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「天童君?」
夏の終わりともなると、日中の暑さはどこかに引いていた。
ぼんやりと沈む橙色の太陽に照らされる時刻表。その横に申し訳程度に備え付けられたバス停のベンチに、意外な人物が座っていた。自身と手持ちのカバンで小さなベンチを占領し、ベタベタ付箋の貼られた参考書を読んでいたけれど、その人物は私に気付き、参考書を閉じてこちらを向く。
「……綾地だよな?」
やっぱり天童くんだった。
天童くんは中学三年生のクラスメートだ。
スポーツが得意で、多分元陸上部。栗色の癖毛に、きりりとした眉と目。横顔が特にかっこいい。なにより彼の大きな背丈に見覚えがあった。私の席からでもよく分かる、見覚えのある背中姿だったから。彼のおかげで背の低い私には黒板が見えない時もあるくらいだ。
「うん。その様子だと天童君も塾帰り?」
「そんなところかな」
どうも彼も、私同様隣町まで30分かけてバスで塾通いをしているようだった。
田舎のうちの中学校の近くには塾なんて少ないからしょうがないのだけれど。
夏休みの終わりから、最高学年の私達中学三年生は皆、本格的な受験勉強に移行した。夏の最後の大会を終え、運動系の部活の人たちも勉強に専念し始め、そんな周りの様子に、受験の準備をしていなかった人たちも流石にそわそわしてきたからだ。
かくいう私は、中学2年の終わりくらいから、今の塾に通い始めた。これまで彼と出くわさなかったことを考えると、運動部の彼もおそらく、夏の大会を最後に本格的に受験勉強を開始した人間なのだろう。
「珍しいね、ちょっと遠いから隣町の塾選ぶ人って少ないのに」
「それは綾地もだろ?」
「そうなるのかな?」
私はわざわざ隣町の塾に通っている。
仲の良い友人たちに同じ塾に誘われたこともあるが、一人も知り合いのいないこっちの塾に決めた。というか母が私の塾を選んだのだ。友達同士で塾に行くと勉強に身が入らないと言って。
最初は納得できなかったが、勉強に集中できた私の成績は、夏の今ごろには行きたい高校の偏差値に届くくらいにはなっていた。一時間に一本しかないバスでの塾通いは大変だけど、空き時間には勉強も出来るし、慣れてしまえば、もう気にならない。
でも、まさかここで天童君と会うなんて。
「隣、座るか?」
そういって彼はかばんを地面に置き、また参考書の方に目線がいっている。
「…あ、ありがとう」
本屋で買った参考書をかばんから取り出し、バスが来るまでベンチで勉強に身をやつすことにした。
お互い無言で、帰りのバスが来るまで暇を持て余す。
別に気まずいわけではない。
「………」
「………」
前言撤回。
やっぱり気まずかった。
だってしょうがないじゃないか。
私と天童君は本来、接点なんてなにもないのだから。
これまで彼と話したことなんて数えるくらいしかないし、それも挨拶とかプリントの受け渡しとかでだ…クラスの中心人物たちが所属する運動系グループに彼はいて、隅っこの文系女子グループに所属しているのが私だ。まるで正反対の私達に、何かコンタクトがあるはずがない。こう考えてみると、なんだか虚しくなる関係ではある。
「天童くんは、陸上部もうやめちゃったんだよね?」
数分後、沈黙に耐えられなくなった私は、彼に部活の事を尋ねた。
それに彼は、ああ、と肯定する。
彼自身に部活を確認したわけではないけど、たぶん陸上部で合ってる。だって体育祭とかで彼はよくクラスのアンカーを務め、いつも徒競走では女子からの黄色い声援を浴びせられた。ちなみに私は、応援する女子グループの後ろの辺りから彼を応援していた。
「なんだか、もったいないね」
一瞬キョトンとして、彼は変顔をして大げさに笑う。
「そういってくれてありがとな、スポーツ推薦貰えそうだったけど…結局他のやつに決まったんだ」
どうも、私の言葉は余計な一言だったみたい。
「ごめんね、変なこと聞いちゃって。だってあんなに足速かったから」
「いいよ気にしてないから。全中で全力出しきれたからそれで満足だ」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
さっぱりとそう、天童くんは答える。
気にしていない風体で、不覚にもかっこ良いと思ってしまった。
「そういえば綾地の部活は家庭科部だろ?あそこはどうなんだ」
えっと、私は声を出す。
ちょっと驚いてしまった。私がどんな部活に入っていたか彼が知っているなんて。
接点のない人の部活もちゃんと知っているところが、彼が女子からモテる秘訣なのかもしれない。
「家庭科部はもうやることないなー。春先で三年は引退。私もたまに顔出すくらいだよ。でもよく知ってたね。私が家庭科部って」
「文化祭の時スイートポテト出してただろ?美味しかったからよく覚えてるんだ」
…どうも家庭科部は、文化祭でお菓子を出すだけの部活という認識らしい。
一応、文化祭ではお菓子以外に郷土料理の作り方とか、市役所での歳末ボランティアのパネル展示とかしていたんだけど。確かに文化祭当日はお菓子の配布が一番人気だったけどさ。
文化祭では、お菓子を待つ行列なんかも出来たりして、急遽追加のお菓子作りで私も家庭科室にこもりっぱなしだった。そう考えると、『家庭科部は文化祭でお菓子を出す部活』という彼の認識は一般的なのかもしれない。
「そっか、なら綾地は料理とか作れたりするの?」
何かに気付いた様子で、彼は目をぱちくりさせた。
「簡単なのはね、お菓子作りの方が得意かな?」
「へーこんど食ってみたいな」
そして、彼はこちらを見据え――
「…またさ、綾地とこうやって時間が合う時は一緒に帰ってもいいか」
にっこりと、そう告げる。
直後帰りのバスがやってきた。
「う、うん」
私は調子外れた声で、そんな受け答えしか出来なかった。