第73話『決戦 - 遺物の前で』
イザベラ救出は成功したが、ギデオンは逃亡。ガルムの負傷も重く、オルターナ領は歓喜と悲壮が入り混じる空気に包まれていた。しかし、その夜明け前──最悪の知らせが飛び込む。
救出作戦から三時間後。東の空が白み始める頃、オルターナ領の領主館では緊急の治療が続いていた。
「ガルム隊長の傷は深いですが、命に別状はありません」
薬草に詳しい老婆が包帯を巻きながら報告する。
「しかし、当分は剣は握れませぬ」
ガルムはベッドに横たわり、悔しそうに拳を握る。
「申し訳ありません……役立たずで……」
「何を言うのです」
ミレーヌがそっと彼の肩に手を置く。
「あなたがイザベラ様を守らなければ、彼女は死んでいた。それだけで十分です」
隣の部屋では、イザベラがエイランの介抱を受けていた。彼女の体には無数の傷があり、心の傷も深そうだ。しかし、目だけはしっかりと開かれていた。
「ミレーヌ様」
イザベラがかすれた声で呼ぶ。
「ギデオンは……まだ逃げている。そして彼は……きっと最後の賭けに出る」
「最後の賭け?」
「ええ。彼は……賢者の塔から、ある『最終手段』を渡されていると聞きました。それは……古代遺物そのものを暴走させ、周囲一帯を消し飛ばす力があるとか」
その言葉に、その場にいた全員が凍りついた。
「それを使う気か……?」ゴドウィンの顔色が変わる。「馬鹿な! そんなことをすれば、彼自身も消し飛ぶ!」
「それが……ギデオンという人間です」
イザベラは苦しげに息を継ぐ。
「自分が駄目なら、全てを道連れにする。それが彼の……最後の美学」
その時、領地の西からけたたましい警報音が鳴り響いた。
通信機が叫ぶ。
『敵襲! 西の境界から、単騎で接近する者あり! 馬に乗った男が、まっすぐ魔導農園コアを目指しています! 速度は速い! こちらも迎撃に向かっていますが、間に合いません!』
「ギデオンだ」
ミレーヌは立ち上がる。
「奴は……遺物を狙っている」
「ミレーヌ様、あなたはここに!」
ガルムが起き上がろうとするが、傷が痛んで動けない。彼の肩の包帯が一瞬で血に染まった。
「無理をするな!」
ミレーヌが彼を押し留める。
「私が行く。ここで待っていて」
「一人で!? 敵は魔法も使えるんだぞ!」
「分かっている。でも……」
ミレーヌは自分の胸に手を当てる。
「遺物は……私の命の一部だ。誰にも暴走させはしない。それに……」
彼女はリナから受け取った新型の球体を握りしめた。
「これもある。リナが命を懸けて作ったものだ」
魔導農園コアへ
ミレーヌは一人、馬を駆って魔導農園コアへ向かう。分霊術を受けた彼女の体は、まだ完全ではない。それでも、手綱を緩めない。
風が頬を切る。森が、道が、次々と後ろに流れていく。
(速く……もっと速く……!)
周囲の植物たちが、彼女に語りかけるようにざわめいている。
(来るな……)
(危ない……)
(止めて……)
ミレーヌはそれらの「声」を感じながらも、一心に前を見つめる。
コアの入り口が見えてきた。同時に、彼女の目にあるものが飛び込む。
黒い馬に跨った男。ギデオン・ダンロップだった。彼の周囲には異様な魔力が渦巻き、地面は腐敗し、草木は触れただけで枯れ果てている。まるで死神が通ったかのような光景だった。
「止まれ!」
ミレーヌが馬から飛び降り、彼の前に立ちはだかる。
ギデオンは馬を止め、ゆっくりと降り立った。その顔には、もはや貴族の優雅さは微塵もない。狂気に満ちた笑みが張り付いているだけだ。
「おお、来たか、魔女よ!」
ギデオンは両腕を広げて叫ぶ。
「私の最後を見届けに来たか! それは光栄だ!」
「ギデオン、やめなさい!」
ミレーヌは声を張り上げる。
「その力を使えば、あなたも死ぬ。それで何になるというのだ!」
「何になるだと?」
ギデオンの目が虚ろに光る。彼はゆっくりとミレーヌに近づきながら、言葉を紡ぐ。
「私はダンロップ家の嫡子だ! 侯爵家の後継者だ! 辺境の小領主ごときになぶり者にされて、黙って引き下がれるか!」
彼が右手を掲げると、そこには黒く輝く水晶のようなものが握られていた。掌大の不気味な結晶から、絶え間なく禍々しい魔力が流れ出している。周囲の空気が歪み、ミレーヌの頬を冷たい汗が伝う。
「それが……賢者の塔から渡された物か」
「そうだ! これは『遺物破壊装置』。この水晶を遺物に触れさせれば、両方が共鳴して暴走する。その力は半径十キロを消し飛ばす!」
「そんなものを……なぜ……!」
「なぜだと? 決まっている!」
ギデオンが狂ったように笑う。
「どうせ私は終わりだ。ならば、全て道連れだ! お前も、あの裏切り者の女も、このクソったれな土地も──全部灰にしてやる!」
彼が遺物に向かって走り出す。その手には黒い水晶が握られている。
「させるか!」
ミレーヌも同時に走った。彼女の方が近い。しかし、ギデオンの手には水晶がある。どちらが先に遺物に届くか──
二十メートル。
十五メートル。
十メートル。
ギデオンの足が速い。貴族として鍛えた身体能力は、ミレーヌを上回る。
(だめ……追いつけない……!)
その時、彼女の体内で何かが弾けた。
分霊された力が、一瞬、完全に解放される。それはゴドウィンから託された知識の奔流であり、ガルムから分けられた闘志の塊だった。
地面が隆起する。植物が道を開ける。風が背後から彼女を押す。土地そのものが、ミレーヌを助けている。
「なにっ!?」
ギデオンが驚愕の表情を浮かべる。
彼の足元から蔓が伸び、一瞬だけその動きを止める。その隙に、ミレーヌが加速する。
五メートル。
三メートル。
一メートル。
ミレーヌの手が、遺物の表面に触れた。
「ヴァーミス・ルミナリスよ!」
彼女の声が、遺物の内部に響き渡る。分霊術で強化された意識が、遺物の深部にまで到達する。
「力を貸して! 破壊ではなく……守る力を!」
遺物が輝き始める。緑色の優しい光が、ミレーヌの全身を包む。その光は温かく、まるで母の胎内にいるかのような安らぎをもたらした。
「させるか!」
ギデオンが蔓を振り切り、水晶を高々と掲げる。彼の目は血走り、口からは泡が飛んでいる。
「死ね! 道連れだ!」
彼が水晶を遺物に叩きつけようとした瞬間──
遺物から放たれた光の壁が、ギデオンを押し返した。衝撃波のような力が、彼の体を数メートル後方へ吹き飛ばす。
「があっ!」
ギデオンは地面に転がり、それでもなお水晶を離さない。しかし、その水晶が光に触れた瞬間、嫌な音を立ててひび割れた。
「なに……そんな……!」
ギデオンが叫ぶ。
水晶から黒い煙が噴き出し、ギデオンの手を侵食し始める。彼の手の皮膚がただれ、腐敗していく。
「い、いたい……! 何だこれ!?」
「その水晶は……あなた自身の魔力で動いていた!」
ミレーヌが叫ぶ。
「遺物の光に中和されて、逆流し始めたんだ!」
「うわああああ!」
ギデオンは悲鳴を上げ、水晶を投げ捨てようとする。しかし、水晶は彼の手に張り付いたように離れない。黒い侵食が、腕の方へと這い上がっていく。
ミレーヌは一瞬ためらったが、すぐに動いた。彼女は遺物から離れ、地面に転がるギデオンに駆け寄る。
「じっとして!」
彼女は懐からリナの装置──小さな球体を取り出すと、それをギデオンの手に押し当てた。球体から放たれた緑色の光が、黒い侵食を押し戻し始める。
「な……何を……」
ギデオンが苦しげな声で呟く。
「なぜ……私を……助ける……」
「あなたを助けたいわけじゃない」
ミレーヌは歯を食いしばりながら装置を押し当て続ける。
「でも……あなたを殺すために来たわけでもない!」
侵食が止まり、水晶がぱきんと音を立てて割れた。二つに割れた欠片が地面に落ち、そこで黒い煙を上げて消えていく。
ギデオンはその場に崩れ落ちた。彼の手は酷く爛れているが、命に別状はなさそうだ。
「……負けた……のか」
彼の呟きは、かすかだった。
「こんな……辺境の……女に……」
ミレーヌはゆっくりと立ち上がる。手には武器はない。ただ、優しい光を放つ遺物のエネルギーだけが、彼女を包んでいる。
彼女はギデオンを見下ろした。そこにいるのは、もはや恐ろしい敵ではない。全てを失い、自分自身を見失った、一人の哀れな男だった。
「ギデオン、あなたは……本当は最初から負けていたのよ」
彼女の声は静かだったが、確かに彼の耳に届いた。
「誰かを傷つけることでしか、自分の存在を証明できない人間は……結局、誰からも愛されない」
ギデオンは虚ろな目で空を見上げる。その目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。何に対する涙なのか、彼自身にもわからなかっただろう。
遠くから、追跡の足音が聞こえる。護衛たちが、傷を押して後を追ってきたのだ。
「ミレーヌ様! 無事か!」
ガルムの声が響く。彼は肩に深い傷を負いながらも、剣を手に必死の形相で駆けてくる。
「ええ……終わりました」
ミレーヌは振り返り、微笑む。
「戦いは……終わりました。私たちの勝ちです」
ガルムはその場に膝をつき、大きく息を吐いた。彼の肩からは血が滴っているが、その顔には安堵の表情が浮かんでいた。
「よかった……本当に……」
他の護衛たちがギデオンを取り囲み、拘束する。彼はもう抵抗しなかった。ただ、ぼんやりと空を見上げたまま、されるがままになっていた。
ミレーヌは遺物に手を触れる。ヴァーミス・ルミナリスは、穏やかな光を放ちながら、静かにそこにあった。まるで、全てを見守るかのように。
「ありがとう」
彼女はそっと呟いた。
朝日が昇り始める。その光が、戦いの跡が生々しく残る戦場を、優しく照らし出していた。
ついにギデオンとの最終決着がつきました。遺物をめぐる攻防、水晶の暴走、そして最後の瞬間に敵を助けるミレーヌの選択……戦闘シーンも含めて、緊張感のある展開になったのではないでしょうか。
ミレーヌは「殺すためじゃない」と言いました。彼女は一貫して、殺さずに敵を無力化する戦い方を選んできました。このラストで、その信念が貫かれました。
次回『第八幕の終焉 - 勝利の代償』では、戦いの後始末と、それぞれのキャラクターの新たな一歩が描かれます。お楽しみに!




