表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/28

(4)

 夢を見た。


 戦を終え、ラルドルフが母国に帰還した時のことだった。兄はラルドルフよりも先に王城に帰っていたらしく、傷の手当てをされながらも擦り切れたラルドルフの物とは違い、傷一つない綺麗な服を纏っていた。



 ――おお、おかえり。



 ただいま、と答えながらラルドルフは兄の前に立った。兄はラルドルフの右目を見ると、哀しそうに眉を顰め、目を細め、頬の筋肉を強張らせた。心も体も強靭な兄のそんな表情は初めて見た。いつも笑顔の多い兄の嘆きや涙は見たことがない。


 だが、兄のその表情も一瞬。直ぐに笑みを浮かべると、包帯の巻かれた右腕で彼はラルドルフの肩を叩いた。



 ――お前のおかげだよ、ラルドルフ。



 何が、とは問わなかった。


 ラルドルフはこの度の戦で誰よりも戦果を挙げていたのだ。誰よりも働き、誰よりも戦い、そして生き抜いた。


 だが続いた兄の言葉に、ラルドルフは浮かべていた笑みを凍らせた。



 ――お前は、この国の英雄だ。



 英雄、なんて。


 そんな名誉はいらなかった。そんな呼び名は欲しくなどなかった。


 英雄などではない。ただ、自分は自分の国のために人を殺したのだ。その報いが、この失った右目と鮮明に残る血と硝煙の臭いだ。



(英雄などではない)



 心の中で、兄の言葉に反論した。



(俺は、英雄じゃない)



 口には出せない。戦は国を守る方法だ。そして、戦で最も活躍した者は英雄と呼ばれる。


 国民は彼の考えとは異なり、彼を英雄だと讃えた。彼を見るたびに誰もが彼の活躍を称賛し、中には涙を浮かべて感謝を口にする者までいた。その人物の子や親は戦で死んだというのに。人を殺し生き残った王子を誰もが英雄だと言う。


 ラルドルフは自分の心を護るためにも、もうこの国にはいられないと思った。このままここにいては、自分はいつか狂ってしまう。


 そんな時だった。


 国王から、王国ジェネフィードへ婿に行けと命じられたのは。


 それを兄に伝えると、彼は、そうか、と短く言葉を落とし、それから笑った。



 ――お前はこの国のために行くのかもしれない。でもな。



 ラルドルフと同じ漆黒の瞳と目が合った。自分よりもずっと活力に満ちた兄の目は強かった。その瞳に映った自分を見て、兄の言葉を受けた。



 ――お前が嫌なら無理にとは言わない。この国は俺が護るから。



 兄の言葉は鮮明で。力強さがあった。彼の言葉を疑う余地もないほどに、強い、兄の声。



 ――戦で雄姿を見せてくれたお前はこれから自分のやりたいことをやってほしいと、俺は思うんだ。



 そう願って、兄は笑っていた。


 その後、ジェネフィードへ戦果の報告を終えると、ラルドルフは庭で暇そうな顔をして空を見上げているヴァネッサに出会った。その前にラルドルフが立ち寄った玉座の間には国王と王妃がいた。王妃は申し訳なさそうに、ヴァネッサが駄々を捏ねて、と謝罪をしてくれた。


 その王女が、ぼうっと庭で空を見上げている。椅子ではなく、彼女は春の花が咲く花壇の前に広がる芝生に直接座っていた。その彼女の眼が、ラルドルフに向いた。


 美しい少女だった。特に印象的だったのは、灰色と青色が混ざったような、瞳の色。


 その彼女は一瞬でラルドルフが将来の自分の婿だと気付いたらしい。彼女は口元で薄く笑うと首を傾げた。



 ――戦は楽しかった?



 皮肉だと直ぐに分かった。軽蔑されているのだろう、と思いながら、彼女と同じように口元に薄く笑みを浮かべてラルドルフは言った。



 ――楽しいと思うか?



 国で毒舌だと言われた舌を存分に働かせて。



 ――王女が地べたに座るとは、随分と教育が行き届いてい ると見える。


 ――この国は貧乏だからね。そうかもしれないわ。



 しれっと、一国の王女がそんなことを返してくるものだから。


 ラルドルフは何も返す言葉を持たなかった。



 ――戦争のために資金を渡して。見えるところだけ綺麗に飾るの。貴方も得意でしょう?



 微笑する彼女の表情は作り物だった。普段はぴくりとも笑わない女のだろう、と容易に想像できてしまうほどに。



 ――戦など、人を殺す以外に何がある。



 気付けば、親にも兄妹にも友にも言ったことのない言葉がラルドルフの口先から突いて出ていた。



 ――国を救っても、命は救えないのだ。



 そう口にすれば、戦時中の光景が見る見るうちに目前に広がった。断末魔が鼓膜を裂き、火薬の臭いが鼻孔を焼き、炎の熱が喉を嗄らし、人々の目が彼の心を刺した。その痛みから逃れるようにラルドルフは残った目を閉じる。



 ――……あなたも、傷ついたのね。



 そのヴァネッサの声でラルドルフは瞑っていた隻眼を開いた。震えるほどに握っていた拳を開く。


 彼女の顔に笑顔などなかった。だが、空気が先ほどとは全く違っていたのを覚えている。



 ――暫く、ここにいればいいわ。私の話し相手になって頂戴。



 それだけ告げたヴァネッサは再び空を見上げた。


 それが彼女の優しさだった。その優しさにラルドルフは心を震わせ、唇を震わせた。そうして零した一粒の涙はもう二度と開くことのない瞳から頬を伝い落ちた。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ