表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/28

第四章(1)

 ジネットはラルドルフの寝室でソファーに座っていた。


 ラルドルフは昨日と同じように用があると町に出かけて行ったため、今この部屋にいるのはジネット一人だった。彼が何をしているのかをジネットは尋ねなかった。城下へ出かけていく彼の背がジネットの口を噤ませたのだ。


 彼ももしかしたらジネットと同じようにヴァネッサの死の真相を知ろうと調べているのかもしれない。誰よりも一番彼女の死を嘆いたのは彼であったはずなのだから。



(どうしよう……)



 ジネットの手には、昨日部屋で見付けたヴァネッサの手紙がある。


 ヴァネッサから送られた手紙には彼女を殺した犯人を臭わす文章があった。これを、ラルドルフにも見せるべきなのだろうか。


 見せるべきなのだろう。


 だがジネットは未だにこの手紙をラルドルフに教えることができない。ヴァネッサを殺した犯人を知りたいと思うのは確かだ。けれど、それと同等に彼女の中で戸惑いもあった。このもやもやとした、不安とも似た感情は何だろう。



(気分が悪い)



 そう思ってジネットが目を細めていると、扉がノックされた。誰何するよりも先に開かれる。



「ヴァネッサ」


「……グラン」



 扉を開けて顔を覗かせたのは、グラン・ガヴィニエスだった。ジネットは手に持っている手紙を自分の背に隠す。そんなジネットの行動に気付かなかったのだろうグランが笑顔を浮かべて言った。



「ちょっと良いかな」


「何?」


「話でもしようか」



 何も話すことなんてジネットにはないが、こういう時のヴァネッサの対応が分からない以上下手に断れなかった。それに、こうして話に誘われるということはヴァネッサが彼の誘いを断ることはあまりなかったのかもしれない。ジネットはそう判断して、首を縦に振った。



「それじゃあ、中庭に行こう」


「ええ」



 部屋の外に出たグランを見ると、ジネットはベッドの枕の下に手紙を隠した。そして彼の後を追って中庭へ出る。


 グランは中庭にあるベンチに腰かけた。彼は空ている自分の右側をそっと叩く。



「ヴァネッサ、おいで」


「……」



 ジネットは首肯して、彼の隣に腰を下ろした。


 隣にいるグランの金髪が光に当たって、白くも見えた。品よりも強さが際立っているラルドルフと比べると随分と上品な空気を纏った青年だ。甘い匂いが漂ってきているようだった。



「ラルドルフ殿はやさしくしてくれているかな」


「……ええ」



 頷きながら、ラルドルフには良くしてもらっている、とジネットは思う。


 気に掛けてくれているだけではない。ジネットはヴァネッサではないのだ。それを承知の上で、ラルドルフはジネットを知ろうとしてくれている。彼はジネットを愛するのだと言っていた。そのためにジネットを知ろうとしてくれている。


 だが、時折そうではないのかもしれないと思う時がある。


 愛するために、彼がジネットの過去まで知る必要はあるのだろうか。それとも過去を知ることで、ヴァネッサを愛していたようにジネットのことも心から愛せるというのだろうか。



(ヴァネッサ……)



 ラルドルフはヴァネッサを愛していただろう。そして、今も。きっとそれは変わらない。



「……ラルはやさしいわ」



 続けて答えた声音が随分と感傷的で、そんな自分の声が気に喰わずにジネットは目を細める。不満などないのだから、こんな喋り方をする必要などないのだ。


 話を切り替えようとして、それでもジネットの頭からはラルドルフが離れなかった。夜中に聞こえた声で目を覚ませば隣で眠るラルドルフが随分と魘されていた。起こそうかと迷っている間に彼は再び規則的な寝息を立てたので、そのままにしておいたけれど。薄い月光の下で見た彼の顔には傷痕が濃く残る右目があった。



「……ねえ、グラン」



 ジネットは自分の手許に視線を落として、従兄に訊く。



「戦争ってつらいもの?」



 ジネットが想像できるつらさとは、飢えと寒さだ。真冬の石畳の上を裸足で歩く痛みと空腹の惨めさなら苦しいほどに知っている。だが。


 戦がどのようなものか、ジネットには分からない。学もなければ、その目で見たこともなかった。


 グランは困ったように首を傾げた。



「うーん。僕は行ったことがないから分からないけど、つらいものだと思うよ。戦場で手柄を立てれば、一生英雄として称えられるけどね」


「英雄?」


「ああ、確かラルドルフ殿はゴーワズの英雄だよ」



 思い出したように言って、グランは続ける。



「国王もそれを知って直ぐにラルドルフ殿とヴァネッサを結婚させようと決めたようだったからね。ゴーワズに資源を送る代わりに英雄を自分の血筋に加えることに成功したんだ」


「……英雄は、良いことなの?」


「良いことだと思うよ」



 良いことだと、そう言ったグランの顔に笑顔はない。苦笑にも似た、困ったように眉根を寄せた表情をしていた。



「ただ、僕なら英雄と呼ばれることと引き換えに戦をするくらいなら無精者と罵られていた方が良いけどね」



 英雄、の言葉の深い意味はジネットには理解できそうになかった。戦果を挙げて称えられる立場になるというのは、どういうものなのだろう。ラルドルフはそれが欲しくて、戦に参加したのだろうか。


 黙然としたジネットが険しい表情していた所為だろう、グランはさらに話をする。



「けど、戦争が世界の経済を回している。戦争をすることで膨大なお金が動くからね。なかなか、戦争はなくならないよ」



 グランはそう話したが、ジネットの耳にその内容はあまり入ってこなかった。代わりに、自分の頭を過った不安を言葉に乗せる。



「……この国で戦争が起きたら、グランもラルも戦に行ってしまうの?」


「そうだね。僕もラルドルフ殿も王族だ。先頭に立って指揮するべきだろう」



 戦場というのは、人が死ぬところだろう。それは学がないジネットにも分かる。ラルドルフの右目を見れば、分かるのだ。



「グラ――」


「ヴァネッサ」



 ジネットが口を開いた時だった。その声に重なって呼び声がかかった。


 目を向ければ、眉を顰めたラルドルフの姿があった。



「借りるぞ」



 ラルドルフはグランにそう短く告げると、ジネットの右手首を掴んだ。そのまま背を向けると、彼女を引っ張って歩き出す。



「ラル……?」



 ジネットは首を傾げ、自分よりも高い位置にあるラルドルフの後頭部を見上げた。



「どうしたの?」


「……面倒なことになった」


「面倒なこと?」


「ブラディが来た」



 ブラディ、の名にジネットの足が止まりそうになる。だが、ラルドルフに手を引かれているため、足は止まらなかった。


 ブラディの名を、ジネットは忘れたことはない。ジネットが生まれてからエメに拾われるまでの間、世話になっていた家のファミリーネームだ。年端もいかない少女を女中のような扱いをしていた人物。


 ジネットの顔から血の気が引く。指先から体温が消えていくようだった。その所為か、ラルドルフに掴まれた手首だけが発熱しているかのようにひどく熱い。



「上手く誤魔化せ」


「ご、誤魔化すって……だって……」


「国王には先ほど伝えた。異端者は排除しろと言われた。どういう意味か分かるか?」



 ラルドルフがジネットを一瞥した。



「誤魔化せられなければ首を刎ねられるぞ」



 ジネットが目を剥く。瞳孔が開いたように、目の奥がちかちかと痛かった。それとは反対に、心音が驚くほど静かになっていく。このまま死んでしまうのではないかと思うほどだった。


 ジネットの顔を見ていたラルドルフが目を細める。



「無理か?」



 いつもは鋭い彼の声が、少しだけやわらかいような気がした。


 言うと同時に足を止めたラルドルフの顔をジネットは見上げる。



(痛い)



 声が出ないジネットが思ったのは、痛みだった。


 右腕に刻まれた傷跡がじりじりと痺れるように痛んでいた。同時に思い出すのは、ガラスの割れる耳障りな音と、心を殺そうと必死だった幼い自分の感情。その激流に飲まれてしまえればどれほど楽だろう。だが、それはできないのだとジネットは思った。


 ヴァネッサの手紙を思い出す。



 ――私が貴女に、未来をあげる。



 未来を選択できるのだと会ったことのない姉は言った。もし、本当に自分の手で選ぶことができるのなら、ジネットは過去と決別するべきなのだ。つらかった過去を乗り越えて、強くなりたかった。それなのに、唇が不愉快なほどに戦慄く。



「わた、し」


「忘れるな」



 震えるジネットの声を遮ったのは、強い、彼の声。



「俺がお前を護る、と言っただろ」



ジネットが襲われた夜に告げた彼の台詞。


 彼はただ一つの、黒真珠のような左目でジネットの震える双眸を見詰めている。何も言えないジネットの右手を、彼は自分の右手で握り締めた。



「俺がお前を護る」



 まるで誓いのようだ、とジネットは思う。


 婚礼の常套句よりも、ずっと。



「傍にいる。無理なら俺を見れば良い」



 それは助けてくれるのだと、彼が言ってくれているのだと分かった。



「ど、して」



 どうしてそれほど良くしてくれるのだろう。


 問おうとしたその時だった。激しい足音がジネットの声を遮った。



「ヴァネッサ様! こちらへ」


「……リゼット」



 ラルドルフが現れたメイドの名を口にすると同時にジネットから手を離した。駆け寄ってきたリゼットはジネットの目前で足を止める。



「お召し物とお化粧を直ぐに」


「でも」


「大丈夫です」



 リゼットは力強い笑顔を浮かべて言った。



「貴女ならできます」



 確信のような、その声。



「私は二人も主人を殺されたくはありません。お願い致します、仕度を」



 切実な強いリゼットの目がジネットを捉えている。


 ジネットは一度目を閉じ、灰青色の目を開くと頷いた。



「分かったわ」



 リゼットと共にジネットは歩き出す。


 過去の自分の声が鼓膜に張り付いている。瞬きの一瞬でさえ、暗闇を見れば過去の情景が浮かんだ。だがその全てを受け入れ、決別することができるのは、今なのだと自分に言い聞かせる。



(強くならないといけない)



 弱いままでは、何も変わらない。


 不本意な過去と現在だとしても、ジネットは生きていたかった。もう一度、エメに会いたかった。ヴァネッサの死の真相を、知りたかった。


 部屋でリゼットにドレスを着せられながら、ジネットは口を開いた。



「……リゼット、ひとつだけお願いがあるの」


「私にできることでしたら喜んで」



 即答したリゼットに、ジネットは笑みを零した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ