第69話『媒介者の限界 - ミレーヌの苦悩』
戦いは終わったが、代償は大きかった。カイルの死、ギデオンの逃亡、そしてミレーヌ自身に迫る危機──媒介者としての負担が、彼女の心身を蝕み始める。
カイルの死から三日が経った。
オルターナ領には、戦いの痕跡がまだ生々しく残っている。焼けた植物の防壁、壊れた装置、そして何より──人々の顔に刻まれた深い疲労と悲しみ。
領主館の書斎では、ミレーヌが机にもたれかかり、苦しそうに息をしていた。彼女の手は震え、額には冷や汗が浮かんでいる。
「ミレーヌ様、もう休まれては」
エイランが心配そうに近づくが、ミレーヌは微かに首を振る。
「だめ……まだ、やることが……」
彼女は立ち上がろうとするが、めまいがしてよろめく。エイランが慌てて支える。
「お嬢様! 無理をなさらないでください! この三日、ほとんど眠っていらっしゃらないじゃありませんか」
「寝られないの……」
ミレーヌの声はかすれている。
「目を閉じると……カイルさんの最後の瞬間が……戦場の痛みが……」
魔導農園の影響
ミレーヌが媒介者として抱える問題は、単なる肉体的疲労ではなかった。魔導農園のネットワークを通じて、彼女は領地全体の「痛み」を感じ取っていたのだ。
負傷した兵士の苦しみ。
死んだ植物の無念。
土地そのものが受けた傷。
そして──カイルが死んだ瞬間の、あの深い悲しみと解放感。
「すべてが……つながりすぎている」
ミレーヌは震える手で胸を押さえる。
「どこが私で、どこが土地なのか……わからなくなる」
エイランは何も言えず、ただミレーヌの手を握りしめる。
その時、書斎の扉をノックする音がした。ゴドウィンだった。彼もまた、カイルの死と戦いの後処理で憔悴していた。
「ミレーヌ様……お話があります」
ゴドウィンは机の向かいに座り、深刻な表情で語り始める。
「媒介者としての負担について、もっと深刻に考えなければなりません。あなたは今、魔導農園のネットワークと深く同期しています。それは良いことですが……危険でもあります」
「どういう……意味ですか?」
「ネットワークを通じて、あなたは土地の感情──いえ、生命の反応を感じ取っています。それは植物の、微生物の、そして人々の感情です。そのすべてを、あなた一人で処理することは不可能です」
ゴドウィンはため息をつく。
「私は以前、似たような状態になった者を知っています。彼は最後には……自分が何者かわからなくなり、ネットワークそのものと同化してしまった」
ミレーヌの顔色がさらに青ざめる。
「どうすれば……」
「二つの道があります」ゴドウィンが指を立てる。
「一つは、ネットワークからの切断。媒介者としての役割を放棄し、普通の人間に戻ることです」
「もう一つは……『分霊術』です」
「分霊術?」
「あなたの媒介者としての負担を、他者と分担する術です。ただし……」ゴドウィンは言葉を選ぶ。「これは禁術です。分担する者は、あなたの負担の一部を引き受け、その代償を払うことになります」
「誰がそんな……!」
「私がします」
その声は、書斎の入口から聞こえた。そこにはガルムが立っていた。
「ガルム……?」
「私は戦士です。痛みや苦しみには慣れています」ガルムは真剣な表情で部屋に入る。「ミレーヌ様が倒れれば、この領地は守れません。ならば、私が代わりに苦しみを引き受けます」
「できません」ミレーヌが即座に否定する。「そんな危険な術で、あなたを傷つけるわけには──」
「すでに傷ついています」
皆がガルムを見る。彼は続ける。
「戦いで倒れた兵士たちの顔が……夜、夢に出てきます。カイルの最後も見ました。ならば、せめて意味のある苦しみにしたい」
長い沈黙が流れる。
リナの選択
その翌日、別の問題が発生した。
工房で、リナが父の遺した装置を操作しようとしているのを、ベルトルト親方が見つけたのだ。
「リナ! 何をしている!」
「父さんの研究……続けます」
リナの目は泣き腫らしているが、意志は固い。
「父さんが命をかけて完成させた技術……無駄にしません」
「だが、お前はまだ若い! そんな危険な──」
「若いからこそ、やります!」
その喧騒を、たまたま通りかかったミレーヌが耳にする。彼女は工房に入り、リナの前に立つ。
「リナさん……」
「ミレーヌ様、お願いです。父さんの仕事を続けさせてください」
ミレーヌはリナの目を見つめる。そこには悲しみだけでなく、確かな決意があった。
「わかった。でも、二つの条件を守ってください」
「はい!」
「一つ、ベルトルト親方の指導の下で行うこと。二つ……無理をしないこと。あなたの父さんは、あなたの未来を何よりも願っていました」
リナの目に涙が浮かぶ。
「ありがとうございます……」
賢者の塔の動向
その頃、オルターナ領から逃れた賢者の塔の魔術師ヴァイスは、西の山岳地帯にある臨時の拠点で、興味深い発見をしていた。
「ゴドウィン……よくもここまで隠していたな」
彼の目の前には、オルターナ領から持ち出した魔導農園の植物サンプルがあった。それらを分析した結果、驚くべき事実が判明していた。
「この生命活性化の効果……単なる古代遺物の再生ではない。何か別の要素が加わっている」
部下の魔術師が報告する。
「ヴァイス閣下、解析が進みました。どうやら……『異世界の知識』が組み合わさっているようです」
「異世界?」
「はい。植物の育成方法、生態系の制御……これらはこの世界の魔導理論だけでは説明できません」
ヴァイスの目が細くなる。
「ゴドウィンが、異世界の知識を得たのか? それとも……あの女が?」
彼は立ち上がり、窓の外を見つめる。
「面白い。調査を続けよ。もし本当に異世界の知識があるなら……賢者の塔はどんな代償を払ってもそれを手に入れる」
ミレーヌの悪夢
夜、ミレーヌはまた悪夢にうなされた。
夢の中では、彼女は魔導農園そのものになった。根は彼女の血管となり、葉は彼女の皮膚となり、花は彼女の感覚器官となる。
そして、そこを通じて、無数の声が聞こえてくる。
『痛い……』(焼かれた植物)
『悲しい……』(死んだ兵士)
『許して……』(傷ついた土地)
「やめて……!」
ミレーヌは飛び起きる。胸は激しく鼓動し、呼吸が乱れている。
エイランが駆け寄る。
「お嬢様! またあの夢ですか?」
「エイラン……私……だめかもしれない」
ミレーヌは震える手で顔を覆う。
「どれが私の感情で、どれが他人の感情か……わからなくなってきた」
「お嬢様……」
その時、窓の外から微かな光が見える。ミレーヌが窓辺に寄ると、そこには意外な光景が広がっていた。
領民たちが、ろうそくを持って集まっているのだ。その中心には、カイルを偲ぶ小さな祭壇が設えられていた。
「カイルさん……ありがとう」
「あなたのおかげで、生き残れました」
「安らかに眠ってください」
彼らは祈り、歌い、カイルの冥福を祈っていた。その中には、戦いで傷ついた元敵兵の姿もあった。
「あの人たち……」
ミレーヌが呟く。
「カイル様の最後の行為は、敵味方の区別をなくしましたから」エイランが説明する。「多くの兵士が、もう戦いたくないと……ここに残りたいと言い出しています」
ミレーヌはその光景を見つめながら、ある感情が沸き上がるのを感じた。それは──感謝だった。土地からの感謝、人々からの感謝。
そして、それと同時に、別の感情も。
(これが……私の役目なのかもしれない)
彼女はエイランに向き直る。
「ゴドウィンを呼んでください。分霊術について……もう一度話を聞きたい」
「お嬢様! でもあれは危険だと──」
「わかっています。でも……このままでは、本当にだめになりそうです」
次の朝、書斎で三人の話し合いが行われた。
「分霊術の詳細を教えてください」ミレーヌがゴドウィンに求める。
ゴドウィンは重苦しい表情で頷く。
「この術は、媒介者の魂の一部を分割し、他者に託すものです。これにより、ネットワークからの情報流入を分散できます」
「代償は?」
「大きく三つあります」ゴドウィンが指を折る。
「第一に、術をかける者──私の場合、大幅な魔力の減衰、あるいは完全な喪失。第二に、受け取る者──ガルムの場合、媒介者としての苦痛の一部を永続的に引き受けること。第三に……媒介者自身、つまりミレーヌ様の場合、能力の一部を永久に失う可能性があります」
「能力の……一部?」
「はい。おそらく、ネットワークとの深い同期能力です。術の後は、今のような完全な媒介者ではなくなります」
ミレーヌは考える。能力を失うことは、確かに恐ろしい。しかし、このままでは自我を保てないのも事実だ。
「成功率は?」
「……六割です。失敗すれば、三人とも命を落とす可能性があります」
重い沈黙が流れる。
「それでもやります」
ガルムが言い切る。
「ミレーヌ様が倒れるよりは、ましです」
ミレーヌは二人を見つめる。ゴドウィンには既に覚悟の色が見える。ガルムの決意も固い。
「では……お願いします」
決断が下された。しかし、その時──
書斎の扉が勢いよく開き、息を切らした通信兵が入ってくる。
「ミレーヌ様! 緊急報告です!」
「どうした?」
「王都から……正式な使者が来ています! しかも、王室の紋章を掲げた大規模な一行です!」
三人の顔色が一変する。
「いつ到着する?」
「あと二時間ほどで、領地の入口に……!」
使者の到着。分霊術の決断。そしてまだ消えない賢者の塔の影──
ミレーヌの苦悩は、まだ終わっていなかった。
ミレーヌの苦悩が深まっていきます。媒介者としての能力が、逆に彼女を苦しめているという皮肉……。分霊術という危険な選択肢が提示され、彼女は重大な決断を迫られています。
王都からの使者が到着するという新たな展開も気になります。これは吉報か、凶報か? ギデオンは逃げたままですし、賢者の塔の動向も不気味です。
次回『分霊の儀式 - 託される想い』では、ミレーヌの決断と、分霊術の行方に焦点を当てます。どうなることやら……




