(4)
告解でもするように、リゼットは両手を組んでいる。崩れるようにその場に膝をついたリゼットを、ジネットは見下ろしていた。
「気を失うくらいだって。脅す程度だって、そう言われたのです……」
ぽろぽろと涙を流す女の瞳に映った自分は、随分と冷たい目をしていた。
「そうすれば、怯えて婚礼なんて挙げられなくなるって……」
吐き続ける罪は、リゼットの掠れた声で。
「まさか、死んでしまうなんて……」
彼女の眼から流れる涙が、なぜか血の色に見えた。
ジネットは何も言わなかった。何を問うていいのかさえ、もう、分からなかった。
ただそんな心情の中でジネットは殺されたヴァネッサのことを思っていた。その彼女の耳に、リゼットの懺悔が流れ込む。
「私の母は国王陛下と恋仲でした。ですが、王妃様が現れて、母の想いは叶わず……ですが、その時には既に私が母のお腹の中にはおりました。それでも母はそれが陛下の子であることを隠し、ここで働き続けておりました」
リゼットはもう、ジネットを見られないようだった。視線を床に落とし、言葉だけをジネットへ届ける。
「おかしなことに、母は王妃様の直属のメイドで御座いました。ですから、王妃様が産んだ子供が双子であったことも知っていたのです」
わたしのことだ、と俯瞰するように思う。
「母が自分を捨てた陛下へのせめてもの仕返しだったのだと思います。母は双子の妹を殺したくないと泣く王妃様に、それならば街に置いて来ればいいと言いました。そうすれば拾って育ててくれる人もいるだろう、と」
そうしてジネットの運命は決まったのだ。
「母は王妃様が子供につけた名前を書いたカードと共に双子の妹を街へ置き去りに致しました。私はその事実を、母から聞きました。そして、そのことをヴァネッサ様にもお話したのです」
そうしてヴァネッサはジネットに会いに来た。出会ってしまった実の妹に、ヴァネッサは贖罪を決めたのだろう。
顔を上げたリゼットの目は赤く腫れていた。
「ヴァネッサ様は私の主であり、友人であり、姉妹で御座いました。ですが、私も母の子だったのです。私は、恋をしてならぬ相手に想いを寄せました。ヴァネッサ様がお慕いした相手に恋をしてしまいました」
ジネットの頭に過ったのは、自分の結婚相手だった。隻眼の彼に恋をしてこの女は狂ったのだろうか。
恋が彼女を狂わせたのだろうか。
「笑うヴァネッサ様を見ていると幸せでした。でも、つらかった……」
請う声に、ジネットは静かに目を伏せる。
「本当に殺すつもりはなかったのです。こんなことになるなんて」
ジネットに、リゼットの気持ちは分からない。どれほど愛おしくとも、ジネットは恋に狂う女ではないだろう。恋に溺れ、自分の未来をそれに任せられるほど強い恋情を持てるような女ではなかった。
ジネットの心は自分でも驚くほどに静かだった。ヴァネッサを殺した相手を目前にしたら、もっと荒れるものだと思っていた。
ジネットは一つ吐息を落とした。それから、静かな声調で尋ねる。
「……あなたのお母さんはどうしたの?」
「十年以上前に、自ら首をくくって死にました…愛する人の妻の世話をし続けることに疲れてしまったのです……」
「……そう」
リゼットの話が全て本当なら、彼女はジネットの異母姉ということになるのだろう。実感など沸かない、が。
それよりもジネットは気になることがある。彼女の話の内容を思い出しながら、口を開いた。
「……誰」
「え……?」
「誰が、ヴァネッサを殺した毒をあなたに渡したの?」
先ほど、リゼットは言ったのだ。
――気を失うくらいだって。脅す程度だって、そう言われたのです……。
言われた、と彼女は口にした。それはつまり、彼女が誰かに指示されてヴァネッサに毒を盛ったということではないのか。
「教えて、リゼット」
見開かれたリゼットの瞳を見つめ返す。ジネットは目を細め、浅い吐息を一つ零した。
「確かにわたしはヴァネッサに会ったことなんて覚えてないわ。でも」
覚えてなんて、いない。
けれど。
「それでも、彼女はわたしの姉だから。……許せない」
初めての出会いなんて覚えていない。
エメの店で、彼女が王女だなんて気付かなかった。
姉妹として出会ったことなんてない。だが、それでも彼女はジネットを想ってくれた。それだけで、ジネットが動くには充分だった。
「リゼット、あなたのことはラルから国王陛下に伝えてもらいます。でも、その前にやることがあるわ」
だから教えて、とジネットはリゼットと同じ目線になるように片膝をついて尋ねた。
リゼットはもう一粒、右目から最後の涙を零し、震える唇を開いた。相手の名を聞いたジネットは何も言わず、ただ瞳を伏せ、一度だけ首を縦に振った。
小さな衣擦れの音と共に立ち上がったジネットは歩き出そうとして、足を止めた。
「リゼット」
冷たく静かな声調で、声だけを彼女へ投げる。
「わたしはきっと一生あなたを許せない。でも、あなたがしてくれたことには感謝している。ここに来てからずっと傍にいてくれたのは、あなただもの」
王城での生活は、どれほど孤独だっただろう。その中で、唯一笑顔で接してくれたのはリゼット一人だった。例え嘘だったとしても、それはジネットの心を確かに柔らかくしてくれたのだ。
「ありがとう、リゼット」
告げたジネットは思い出したようにベッドの傍のナイトテーブルに向かった。その引き出しから短剣を取り出す。
「あなたは、ここにいなさい」
「でも、ジネット様は……」
それには何も答えず、ジネットは薄く笑った。
「あなた、わたしの名前知っていたのね」
皮肉ではない、それは嬉しさに似ていた。彼女もまた、ジネットをジネットとして思ってくれていた。
「ここにいて。わたしが自分でどうにかするから」
短剣は服の中に隠した。
踵を返し、思い出したように床に座ったままのリゼットに振り返る。
「ラルには、言わないでね」
「どうして……」
「これは、わたしとの約束。絶対言っちゃ駄目よ」
念を押して、ジネットは部屋を出た。
長い廊下を歩く。昼間だというのに、なぜか廊下が暗く感じた。
目を閉じたジネットの耳の奥にまだラルドルフの声が残っている。
――俺が、お前を護る。
彼は、そう言ってくれたのだ。
護ってくれる、と言った。だからこそ、ジネットは思うのだ。
彼には頼ることができない、と。
約束を破るような人ではないだろう。
国を守るために自分の心を傷付けてしまう人なのだ。
だから、彼には、頼れない。
ジネットが今まで大切だと思えた相手は片手で数えられてしまう程度の人だ。それしかいないから、やさしくしてくれた人の大切さを痛いほどに知っている。その人々を危険に巻き込むことなんて、したくはなかった。
(ヴァネッサはわたしに未来をくれると言った。だから、その未来を自分で選ぶ)
強くなりたい、とジネットは思った。
(わたしは強くなりたい。生きるために怯えるのではなくて、生きるために強くなりたい)
死を身近に感じたからこそ、生に縛り付けられるようにして生きてきた。
だが、それは怯えでもあった。
ここに来て、ジネットは知った。
自ら未来を選ぶことができることを。自分の力で乗り越えられるものがあるのだと、知った。
未来は、護るのではなく、選ぶことができる。
(わたしも、自分の未来を選ぶんだ)
見据えた先に、扉がある。
(ヴァネッサ……――)
あなたが、全てを教えてくれた。あなたを姉と知って会うことはなかったけれどせめて、あなたが生きていたことをなかったことにしなかったために、闘うと決めた。
ジネットは中庭へと続く扉を押し開ける。
その腕は、少し、震えていた。




