約束の青い首輪
ウォンと健一は、大の仲良しでした。健一が学校から帰ってくると、ウォンは待ってましたとばかりに飛びついて、顔中をぺろぺろなめまわすのでした。健一は、そんなウォンと一緒に走ったり遊んだりするのが大好きでした。
ウォンは、二年前に川のほとりに捨てられて鳴いているのを、健一に拾われたのでした。健一は寒くて震えているウォンを、風呂場でていねいに洗い、乾かしてあげました。
「かわいそうにな。これから俺のうちに住むんだぞ」
ウォンはうれしそうに健一の目を見て、ワンッと一声鳴きました。健一は、青い首輪を買ってくると、首輪の裏に彫刻刀で何やら彫り付けました。そこには、こう書いてありました。
「ウォンと死ぬまで友だち 健一」
健一は、学校で友だちとけんかして、寂しい思いをしていました。そんなとき、ウォンと出会って、健一の心はなぐさめられました。ウォンが健一の友だちになったからです。ウォンと健一はいつもいつも一緒でした。健一は、いつも口癖のようにウォンにいいました。
「ウォン、約束だよ」
健一とウォンの生活がどんどん過ぎていき、健一は高校生になりました。健一には、かわいらしい女の子の友だちができ、野球部も忙しくなってきました。健一の帰りも遅くなり、ウォンはそんな健一の帰りをずっとおとなしく待っているのでした。真っ暗になって、健一が帰ってくると、ウォンはちぎれるようにしっぽを振って迎えるのでした。そして健一はウォンを散歩に連れていくのでしたが、部活で疲れているので、一緒に走ったりすることはなくなりました。そして前のように芝生に座って、夕焼けを見ながらお話をすることもなくなっていきました。それでもウォンは、健一と一緒にいられるだけで幸せでした。夜になると、健一の寝るベッドのそばで、ウォンも静かに寝息をたてるのでした。
時は過ぎ、健一は大人になりました。健一が高校までは、ウォンは家の中で、いつも健一のそばで暮らしていました。でも健一が高校を卒業すると、ウォンは外に出されることになりました。健一に小屋をつくってもらい、ウォンはその小屋の中で寝るようになりました。
「ごめんな、ウォン。俺の彼女、犬がきらいなんだ」
ウォンは、最初クンクン鳴きましたが、健一に散歩に連れていってもらったり、ときどきなでられるだけで幸せなのでした。ウォンの顔は、だいぶ白髪で白くなってきていました。また、昔のようには走れなくなってきました。ウォンは、いつも健一が寄ってきてなでてくれるのだけが楽しみで、寝そべっているのでした。
何年か過ぎ、健一は結婚することになりました。うちを離れ、どこか遠くへ行って住むことになったのです。今では、散歩もときどきしか連れていってもらえず、えさも忘れられるときさえありました。それでもウォンは、いつも健一を待っていました。健一が近づくと、しっぽがちぎれるくらい振って、顔をなめようと飛びつくのでした。
ある日、健一は、ウォンの小屋に来て、ウォンに話しかけました。
「ウォン、ごめんな。俺は遠くへ行くことになったんだ。お父さんもお母さんも、俺が面倒をみなくなるのなら、おまえを…。ほんとにごめんな」
健一は、ウォンの頭をなでると、ウォンは健一の顔をひとなめして、じっと健一の目を見ました。
それから二、三日過ぎたころ、ウォンは健一の車に乗せられ、保健所に連れていかれました。
「じゃあな」
わざと振り返らずに、一言いって去ってゆく健一の後姿を、ウォンはいつまでも見つめていました。ウォンは奥に連れていかれ、檻の中に入れられました。そこには、たくさんの犬や猫が幾つもの檻に閉じ込められていました。同じ檻にいたビーグルが、新入りのウォンに話しかけてきました。
「おまえ、捨てられたんだろう」
「違うよ。ちょっとここに預けられただけさ」
ウォンがそういうと、ビーグルもほかの犬も、おもしろそうに笑いころげました。
「今の聞いたかい?預けられただけだってさ。おい、新入り、俺たちの命が、あとどれだけだか知ってるのか?」
「何の話だ。俺には関係ない」
「大ありさ。俺たちはな、一日たつごとに隣の檻に移されて、七つ目の檻はもうないのさ。どういうことか分かるか。七日目には、別の箱に入れられて、殺されるのさ」
ウォンは、耳に入らないとでもいうように、寝てしまいました。ウォンは心の中でこう思っていたんです。(健一は、僕をきっと迎えにきてくれる。だって、僕たち、約束したんだもの。いつまでも友だちだって。)
少したったころ、健一はウォンの小屋を壊しました。散歩に連れていかなくても済むので、楽になったような、何か物足りないような気がしていました。健一の心の中で、いつのまにか、ウォンが友だちから、ただの犬になっていったのでした。いろんな生活の変化が訪れ、健一の心をいろんなことがらが入り込み、ウォンの占める場所が小さくなっていたのです。心に痛みはありましたが、「しかたがないさ」の一言であきらめていました。「もう飼えないんだから」それ以上、ウォンのことを考えるのをやめました。健一は、ほかのいろいろなことで、忙しすぎたのです。ふと、健一の目に青い首輪が目に入りました。ゴミ箱に捨てようと、健一が手に取ったとき、健一は、はっとしました。それは、健一が小さいときに、ウォンと交わした約束の首輪でした。裏には、すり切れて半分見えなくなっていたけれど、あの約束の文字が読み取れました。
「ウォンと死ぬまで友だち 健一」
健一は、はっとしました。
「ウォン!」
健一は、小さいころ、ウォンと一緒に見た夕日を思い出しました。(あのころ、ウォンはいつも俺のそばにいてくれた。友だちとけんかしても、ウォンが涙をなめてくれた。散歩のとき、同級生にいじめられそうになったとき、ウォンは俺の前に飛び出して守ってくれたんだ。それなのに、俺は何てことをしてしまったんだ。約束を破ってしまった)
健一は家を飛び出しました。
「ウォン、ごめん、ごめん、待っていてくれ。すぐ迎えに行くから。俺たちは、死ぬまで友だちなんだから。」
健一が保健所に着くと、ウォンは一番奥の檻にいました。ウォンがこの施設に入れられてから六日がたっていたのです。その間、何匹かの犬たちが殺されていきました。ビーグルが、「とうとう俺たちも、きょうまでだな」といっても、ウォンは知らん顔して寝ていました。健一が迎えに来てくれるのをじっと待っていたんです。
「ウォン!悪かった!俺を許してくれ!」
ウォンは、さっと立ち上がって耳を立てました。ビーグルは、おやっという顔をして、「ほんとに迎えにきた。なんてやつだ」とつぶやきました。ウォンは檻から出されると、一目散に健一の胸の中に飛び込んで、健一の顔をなめまわしました。遅かったね、とでもいうように。健一は泣きながら、ウォンの首に、あの青い約束の首輪をはめました。
「もうこの首輪ははずさないよ。もう一度、俺を信じてくれ、ウォン。俺はどうかしていたんだ」
ウォンは、うれしそうにじゃれながら、健一のうしろについて帰りました。いつもの散歩の帰りのように。それからウォンは、健一と一緒に引越しをし、健一と奥さんのベッドの隣りで眠りました。その年老いた顔は、とても幸せそうでした。