眺める。たった今、ちょうど日付が変わったところ。車も人影もまばらだ。
『でもたまに、こんなんでいいのかなって思うときあって』
シンの言葉が続く。
『…………』
きっとシンも今、私と同じ角度で下を見ているんだろう。なんとなくそう思った。
「それはこっちだって一緒よ。ほんと、先のこととか何にも見えんし。この前話した……悩みのこととかあって、生きてていいんかなって思うし」
少し冷たい風が吹いた。自分の言葉が橋の下に落ちていってしまうような気がした。
高校卒業まで短く切らされていた髪も、もう随分と伸びた。頬に髪があたって、一瞬だけひんやりとするのが心地いい。
『なんかさ、不思議だよね』
相づちのあと、シンは言った。
『ついこの前まで俺たち小学生だったのにさ、気づいたら中学高校って卒業して、今大学生になってんだよ。俺は俺のまま何も変わっとらんとに、体と周りばっかり大きくなって』
「うん……」
『世界に置いてきぼりにされてる感覚っていうかさ……』
はぁ……とため息。電話の向こうでも、ここでも。
『それでそのまま大人になって、クソみたいな記憶も勝手に美化してきれいなものみたいに扱うようになったりして』
「……ね。……多分『あの時に比べれば』っていうのを肯定したいだけなんだよね」
橋の手すりに寄りかかって、この街の夜を眺める。背負ったアコースティックギターが背中を押さえ込んで、思う様に動けない。
「はぁ……」
意味もないのに、深いため息が出た。
「ちょっと寒いけん、コンビニでコーヒー買ってくる」
なんとなくコーヒーが飲みたくなった。ちょっと寒いなと感じていたから、ホットコーヒーがちょうどいい。
『ん、あいよ』
「普通にしゃべっとってよかよ」
コンビニエンスストアの自動ドアが開く。無気力に店内に入る。店員から「いらっしゃいませ」の声はない。この時間のコンビニ店員は、互いに疲れない方法をしっているらしい。
「今コンビニ入ったけん、あんまり変なことしゃべらんでね」
イヤホンのマイクを口に近づけて小声で言う。
『おっけー』
そんなシンの返事に、大丈夫かなと思ったけど、ひとまずレジに直行する。
「ホットコーヒーのSを一つ、お願いします」
自分の声がちゃんと目の前の店員に届いているのか不安になった。そのとき、シンがささやくような声で言った。
『チロルチョコチロルチョコチロルチョコ……』
思わず吹き出しそうになった。レジの隅の方に置いてあるチロルチョコを三つ取って、笑いそうになりながら「これもお願いします」とレジに置いた。
「もうっ、やめてって言ったじゃん」
コンビニを出て最初に発した言葉はそれだった。
『いや、変なこと言うなって言われたら言わんばやろ』
私の声もシンの声も笑っていた。
なんか、しあわせだった。
通話を続けたまま、家に帰る途中にある公園に立ち寄った。
ベンチには座らずに、その辺の石垣に腰を下ろす。ギターをそばに寄りかける。
ふぅふぅとコーヒーに息を吹きかける。紙コップの中で揺れる黒が、夜空みたいに見えた。
「明日なんて来なければいいのにね」
無意識に言葉が出た。もう何度目か分からない。私が独り言で何度も呟いてきた言葉だった。
『その「明日」はもうここにあるやん。さっきなった日付変わったばっかりだし』
「あぁ、えと、独り言。なんか無意識に言ってた」
少し笑ってごまかす。
『いや、俺もいっつも思ってるよ。明日が来なけりゃいいのにって』
「……明日なんて、一度も掴んだことないのにね」
かすれるような声で呟いた。
『ん? なんて言った?』
「いや、何でもない」
ため息を吐いて、空を見上げた。それほど星座に詳しいわけじゃないから、星を見たって何も見えてこない。
「……なんか、今日、月大きいね」
『え……あ、ほんとだ。あと、なんか月の下の方にめっちゃ光ってる星もある』
「おーほんとだ。なんていうんやろうね、あの星。星とか詳しくないけん、さっぱりわからん」
『んー俺もようわからん』
「じゃあとりあえず名前のない星って名付けよう。あの星も、あの星も、あの星も」
『いやいや、あの星ってどの星やねん』
「月以外のやつはみんなわかんないから、みんな名前のない星」
そんなことを言って、二人して笑っていた。
「あー楽しい。なんかギター弾きたくなってきた」
近所迷惑だけど。もうどうでもいい。
『お、じゃあなんか聴かせて』
「いいよー。えっとね、それじゃあ……この曲歌おうかな」
不協和音みたいな歌声と、ギターの音がこの街の夜に響いた。
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