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(4)

 ジネットはヴァネッサの部屋に行くと乱暴にドレスを脱いだ。いつもリゼットが手伝ってくれていた所為で、ドレスの正しい脱ぎ方なんて知らなかった。ドレスを脱ぎ捨てたジネットはクローゼットを漁り、一番奥から町娘の服を取り出した。



「……あった」



 ヴァネッサがエメの店に来るときに着ていた服だ。


 ジネットはそれに袖を通すと扉に向かった。だが、扉を触れようとした直前で、ひとりでに扉が開いた。


 ドアノブを見下ろしていたジネットの視界に黒い革靴の爪先が映っている。それを目に映した途端、切なさに胸が潰れそうになった。



「行くのか」



 頭上から降ってきた声でジネットは顔を上げる。見下ろしてくるラルドルフの顔は無表情で、ジネットには彼の感情が読み取れない。


 彼が一歩踏み出したのを見たジネットが一歩下がると彼は後ろ手に扉を閉めた。静かに扉が閉まる微かな音が耳に届く。


 彼は何か言いたげな顔をして、唇を開いた。だが、何も声にせずに口を閉じる。それを見たジネットは微笑した。



「もうあなたに護ってもらう必要はないから、わたしは帰るわ」



 その台詞を聞いたラルドルフが眉を顰めた。そんな彼をジネットは小さく笑う。



「冗談よ」



 誤魔化そうと笑顔を浮かべてみたが、見事なまでに崩れたのがジネット自身でも分かった。だから笑顔を作るのは諦める。


 沈黙がややあって、ジネットは吐息を零した。


 彼の手へと視線を落とす。



「本当はずっと護ってもらいたい。――でも、」



 このままずっと一緒にいられたらどれだけ良いだろう。


 けれど。



「あなたが好きなのはわたしじゃない」



 その声は、吐息と重なった。


 彼はやはり硬い表情のままだった。その彼の顔を見詰め、ジネットは彼の漆黒の瞳の中に自分が映っているのを見た。泣き出しそうな顔をしている自分に気付き、叫び出しそうな心を押え付けて、笑顔を浮かべる。



「叶わない恋のために王城に残れるほど、わたしは情熱的じゃないから」



 ジネットは町に帰るのだ。


 町で、きっとエメがジネットの帰りを待っている。


 あの薄暗い路地裏で。


 ずっと、待っていてくれているはずだ。


 帰ると言ったジネットを王妃は哀しそうにして、それでも、いってらっしゃい、と言ってくれた。まだ国王と王妃を許せる心はないけれど、彼女の言葉を受けてジネットは少し、心が楽になった。



「ジネット」



 低く、少し掠れた彼の声。


 その声の響きが少し感傷的に聞こえたのは、きっとジネットの心が弱っている所為だ。


 ここにいたいと願っている所為だ。



「……――ラル……」



 彼の名をなぞる、声は震えてしまった。


 痛みを覚えるように目を閉じた、ジネットの背中に回る腕がある。自分のものではない鼓動を額に感じ、けれどジネットは瞳を開かなかった。目を開けたら、きっと、町に戻る決心は揺らいでしまう。


 彼の吐息がジネットの耳朶を撫でた。



「またいつでも王城に来ればいい」



 ため息交じりの声は、少し疲れたような呆れた声だった。



「俺は、ここにいる」


「……国には帰らないの?」


「戸籍はこの国にある。死んだヴァネッサと婚礼を挙げたことになっているからな」



 ジネット、と囁く声は甘く掠れていて。



「……目を開けろ」



 続いた言葉に、ジネットは首を左右に振った。



「……開けたら、帰れなくなる」


「帰らなければいい」


「駄目。……エメが待ってる」



 彼の体温が離れる。それに、安堵と落胆の入り混じった複雑さが胸を満たしていく。


 ――その時。


 薄く瞳を開けたジネットは鼻先に彼の吐息を感じた。呼吸を奪われるように触れた唇の熱に、眩暈がする。


 そして、彼は彼女から離した唇を彼女の耳元に寄せた。



「待っている」



 ここで、ずっと。


 そう囁いた彼は、やさしく笑った。


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