第68話『カイルの贖罪 - 工房の最終兵器』
ギデオンが禁呪を発動させ、戦場は絶体絶命の危機に陥ります。その時、カイルから思いがけない申し出が──命をかけた償いの時が来ました。
ギデオンが唱え始めた禁呪は、周囲の空気そのものを歪ませていた。地面は黒く腐敗し、草木は一瞬で枯れていく。その影響は魔導農園のネットワークにも及び、ミレーヌは思わず膝をつく。
「この呪いは……生命そのものを否定する……!」
「ミレーヌ様!」ガルムが駆け寄ろうとするが、禁呪の影響範囲が急速に広がり、近づくことすらできない。
制御室からゴドウィンの声が通信機から響く。
『あの禁呪は“死の園”と呼ばれるものだ! 範囲内のあらゆる生命活動を停止させる! 止めなければ、領地全体が……』
「どうすれば……」ミレーヌは苦しげに頭を抱える。魔導農園の浄化能力でも、このレベルの死の呪いを中和するのは難しい。
その時、別の通信が入る。工房からの緊急連絡だった。
『ミレーヌ様……聞いてください』
カイルの声だ。彼の声には、どこか諦観に満ちた覚悟が込められていた。
『私には……罪があります。でも今、償う方法があります』
「カイルさん、何を言っているのですか?」
『工房で……最終兵器を開発していました。“生態系調和爆雷”です。これは殺傷兵器ではありません。広範囲の生物の意識を一時的に同一化し、敵味方の区別なく戦闘意欲を消失させる装置です』
通信機の向こうで、カイルの説明が続く。
『しかし、これを作動させるには……媒介者の生命エネルギーが必要です。私は開発者として、その役割を果たします』
一瞬、沈黙が流れる。
「……死ぬと言うのですか?」ミレーヌの声は震えていた。
『償いです。私があの時、情報を漏らさなければ……この戦いも、ここまで苛烈にならなかったかもしれません』
「違います! あなたはもう償っている! 工房の仕事も、前線の支援も──」
『それでも足りません』カイルの声は優しかった。『ミレーヌ様、あなたは私を許してくれました。でも、私は自分自身を許せないんです』
その時、リナの声が割って入る。
『父さん! ダメです! 私が代わります!』
『リナ……お前はこれからだ。未来がある』
『父さんだって未来がある!』
工房内
カイルは、工房の中央に設置された円柱状の装置の前に立っていた。装置の表面には無数の魔導回路が刻まれ、中心には生体組織のようなものが脈打っている。
「リナ、聞いてくれ」カイルは娘の肩に手を置く。「お父さんはね……お前を救った時、人生で初めて正しいことをしたと思った。でもその後……弱くて、間違った選択をしてしまった」
彼の目に涙が光る。
「今、もう一度正しいことをしたい。お前や、この土地の人々を守りたい」
「でも、そんなの……ただの自己満足じゃないですか!」
リナも泣きながら訴える。
「生きて償う方法があるはずです!」
その時、工房の扉が開き、ベルトルト親方が入ってくる。彼はカイルを見つめ、深く頷いた。
「……お前の覚悟、わかった。だが、装置の調整はまだ完璧じゃない。成功率は七割だ」
「それで十分です」
戦場
ギデオンの禁呪はさらに範囲を広げていた。半径五十メートルがすでに「死の園」と化し、そこに入った兵士たちは次々と倒れていく。味方も敵も関係ない無差別の破壊だ。
「狂ってる……!」イザベラが震える声で呟く。「あの人は、本当に狂ってる……!」
ミレーヌは苦痛に顔を歪めながらも立ち上がる。
「カイルさん……お願いします。でも……生きて戻ってきてください」
通信機の向こうで、カイルの優しい笑い声が聞こえる。
『約束はできませんが……できる限りのことはします』
工房、起動直前
カイルは装置の制御パネルの前に座り、首と腕に無数の電極を取り付けられる。装置は彼の生命活動をエネルギー源として稼働する。
「最後の調整完了」ベルトルト親方が報告する。「お前の生命力を徐々に吸収し、三十分かけて最大出力に達する。その間、苦痛が……」
「構いません」
カイルはリナを見つめる。
「お前を……誇りに思っているよ。立派な技術者になったな」
「父さん……」
「では……行くよ」
カイルがスイッチを押す。
戦場
突然、空気が変わった。
ギデオンの禁呪が広がる「死の園」の縁で、新たな現象が起きる。緑色の光の波紋が、死の領域にじわりと浸透し始めたのだ。
「なんだ……これは?」ギデオンが詠唱を中断し、周囲を見渡す。
光の波紋は、枯れた大地に触れると、かすかではあるが新芽を吹かせる。死んだ兵士たちの周囲には、小さな花が咲き始める。
そして最も驚くべきは、兵士たちの意識に起こった変化だった。
敵も味方も区別なく、突然、戦闘行為を止めたのである。剣を構えていた手が下がり、弓を引いていた指が緩む。
「何……しているんだ?」「なぜ……戦おうとしていたんだ?」
彼らは互いを見つめ、自分たちの行為に疑問を抱き始める。憎しみや敵愾心が、霧のように消えていく。
「生命の……つながり……?」
ミレーヌが感じ取る。カイルの装置が放つエネルギーは、あらゆる生命の根源的なつながりを思い出させ、個々の対立を無意味に感じさせるものだった。
「くだらん……!」
ギデオンが怒り狂う。
「そんなおとぎ話じみた力が、我が禁呪に勝てると思うか!」
彼は禁呪の詠唱を再開し、より強力な死の波動を放つ。黒い領域が緑の光を押し戻し始める。
工房
「出力……不足しています……」ベルトルト親方がモニターを見つめる。
「ギデオンの禁呪が強すぎる。このままでは……」
カイルの顔には、苦痛の表情が浮かんでいる。装置は彼の生命力を急激に吸い取り始めていた。
「もっと……出力を……」
「ダメだ! それ以上上げれば、お前の寿命が──」
「構わん!」
カイルは歯を食いしばり、制御レバーを最大まで押し込む。
戦場
緑の光が突然、爆発的に増大する。それは優しい光ではなく、強い意志に満ちた、圧倒的な生命の奔流だった。
光は死の園を飲み込み、枯れた大地を潤し、倒れた兵士たちを蘇生させる。ギデオンの禁呪は完全に打ち破られた。
「不可能……! この私が……辺境の庶民に……!」
ギデオンは膝をつく。禁呪の反動と、カイルの装置の影響で、彼の戦意も消えつつあった。
兵士たちは完全に武器を捨てた。敵味方の区別なく、お互いを助け起こし始める。
「……終わったのか?」ガルムが呟く。
しかし、ミレーヌの表情は暗いままだった。彼女は感じていた──カイルの生命が、急速に消えていくのを。
工房
装置が停止した。静寂が訪れる。
カイルは制御席に倒れ込み、息も絶え絶えだ。リナが駆け寄る。
「父さん! 父さん!」
「……成功……したみたいだな」
カイルの声はかすれている。
「ごめんね……リナ……約束、守れなくて……」
「そんなこと言わないで! 医者を呼びます! すぐに!」
ベルトルト親方がカイルの脈を取る。そして、悲痛な表情で首を振る。
「……遅すぎた。生命力の大半を……装置が吸い取ってしまった」
「冗談でしょう……? 父さん……!」
カイルはかすかな笑みを浮かべる。
「やっと……肩の荷が下りた……お前を……誇りに……」
彼の目がゆっくりと閉じる。手はリナの手を握ったまま、力が抜けていく。
「父さああん!」
リナの泣き声が、工房に響き渡る。
戦場
ミレーヌはその悲鳴を、魔導農園のネットワークを通じて感じ取った。彼女の目から涙がこぼれる。
「カイルさん……」
戦いは終わった。敵は無力化され、ギデオンも捕縛された。しかし、その代償は大きすぎた。
ミレーヌは立ち上がり、兵士たちを見渡す。敵も味方も、もう戦う意思はない。彼らはただ、何が起こったかを理解しようとしている。
「戦い……終わりです」
ミレーヌの声は静かだった。
「怪我人の手当てを。敵味方の区別なく」
彼女は一歩、また一歩と歩き出す。目的地は工房だ。カイルに、最後の挨拶をしなければ。
しかしその時──
捕縛されていたギデオンの目が、突然、不気味な光を宿す。彼の口が動き、聞き取れない呪文が漏れる。
そして、彼の体が黒い煙に包まれ、次の瞬間──消えていた。
「逃した……!?」
ガルムが叫ぶ。
賢者の塔の魔術師ヴァイスが、遠くで冷たく笑う。
「ダンロップの嫡子にも、それなりの逃げ道は用意していたさ」
戦いは終わったが、真の敵はまだ消えていなかった。
ミレーヌはその事実を受け止めながらも、歩みを止めない。今、彼女が向かうべき場所がある。
カイルが命をかけて守ったもの──
彼が最後まで償おうとしたもの──
その重みを、しっかりと受け止めるために。
カイルの覚悟と最期……胸が締め付けられる展開でした。彼が最後に成し遂げたことは、単なる自己犠牲以上のものだったと思います。
戦いは一応終わりましたが、ギデオンは逃げ、賢者の塔の魔術師たちもまだ残っています。しかもミレーヌには、媒介者としての大きな負担が……次回はその苦悩に焦点を当てていきます。




