出会いは突然に3
「ううっ」
空腹を訴えたお腹を押さえ、赤くなった頬をかくすようにそっぽを向いて立っていたリンシアと、セシムに背中をどつかれたまま立ち尽くしていたディスが取り残された。
「あー、えーと。・・・とりあえず飯でも食おうぜ。どうせしばらくはこの中から出ない方がいいだろう。実際この中は効果があったみたいだしな。ああ、一緒にいたくないっていうなら俺たちだけでも外に出るが」
「もういいですっ。もう、いいんです。また助けて貰いましたから。気にしないで下さい。ご飯、食べましょう」
仲直り、というように右手を差し出した。そのリンシアの手をおずおずとのばされたディスの手がつかむ。
「では、座りましょうか」
ディスはどこかふっきれたように微笑んだリンシアの顔を見て、やっとホッとしてほほ笑みかえした。
「はい、リンシア様出来ましたよ。本当はせめて熱いお茶くらいは入れたいところですが」
「そうねー。これが火に対してどれだけ耐えられるかの実験は出来たけれど、この中では何が出来るか、ってとこまでは手が回らなかったから・・・。落ち着いたら実験してみましょう」
イアラが荷物から出して用意してくれていた食事の前で、軽く手を合わせてからパンへと手を伸ばした。
「おや、それだけですか?」
セシムが荷物の中から取り出した干し肉を切ってディスへと放りながら、イアラが用意した食事を見る。
「保存のきく携帯食が、お屋敷の中だけでは手に入らなくて。今の手持ちが干した果物とパン、そして焼き菓子がほとんどなんですよ」
「仕方がなかったのよ。最初に食糧を確保しようとはしたんだけれど、売って貰えなかったのですもの」
「売って貰えなかった、ですか?」
どうしてまた?いや、買う方法が分からなかった、とか?とセシムが浮かべた表情から読み取れて、むっとしながらも言い返す。
「仕方ないじゃない。ディスが言ったように私は家出したから屋敷の近くの街になんて寄れないじゃない。だから農家の人に分けて貰おうと思ったんだけど・・・」
「その格好でか?」
「違うわよっ。最初はちゃんとイアラに普通の格好を用意してもらって、この無駄に目立つ髪もちゃんと帽子で隠したわよっ。でも・・・。何故か不審がって何も譲って貰えなかったのよ。ちゃんとお金は出す、って言ったのだけれど」
「多分あんたもそっちの侍女さんも普通の町娘には見えなかったからじゃないかな。そんな物腰のいい街娘なんてそうそういないからな」
その見てきたかのような指摘に、声もなくため息一つで答える。
「そう気づいて次は街に行ったのよ。今度はいつものドレスを着て髪を帽子に入れて、イアラも侍女の格好で。でも・・・」
「あなた達の年頃だと、ご令嬢は髪をあげませんよね。たしか結婚すると髪を結いあげるんでしたか?」
「そしてとても既婚には見えないあんたと侍女の二人で、馬車も付き人もいないっていうと店でも不審に思うわな」
「みんな厄介事の匂いには敏感ですからね」
「そうよっ。だからさすがにまずいと思って慌てて街道から外れたあの道に入ったのよ。まったく。買い物がこんなに大変だなんて思わなかったわ」
屋敷の外の世界は広かった。リンシアが想像していた通りに村を遠目に見ても人はいっぱいいたし、道を歩いて移動するだけでも道の周りには畑があって、耕している人がいた。
そういう外の生活の知識はあったけれど、知識があっただけだったと初めて実感したのだ。
「いや、普通はそんなに難しいもんじゃねぇよ」
「悪かったわね。街に行くなんて初めてだったのよ。お金だって自分で使おうとしたのだって初めてだわ」
「でもそれなら、今頃家から追手に気付かれているんじゃないのか?街に行ったんだろ?」
「大丈夫だと思うわよ。さすがにお父様も世間知らずの私達がこんな街にまで来てるとは思わないでしょ。ここまで手が回るのには、多分もうちょっと猶予があると思うのよね」
「こんな街っていうと・・・。ここから近いとなるとナシリズですか?」
「そうだと思うわ。なんせ勘だけを頼りに歩いてきたのですもの。でも山脈を左に見てずっと山道を南下して、街道が見えたからそこにそって山の中を歩いて来たのですもの。だから地図どおりならその街だと思うわ。でもお父様も外に一度も出たことのない私達がそんな街まですぐにたどり着くとは思わない筈ですもの」
「・・・ちなみに聞くけれど、あなた達が家を出て、今日でどのくらいですか?」
「?出たのが朝方だったから・・・。五日、よね?イアラ」
「そうですね。五日目、ですよね」
指折り数えて答えたら、ディスとセシムは苦虫を噛み潰したような顔でお互いに顔を合わせた。
女の足で5日。最初は山道、ということを考慮しても想像していたよりもずっと家出してきた屋敷よりも離れていた。
「な、なあ。聞いてもいいか?昨晩までの四日間、夜はどうしていたんだ?街にも民家にも寄りつかなかったんだろう?」
「え?勿論、この装置を使って野宿してましたけれど?たださっきも言いましたけれど、火を焚く実験はしていないので、イアラと二人、身をよせあって毛布にくるまって寝てましたわ」
「この装置があれば、獣の心配もしなくてすんだので、とても安心出来ました」
「そうよねー。虫も入ってこれないし。最初から中にいた虫とかはダメだけど、本当にこの装置を完成させて持って来られて良かったわよね」
「本当でしたね。あの時真夜中でも遺跡まで行って、良かったです。怖かったですけれど」
遺跡から出て見た捜索隊の火の数に、一度は地下道を通って屋敷に戻り、ロバを連れて来ようと思っていたことも断念せざるおえなくなった。
なのであの後リンシアとイアラは、上った山道を戻って地下道へと入り、分岐地点に置いた荷物を旅に耐えるだけの最小限の荷物へとまとめ直して、遺跡の方へと続く道とは別の道、山にそって東へと向かう地下道の方へと進んだ。その道は山2つ分東側の山の中ほどに出口があり、そこから更に捜索隊を避ける為に山を下ることなくそのまま山を横に一日半進んでから麓まで下りたのだ。
その時にまとめた荷物は、あらかじめ用意しておいた食糧と水、そして変装用も兼ねた着替えとリンシアの弓と矢と護身用の短刀、そして毛布と遺跡で完成させた装置だった。
さすがに女二人の手で持てるだけ、しかもリンシアはいざという時に弓を引くのにあまり荷物を持てなかった為、食糧は5日分しか持って来なかったのだ。なのでさすがに途中で食糧だけは買うつもりだった。けれど・・・。
「・・・そういえばこの装置の範囲ってどれくらいあるんだ?」
「それは実験したわよ。そうね、半径5センリーくらいの正方形の箱型の範囲だと思ってくれていいと思うの。上は正確には確認できなかったけれど、この装置の組まれた目的を考えるとそれでいいと思うわ」
2センリーあれば大人でも寝転がれることを考えると、かなり広い範囲とも言える。
リンシアがあの夜組み上げた後に確認した実験は、この範囲の特定と耐性がどこまであるか、だった。
装置を作動させて周りに火を放って範囲を確認し、水は樽を持ち込めなかったから水をかけて内部に透過するかの確認だけ済ませた。あとはイアラと二人で音の透過や気配の有無などを確認して、夜が明けそうになったので山を下りようとして屋敷の捜索隊を発見したのだ。
「・・・これは凄い発見なんじゃないか?もしかして」
ディスが思わずつぶやいた言葉に、セシムが重々しく頷く。
「もしかしなくても凄い発掘品ですよ。こんなものがあるなんて、聞いたことはないですからね」
その言葉にリンシアがちょっとギクっとする。
あの遺跡は、表の遺跡に隠されて地下にあった。その遺跡に関する本は、叔父の本棚の隅々まで探しても見つからなかったのだ。
もしかしなくても、世間では知られていないだろう。論文にされてなくても知っている人がいたとしても、ごく一部の人に限られるんではないか?という予測もあった。
だから安易にあの遺跡のことは人に話すべきではない、ということはリンシアにもわかっていた。
「私には遺跡の研究をしている叔父がいて、その叔父に小さいころから一緒に遺跡に連れて行って貰っていたの。だから研究者としては結構もう長いのよ、私も」
「ああ、そういうことなんですか。では今回の旅も遺跡を訪ねるのが目的なんですか?」
話題がそれてくれたことに内心ほっとする。
「そうなんです。一応ずっと帰って来ない叔父のことを訪ねようと思っているんです。ずっと遺跡の発掘、研究をしてると便りを受け取ったものですから」
「ああ、良かった。そういうことなら安心しました」
セシムの言葉にただの感傷で家出してきたお嬢様からは、ちょっとは認識が変わったかなと思うとちょっとだけうれしくなった。
「・・・もしかしてあなたと叔父さんが研究してきた遺跡は家の傍にあるのか?家から出たことないって言ってたのに、遺跡には通っていたってことだよな?」
「そ、そうなの。ちょうど近くに遺跡があったのよ」
内心これにはしまったと思いながらも、不審に思われないように頑張って笑みを浮かべてみせた。
名乗った時にリンシアは家名を名乗らなかった。でも女の足で5日の距離で遺跡の傍の貴族の家、というとかなり限られてくる。いくら助けて貰ったといっても、さっき会っただけの二人に、自分の素性が知られる気はまだなかったから。
「・・・セシムこれはもしかして、か?」
「そうかも、しれませんね。リンシアさん、私達は隣の国から来たのですが、失礼ですがリンシアさんの髪の色はこの国にそうある色ではありませんよね?」
「え、ええ。・・・私の母は異国の人だと聞いていますから」
髪の色は、リンシアにとって自分のコンプレックスの根源たるものだった。こんな色の髪の貴族なんて、この国には誰もいない。それは屋敷の召使い達のささやき声から知っていた。
「叔父さんのところへ向かうということでしたが、その叔父さんが今いる遺跡はここから遠いんですか?」
「・・・どうしてそれを?」
さすがにリンシアにも、セシムのその問いにはすぐには答えられなかった。
二人が悪意がない人なのはこうやって接していても感じられたけれど、善意で家に通報でもされたらリンシアにとっては最悪になる。
「いや、私達二人は見聞を広める為の旅に出てきたんですよ。まあ主にディスの、ですが。もし行く方向が一緒でしたら、ご一緒しようかと思いまして」
「そ、それは私達にはありがたいことなんですが・・・。どうしてそこまでしていただけるんですか?私は実際にディスが言った通りに家出娘ですから。厄介ごとの種にしかならないと思うんですけれど」
そう。もしリンシアが見つかった時に二人が一緒だったら。父が二人に責任を追及しようとする可能性はないとは言い切れないのだから。
「いや、こうして遺跡の発掘品を使い来ないしているリンシアさんを見てると、確かに研究したいという気持ちも分かる気もしましてね」
「まあ・・・。女だからって好きなことをやっちゃいけないっていうのは、不公平だと俺も思うよ」
二人の言葉に一瞬言葉に詰まる。確かにリンシアが家を出て来たのは好きな遺跡の研究を続ける為、ではあるけれど。そのことを出会ったばかりの二人が理解して申し出てくれた、というのはちょっと流石に都合が良すぎる気がする。
「・・・まあ警戒はされるでしょうね。ではこちらも本当のことを言いましょうか。ディスの家も実は遺跡とは深いつながりのある家なんですよ。ディス本人は研究はしていませんが、ディスのお父君は研究家でもあります」
「ええっ、そうなんですか?」
「・・・まったくお前勝手に。ああ、そうだよ。うちの親父も家から飛び出して世界回っている口なんだよ。俺のことは親父の実家に預けて、そのまんま放蕩放題さ。多分リンシアの叔父さんって人が知ってるかもしれないな」
「そう、なんですか・・・」
凄い偶然、なんだろうか。そういえば遺跡の発掘物なんて、普通の人はまったく何があるかなんて知らないことだったということにも気ずく。
この発掘品が今までにないものだと分かったのだから、知識があるということで。確かに身内に遺跡の研究をしている人がいる、という話には頷けた。
「だから、さ。こうやってまあ旅に出て、最初に知り合いになったのがあんた達だったからさ。親父があれだけ夢中になる遺跡ってものを、国ごとに見て回るのもいいかもしれない、とな。まあ思ったことは事実だよ」
「・・・叔父様から前に受け取った手紙には、リアナの港町のすぐ近くの遺跡にいる、と書いてあったの。だからとりあえずそこに向かおうと思っているわ」
まあ、手紙を受け取ったのももう半年も前のことなんですけどね。
叔父が本当にそこにいるのかはリンシアにも実は半信半疑ではあったのだが。とりあえずそこに行こうとは思っていたのは事実だった。
「リアナの港町っていうと、ここから大分東に行ったとこだったっけか?」
「確かそうだと思いましたね。私も一度だけしかこの国に来たことはないので、確信はもてませんが」
「多分東だと思いますわ。すいません、私も地図は頭に入ってますが、ここがどこだかは実は分からなくて・・・」
そう。イアラとも事前に打ち合わせて叔父のところへ向かおうと海の方へ向かって歩いていたのは確かだけれど、街道を通れない事情がある身としては自分が今どこにいるのかリンシアにもイアラにも分かっていなかったのだ。
「その叔父さんの居所がリンシアの親父にはばれてないのか?」
「はい。多分知らないと思います。手紙にもウェステア語で居場所は書いてありましたから」
「じゃあ、とりあえず盗賊をまいたら、街道へ出て街まで向かいましょう。そして馬車を買って移動することにしましょう。4人組なら多分ごまかせる筈ですよ」
「あの・・・。本当にいいんですか?ご一緒してくれたら助かりますが」
「遺跡に着いたら、ウェステア時代の説明でもしていただけたらそれでいいですよ。私とディスでは何を見ても分からないですし。後は叔父さんに紹介してくれたら助かります。ディスのお父上も今連絡が取れてませんのでね。何か知っていることもあるかもしれませんし」
「そういうことなら、宜しくお願いします。もし追手が来るようでしたら、私達のことはかまわずに別れて下さい。ご面倒をかけるわけには行きませんので」
なんとなく二人が何かを隠していることは感じたけれど、二人の言葉に嘘は感じなかったので今は二人を信じて同行することを決意した。
叔父さんに会ったら多分二人の身元もわかるかもしれないしね。
このディスとう青年も多分自分と同じ貴族だろう、ということは世間知らずのリンシアにも感じられた。
でもお互いに家名を名乗らないのは、多分お互いに探られたくない事情があるといることで、その方がなんだか信頼出来るような気がしたから。
「宜しくお願いします。食材が手に入ったら頑張ってお食事の用意はいたしますね」
リンシアの決定に、イアラはにっこりと笑顔で二人に挨拶で答えた。
イアラとしても大切なリンシアが守る為にこの二人が一緒に旅をしてくれるというなら、その方が心強いと思った。警戒するのにもその他大勢全部よりも、同行する二人だけならイアラにもなんとかなる、と。
「では食べて様子見たら出発しましょうか」
「ええ。そうしましょう」
こうやってたった二人で旅立った旅は、思わぬところで四人旅へとなることになった。
世界はまだまだ広いのよね。・・・海ってどれ程広いのかしら。
リンシアは浮き立つ心を抑えられぬまま、一度も見たことのない世界に今は希望に心を躍らせていた。