第77話『賢者の塔からの使者』
ゴドウィンが賢者の塔へ向かってから十日が経った。オルターナ領には静かな日々が流れているが、その平穏は長くは続かなかった。王都から、思わぬ客人が訪れる──
ゴドウィンが出発してから十日。
オルターナ領には、ここ数年になかったほどの平穏が訪れていた。魔導農園は順調に稼働し、作物は豊かに実り、人々の暮らしは少しずつ豊かになっている。カイルを失った悲しみはまだ癒えないが、リナは父の遺した技術を活かし、新たな装置の開発に励んでいた。
「ミレーヌ様、西の畑の小麦、今年は例年の倍は取れそうです!」
エズラが嬉しそうに報告に来る。
「それは良かった。でも、無理はしないでくださいね」
「ははは、この老いぼれ、まだまだ働けますよ!」
そんな穏やかな日々の中、ミレーヌはふとゴドウィンのことを思い出していた。
(無事に到着したのかな……)
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その日の午後、領地の門
「ミレーヌ様! 王都から客人です!」
ガルムが慌てた様子で報告に来る。
「客人? 誰ですか?」
「それが……名乗るには及びません、と。『ゴドウィンの旧友』とだけ」
ミレーヌは眉をひそめた。ゴドウィンの旧友? 彼からそんな話は聞いていない。
応接間に向かうと、そこには一人の女性が立っていた。年の頃は四十代半ば、落ち着いた灰色のローブをまとい、知性を感じさせる眼差し。彼女はミレーヌを見るなり、優雅に一礼した。
「初めまして、オルターナ伯爵家当主。私はセレスタ・フォン・ライエン。賢者の塔、第三円環『応用魔導研究所』の者です」
ミレーヌの警戒心が一瞬で高まる。賢者の塔。ゴドウィンを追放し、父を利用し、ギデオンと手を組んだ場所。
「ゴドウィンの……旧友?」
「ええ」セレスタは穏やかに微笑む。「彼とは若い頃からの知り合いです。同じ開放派として、長年研究を共にしてきました」
「ゴドウィンは、塔に追放されたはずですが」
「ええ。彼が追放された時、私は止められませんでした。力が足りなかった。それが今も悔いています」
その言葉には、偽りのない哀しみが込められていた。
「それで、何の用で?」
「まずはこれを」セレスタは一通の封筒を取り出した。「ゴドウィンからです。彼が塔に到着した時、私に託されました」
ミレーヌが封筒を開けると、そこには見慣れた筆跡があった。
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『ミレーヌ様
無事、賢者の塔に到着しました。
セレスタは私の旧友で、信頼できる人物です。
彼女は開放派の中でも、特に穏健な立場を取っています。
何かあれば、彼女を頼ってください。
塔の中は予想以上に混沌としています。
統制派はまだ力を保っていますが、ギデオン失脚の影響は大きい。
私の証言が、どれだけ受け入れられるかはわかりません。
しかし、やるべきことをやります。
領地のことは、お任せしました。
必ず戻ります。
ゴドウィン』
ミレーヌは手紙を読み終え、セレスタを見上げる。
「ゴドウィンは……今、どうしていますか?」
「彼は統制派の裁判で証言しています」セレスタの表情が曇る。「三十年前の事件の真相、遺物の兵器化計画、そしてギデオンたちとの癒着。彼の証言は、塔の中に大きな波紋を広げています」
「それは……危険ではないのですか?」
「ええ。統制派はまだ力を持っています。彼らはゴドウィンを『裏切り者』『危険な革命家』と呼び、排除しようとしています」
ミレーヌの手が震える。
「しかし、彼には味方もいます」セレスタは真剣な表情で言う。「開放派の者たち、そして……彼の証言に心を動かされた若い研究者たちが、彼を支えています」
「それで、あなたはなぜここに?」
「二つの理由があります」セレスタは指を立てる。「一つは、ゴドウィンの安否を伝えること。もう一つは……」
彼女は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「あなたに、これを届けることです」
ミレーヌがそれを受け取ると、それは古い記録の写しだった。そこには、三十年前の事件に関する詳細な報告書が記されている。
「これは……?」
「賢者の塔が隠してきた真実の記録です」セレスタの声には怒りが込められていた。「遺物の兵器化実験、暴走の真相、そして……ゴドウィンに全ての罪を着せた計画」
ミレーヌは目を通していく。そこには、父の名前もあった。遺物発見の経緯、賢者の塔との接触、そして──
「これ……父も、最初は兵器化に反対していた?」
「ええ。あなたのお父様は、最初は遺物の農業利用を考えていたようです。しかし、統制派に取り込まれ、次第にのめり込んでいった」
ミレーヌは複雑な気持ちで記録を閉じた。父は最初から悪人だったわけではない。何かに取り憑かれるように、少しずつ道を誤っていった。
「なぜ、今これを?」
「ゴドウィンが言っていました」セレスタは優しく微笑む。「『彼女は真実を知るべきだ。たとえそれが辛くても』と」
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その夜、領主館の書斎
ミレーヌは一人、記録を読み返していた。そこには、父の知られざる姿があった。
『オルターナ伯爵、当初は兵器化に強く反対。
「この力は人を育てるためにある。壊すために使ってはいけない」と。
しかし、度重なる実験失敗と研究費の枯渇に伴い、
徐々に統制派の主張に傾いていく。
最終的には、兵器化計画の中心的協力者の一人となる』
『伯爵は研究のため、多額の借金を重ねる。
ダンロップ商会からの借入金は、総額で──』
『伯爵、最期に後悔の言葉を残す。
「私は間違っていた。ミレーヌに、この借金だけは背負わせたくない」と』
ミレーヌは深く息を吐いた。
(父さん……あなたは、間違っていた。でも、最後には気づいていたんだね)
その時、扉をノックする音がした。
「ミレーヌ様、よろしいですか?」
イザベラだった。彼女はセレスタの訪問を聞きつけ、心配して来たらしい。
「話があるって聞いて。大丈夫?」
「うん……ちょっと、いろいろあって」
ミレーヌは簡潔に事情を説明した。賢者の塔からの使者、ゴドウィンの手紙、そして父の真実。
「大変だったのね……」イザベラはしばらく考えてから言った。「でも、それで全部、繋がったんじゃない?」
「繋がった?」
「ええ。お父様がなぜあんなことをしたのか。なぜ借金がそんなに膨らんだのか。そして……なぜゴドウィンがあそこまであなたを守ろうとしたのか」
ミレーヌは頷いた。確かに、全ての点が線になった気がする。
「ミレーヌ様、一つ聞いてもいい?」
「なに?」
「あなたは……ゴドウィンを許せるの?」
ミレーヌはしばらく沈黙した。
「……まだ、わからない。でも、彼のしたことを『間違い』だったとは思わない。方法は間違っていたかもしれないけど、彼は私を救おうとしてくれた。それだけは、確かだから」
イザベラは優しく微笑んだ。
「それでいいんじゃない。許すかどうかは、時間が解決するわ」
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数日後、領地の門
セレスタは帰途につくことになった。
「ミレーヌ様、この数日、お世話になりました」
「こちらこそ。ゴドウィンのこと、よろしくお願いします」
「ええ」セレスタは頷く。「彼はきっと戻ってきます。あなたに裁かれるために」
「裁く……ですか」
「ええ。彼はずっとそう言っていました。『彼女に裁かれるまでは死ねない』と」
ミレーヌは胸が熱くなるのを感じた。
「私、裁くつもりはないんです。ただ……彼に帰ってきてほしい。それだけです」
セレスタは優しく微笑んだ。
「その言葉、彼に伝えます」
馬車が動き出す。セレスタの姿が次第に小さくなっていく。
「戻ってきて、ゴドウィン……」
ミレーヌの呟きは、春の風に乗って遠くへ消えていった。
賢者の塔からの使者、セレスタの登場。彼女を通じて、父の真実がさらに深く明らかになりました。父は最初から悪人だったわけではない。少しずつ道を誤っていった――そこに、人間の弱さと哀しさがあります。
そしてゴドウィン。彼は「裁かれるため」に戻ってくると言い続けていますが、ミレーヌは「裁くつもりはない」と。二人の関係性が、少しずつ変化していく予感です。
次回、第78話『ギデオンの最後の言葉』では、王都の牢獄にいるギデオンから、ミレーヌに最後の面会を求める手紙が届きます。彼が最期に遺す言葉とは?
お楽しみに!




