お嬢様でできること1
長い小説形式で書いていたので、長くなりすぎるのでわけて投稿します。
屋敷の中は普段より騒然としていた。廊下をすれ違う使用人も、どこか忙しげに早歩きで通り過ぎて行く。
「今頃なら・・・。お父様は多分書斎にいらっしゃるわよね」
この間まで王都につめていた父親も、エルヴィエラの婚約がまとまりそう、ということで色々と準備の為にこの領地の屋敷に戻って来ていた。
父親の居場所など、本当ならすれ違う使用人を呼び止めて尋ねればいいのだけれど、リンシアはこの屋敷では微妙な立場にいる為、自分専用の世話係のイアラ以外とはあまり接することさえなかった。
普段はこの屋敷の隣の離れの自分の部屋か、敷地外れの塔、父親が雇った家庭教師の授業がある時はその時々に使用する部屋、そして食事をする本館の部屋以外はあまり立ち入ることもなかった。
本当は食事も自分の部屋でイアラと食べた方が気楽でいいのだけれど、それだけは父親が許可を出さなかった。朝、昼、晩。ちゃんとドレスを着て、家族全員で食卓を囲むこと。その場がいかにきまずい雰囲気が溢れても、そのことだけは周りにも徹底して言い聞かされていた。父親自身は王都の別邸にいる時でも。
私としても、お養母様が私のことを嫌がるのは、無理もないと理解しているけれど。そのことを私自身が気遣うのも変な話になってしまうのよね・・・。
父親の正妻であるダグレオス男爵夫人、リンシアには義理の母となるメリエールにしてみれば、貴族として家の為に嫁いで来たとはいえ、旦那である男爵が仕事で行った隣国から連れて帰ってきた女の子供なのだから。
私が産まれた時に亡くなった母のことは、この家では口にする人もほとんどいないけれど、乳母から小さい時に少しだけ聞いたことがあった。父は母のことを攫うようにこの国に連れて来たと。そしてそのことを母も望んでいたのだと。
今の父親の姿からは、その話を聞いてもそのまま信じることは出来なかったけれど。でも正妻であるメリエールとも、二人で夫婦らしく話ている姿も見たこともなかった。
だから話かけることも、目を向けることさえもしないメリエールのことを、うらんだことも嫌だと思ったこともない。自分が義母の立場だったら、自分のことを許せないと思うから。
父親である男爵は、それとなく自分のことを気遣って教育も、洋服も、全て姉や弟と差別されたことはないけれど、年の半分以上は王都の屋敷に行って屋敷を空ける主人よりも、いつもいる夫人の方を使用人が気遣うことも当然のことだと思う。
「リンシア姉様」
「ユリアス。どうかなさったの?」
父親の書斎のある二階への階段を上ろうとしたところで後ろから呼び止められ、振り向くと弟の姿を認めた。
十歳になる弟は、姉と同じく母親に似て、濃いめの金茶の髪に薄い緑の瞳をしていた。あまり身体が丈夫ではないせいか線が細く、少年というより少女のようなはかなさがあった。
「何を言っているんですか姉様。今日は護身術の先生が来る日じゃないですか。先生も、姉様のこと待っていますよ」
いつも熱を出しては寝込んでいた弟が七歳になった時、このままではいけないと、身体を鍛える意味も込めて父親が弟に護身術の先生を雇った。それを聞いて自分も習いたいと無理を言って父親を困らせた。何度も淑女にはそんなものはいらないと言われながらも、何があるか分からないのだから、と説き伏せて今までそれだけは断固として拒絶していた、名家に嫁いだ時の女主人としての教育を受け入れることで許して貰っていた。
「まあ、そうでしたわ。ごめんなさい。すっかり忘れてしまっていたわ。・・・お父様にお会いしたかったのだけれど。いいわ。先生をお待たせするのも申し訳ないですしね。ユリアス。今から用意をするので、先に戻って今まいります、と先生にお伝えして下さるかしら」
「うん、分かった。じゃあそう伝えておくね」
手を振り、廊下を走って去る弟の姿を、微笑ましく思いながら見送る。
「走っては駄目よ、ユリアス。お行儀が悪いし、転んでしまうわ」
「はい、姉様」
「え?あ、エルヴィエラお姉様」
一瞬、光がはじけたと思った。窓からの光に金茶の髪がすけて、金色に光る。そんな金に彩られても遜色のない、色白の肌にバランス良く配置された顔。いつも見つめられると、その深い緑の瞳に、飲み込まれてしまいそうだと思ってしまう。
「ごきげんよう、リンティシア。今から護身術の授業なの?」
ユリアンと入れ替わるようにすぐ隣の扉が開いて顔を出したのは、弟と良く似た姉のエルヴィエラだった。
光にすけて金色に輝くような腰まである長い髪を一部だけ結い上げ、今日はドレスと同じ水色の上品なリボンで結んでいた。胸元と裾をかざるふんわりとしたフリルが、はかなげで上品な雰囲気を更に高めていて、妹の自分の目から見ても、とても美しい人だった。
姉は母親の違う私のことも普通に家族として接してくれて、母親の冷たさをまるで詫びるように私に対しては丁寧に相手をしてくれていた。私の名前、リンティシア・デゥ・ダグレオスという名前を、皆がリンティシア、なんて優雅な音は似あわないとリンシアと短く呼ぶのに、姉様だけは今でもリンティシア、と呼んでくれる。
別にリンシアでかまわないと思っているのだけれどね。私は。
リンティシア、なんていかにも貴族のご令嬢の名前より、リンシアと短く呼ばれる方が自分には合ってると、実は自分でも気に入っているのに。
「ええ。私ったらすっかり忘れてしまっていて。ユリアンが今呼びに来て下さったの」
「そうなの。でも貴方がこちらにいるのは珍しいわね。もしかしてお父様にご用事があったのかしら」
「ええ・・・。そうなのですが、先生をお待たせするわけにもいきませんし。出直して来ることにしたところです。あ、お姉様、この度はご婚約がお決まりになったとか。ご挨拶が遅くなって申し訳ありませんでした。おめでとうございます」
すっかり見とれて忘れていたことを思い出し、あわててお祝いの言葉を告げて頭を下げる。家族全員で食べる食事の場では、個人的に話しかけられる雰囲気などかけらもなく、こうして二人で話すことは婚約が決まってから初めてだったと気が付いた。
下げていた顔を上げた時、目に入ったのは姉の顔をかすめた寂しげな、悲しそうな表情だった。
「・・・ありがとう。でも、まだ本決まりってわけじゃないのよ。それでは、ご夕飯の時にね、リンティンシア」
「お姉様?」
今そんな表情を浮かべたのが嘘だったかのように、いつもと同じ優しげな笑顔で挨拶をして去って行く姉の姿を、つい呆然と見送ってしまった。
「ご婚約が決まりそうになって、あんなにお姉様が悲しそうなお顔をなさるなんて・・・」
姉は、良家の令嬢としての生き方を、すんなり受け入れていて当然のように思っていた。姉だって、自分と同じく考えることも、選ぶことも出来る感情を持った一人の人間だということに、その時になって初めて気づいたことに愕然とする。
「私、自分のことしか考えてなかったのね…」
自分は家の言いなりに生きることなんてしない。いつもそう考えて、今までこの屋敷の中でただ一人で生きていた気になっていた。
「・・・でも、今更引き下がることなんて出来ないわ。だって、お父様が望むような未来は、私にとっては選ぶ価値が一つも見いだせないのですもの」
ごめんなさい、お姉様・・・。
自分でもわけがわからずに、ただそう思った。
朝、昼、晩と三食は、毎日家族でテーブルを囲んでいた。いつも、誰もが無言で食べる食卓を。お父様も会話までを強制することもなかった。
だからいつも思っていた。ここに自分がいなかったら、みんなは普通に家族としての会話もあるのだろうか、と。
義母とは言葉を交わしたことは一度もなかったけれど、姉とも、弟とも、義理母が同席していない場所では、妹として、姉として言葉を交わしていた。それなのに、自分だけがこの家に受け入れて貰っていないつもりでいた。姉だって、色々想うことだってあったのだろうに。
「ごめんなさい・・・」
姉の姿が消えた廊下に一つつぶやくと、父がいるだろう書斎へと続く階段に背を向けて歩き出す。その心に、一つの決意を抱いて。
絶対に私は、この家を出ていくわ。このまま家の為に父親が選んだ相手と結婚をして、子供を産んで血を繋いで。ただそれだけの為に私は産まれたなんて、絶対に思えない。
だから。外へ、行こう。この屋敷から外の世界へ。
その決心を胸に、その準備の為に今は急いで部屋へと歩き出した。