異世界召喚
「ってことで、あんたには私たちの国を、そしてグレイトベッド大陸を救ってもらうわ。」
腕を組んでだるそうに立つオレンジ色の髪の少女が何てこともないようにそう言った。
しまいには自分の髪を肩の辺りでくるくると弄りだすしまつ。
「文句ある?」という少女の心の声が聞こえた気がした。
その少女も独り言を言っている訳ではない。
少女の正面には、何故かずぶ濡れの少年。
その髪はこの世界には珍しい黒髪で、何処と無く異様な雰囲気を放っていた。
「オッケー!俺っち世界救っちゃう‼ってなるかぁ‼アホかぁ!」
「うわっ‥‥‥何一人で喋ってんのコイツ‥‥‥きm‥‥‥。
こほん、そういう訳にもいかないわ。不本意だけどあんたが救世主みたいだから。」
「おい、何て言いかけたんだお前。」
少年がそう聞くと返ってきたのは大きな溜め息。
しかもその動作にはいくらかオーバーなところがあった。
それが全てこの少年を苛立たせるための行動であることは言うまでもない。
イチイチ癪に触る奴だな、と言うのが目の前の少女に対する少年の第一印象だった。
こうなった経緯はさておき、救世主って何だとか、何すればいいんだとか、聴きたいことは山ほどある少年だったが、今そんなことを聞こうと思える程心に余裕のないのも事実だった。
なぜなら眼下に広がる現代の日本とは似ても似つかない町並みと見渡す限りの草原に、ここが地球とは違う世界であることを実感させられた少年の心は、驚きと呆れ、そしてワクワクする気持ちで一杯だったからである。
少年は自分達のいる、ファンタジーチックな町並みを一望出来る岡の上でぼそりと、言った。
「ま、いいかな。面白そうだし。」
少年が何の気なしに呟いた一言に少女は勿論、少年自身も驚いていた。
「‥‥‥意外ね、もっと慌てるものだと思ってたのに。」
「俺もさ、でも何でか落ち着いてるんだな、これが。
‥‥‥だから、そんなつまんなさそうな顔で見ないでくれるかな、君。」
「本当につまんないわ、あんた。
もっと叫んで、喚いて、みっともなく鼻水垂らすかなんかして、もっと私を楽しませなさいよ。」
「お前を倒せば世界は平和になるんじゃないかな。」
少年がそう言うと少女はふん、というようにそっぽを向いてしまった。それから暫く少女の綺麗に整った横顔を眺めていた少年はふと、思った。
「お前‥‥‥もしかして、上手いこと言い返そうとしてる?」
「うっさい!!」
「ハウッ!」
少女の恐らく鍛えているだろうしなやかな脚が、少年のどうやっても鍛えられない股の間を無慈悲に蹴りあげた。
少年は患部を抑え、体を折り曲げ、ガクガクする膝をゆっくりと地に着けて静かに‥‥‥息を引き取った。
「物語が終わるわっ!!」
勢い良く上半身を起こした少年を、蔑むかのように見下ろす少女の顔は羞恥心から少し赤くなっており、先ほどの少年の一言がどうやら図星であったらしいことがわかる。
暫くして生まれたての小鹿のように立ち上がった満身創痍の少年と目が合うと、少女は後ろめたそうに顔を背けて歩きだした。
「お、おい。何処行くんだよ。」
少年の当然の質問に、先をいく少女がその長いオレンジ色の髪を風になびかせながら振り向いて、言った。
「何処って‥‥‥王城よ。」
「だから何処って‥‥‥ああ、あれね‥‥‥。」
さっき見たときにはでかすぎて気付かなかったが、円形の町の中央にバカみたいな大きさの建物が建っている。
「‥‥‥さすが、ファンタジー様だな。」
そう、一言いうと少年は股間を抑えながらくねくねとした艶かしい動きで少女の後を追った。
人生何が起こるか分からないものである。
流れで異世界を救う事になった少年の地球での、日本での朝は少なくとも少年にとっていつもと変わらない朝だった。
河川敷沿いの道を爆走する自転車が一台。
少年はこの日も時間と戦っていた。
「はっ、はっ、もっと、はや‥‥‥く、漕げる筈だ‼
頑張れ、よ!俺っ!」
毎日の様に時間ギリギリで教室に入り遅刻を免れてきた少年には、背負うものがあった。
そう、皆勤賞である。
それ故に、少年は必死であった。
それこそ、周りにいる人がすごい勢いでひくほどに。
「あ、と、ちょっとっ!‥‥‥見えたっ!門っ!」
喜びに満ちた表情が一転、その心は一気に沈んでいく。
それもそのはず、その校門が今まさに『教員』という悪魔の手によって閉められようとしているからである‼
時間的にも裏から駐輪場に入るのではどうやっても、朝のホームルームに間に合わない。
ならば、と少年は唇を噛み締める。
目指すは縁石。少年は縁石に猛スピードで衝突、と同時に己の全ての筋肉を総動員して縦回転。
そして、シャッターを、教員を飛び越えて、天に舞い上がったーー。
「はい、清水君遅刻ね。」
教室のドアを開けた瞬間、先程の言葉と一緒に、何か固いものが頭に打ち付けられた。
「って~‥‥‥。酷いよ柴田ちゃん‥‥‥。」
清水少年がそう言うと、柴田と呼ばれた若い女性は溜め息をつき
「先生って呼ぶ‼」
そう言って再び本の角で清水少年の頭を打ち付けた。
周りの男子はそれを楽しそうに笑い、女子はとてつもなく残念なものを見る目で清水少年を眺めていた。
容姿は良いのに、と言うのが大半の女子の感想である。
笑い声で騒がしくなった教室に落ち着いた先生の声が響く。
「はーい。みんな静かに!ホームルームはまだ終わってないわ。
途中になって申し訳ないわね、日野さん。
今来たバカがいるから、もう一度最初から自己紹介頼めるかしら。」
前半は皆に向けられた言葉。
後半はーー清水少年は先生が振り向いた方に顔を向けた。
そこには、驚いたように目を見開いて清水少年を見つめる美しい少女が立っていた。
「‥‥‥日野さん?大丈夫?」
先生が怪訝そうにそう言った。
「‥‥‥あ、え?は、はい大丈夫ですっ!」
日野さん、と呼ばれた少女が慌てたように清水少年から目を反らした。
「清水も早く席につくっ!」
「へーい。」
少年も何でもなかったように自分の席に向かう。
清水少年が席につくと、日野さんが口を開いた。
「日野若菜といいます、よろしくお願いします。」
そう言って頭を下げた。
途端に拍手が巻き起こる。
聞こえてくる音の中には、「モデルみたーい」や「美少女キター」等という声も入っていた。
日野が顔を上げた一瞬、少年は彼女と目があった気がした。
流れで一時間目が始まった。
その間も日野がチラチラと見てくるのを、清水少年は努めて気づかないふりをしながら過ごした。
勿論、授業の内容は全く頭に入っていなかった。
それから昼休みまで、清水少年は同じような時間を三回繰り返したのだった。
そして昼休み、清水少年の目の前には赤みがかった長い茶髪が揺れていた。
日野というこの少女に呼び出されたのである。
声をかけられて教室を出るときは、それはもうすごい騒ぎだった。「裏切り者ー‼」や「騙されちゃったか、見た目に。」等という声を背中に浴びながら教室を出たのである。
前者が主に男子で後者が主に女子である。
暫く廊下を歩き続けた日野は空き教室の前まで来ると、カラリとそのドアを開けた。
そのまま教室に入っていく日野に続いて清水少年も教室に入っていく。
普段は鈍い清水少年もこれから何が起こるかは容易に予想できた。清水少年も健全な男子高校生である。
ちょっと期待しちゃったりしていたのである。
教室に入って暫く、なかなか喋らない日野に痺れを切らした清水少年が口を開こうとしたその時、
「運が良かったわ。」
目の前の少女が日野らしくない強めの声音でそう言った。
「もっと時間がかかるものだと思っていたけど、こんなに簡単に見つかるなんてね。」
「ひ、の‥‥‥?何言って‥‥‥。」
振り返った日野の髪の毛はいつの間にか濃いオレンジ色に変わっていた。目の色は燃えるような赤だった。
その眉はいくらか苛立たしげに歪んでいる。
「とぼけないで、貴方のそのふざけた魔力を見ればわかるわよ。それも真っ赤な、ね。」
清水少年は回らない頭で何とか、どうやらおかしな展開になっていることだけは理解した。
「何の、話だ‥‥‥お前は一体何者だ。」
「イングラザール王国、王女親衛騎士団団長。
‥‥‥お前を拐いに来た。」
日野はそう言ってにやっと笑った。
いよいよ、ヤバい状況であることを察した清水少年は踵を返して空き教室のドアにダッシュした。
廊下に出ようとドアを引いたが、ドアはピクリとも動かない。
「クソっ!開かない!?」
「無駄よ。もう召喚中だもの。」
「なっ!?」
その瞬間空き教室は目映い光に包まれた。
「うわぁぁぁああっぁ!」
今清水少年はパラシュートのないスカイダイビングをしていた。
「いや、それってただの飛び降り自殺ぅぅー‼」
恐怖から叫びまくる清水少年の横にスーっと日野が落ちてきた。
「本当にあんた、いちいちうるさいわね。
喋ってないと死んじゃうとかそういう病気なの?
やだ、うつさないでよね。」
日野の酷い言いようにカチンと来た清水少年は、
視界の隅でバサバサとはためく日野のスカートに右手を突っ込んでその形のいい尻を揉んだ。
「ひっ、ひゃんっ!」
「おおっとぉ!不可抗力ぅーっ!これは不可抗力だから仕方がないぃぃー‼」
日野が朱の差した顔に涙を浮かべて清水少年を睨んだ。
「揉むなぁっ!このっ!変態ぃぃーーーっ!」
そう言って空中で縦に回転した日野は全力の踵落としを清水少年の背骨めがけて打ち込んだ。
その瞬間、清水少年は爆発的な加速をつけてそのまま、都合よくあった湖に突っ込んだ。
隣では日野が地面に向けて何やら呟くことで地面がクッションの様になり、怪我をすることなく着地した。
ずるずると湖から這うようにして出てきた清水少年を心底気持ち悪そうに眺める日野にさっきまでの清楚さはなかった。
「日野‥‥‥よくも‥‥‥。」
「あら、私が湖に落とさなければ死んでいたのよ?
感謝のひとつもしてもらいたいものだけど。」
恨みがましそうな目で日野を見る清水少年とは対照的に、当の日野は済まし顔である。
「他にもやりようはあったんだろ?」
「無いわ。」
「じゃあ、お前はどうやって着地したんだよ。」
「‥‥‥うっさいわね、もとはといえばあんたが私の、おお、おし、お尻をさ、触ったのが悪いんじゃない‼」
「柔らかかったです。」
「死ねっ!」
清水少年はみぞおちに入った日野の拳に堪らず地面に転がった。
これが清水少年と日野少女の俗にいうボーイ・ミーツ・ガールの顛末である。
最悪である。