第63話『防衛システム起動 - 侵攻の予兆』
オルターナ領に、ついに「戦争の足音」がはっきりと届き始めました。
これまで水面下で進んでいた対立は、ギデオン自らの出陣によって、もはや避けられない段階へと突入します。
本話では、オルターナ領が密かに準備してきた防衛構想――
「農業」と「技術」と「魔導」を融合させた要塞としての姿が、初めて本格的に描かれます。
作物や菌糸、植物が“武器”となる戦いを、ぜひ見届けてください。
静かな土地が、牙を剥く瞬間です。
西の地平線に上がった塵は、夕闇と共に次第にその輪郭を現し始めた。六十、いや七十を超える人影が、整然と、しかし確実にオルターナ領の境界へと迫ってくる。その先頭には、深紅の外套を翻し、月光を浴びて白銀のように輝く鎧をまとった一人の騎馬武者の姿があった。
「ギデオン・ダンロップ……自ら出陣したのですか」
ゴドウィンが望遠鏡を置き、厳しい表情で呟いた。
領主館の屋上に立つミレーヌは、その言葉に頷いた。イザベラの警告は正しかった。ギデオンは、もはや遠隔操作だけでは満足せず、自らの手で全てを終わらせようとしている。
「予想より多いですね」ガルムが戦力比較をする。「七十以上。魔術師は十五名。こちらの護衛隊は三十。領民の志願兵百ですが……」
「数の差は、技術で補います」
ミレーヌの声には揺るぎない決意が込められていた。
「さあ、『要塞農園』を起動しましょう」
魔導農園の制御室は、古代遺物「ヴァーミス・ルミナリス」の真上に設けられた半地下の広間だった。ここには、カイル工房で製作された最新の制御装置が並び、壁一面には領地全体を映し出す巨大な水晶盤が設置されている。その映像は、地中に張り巡らされた植物の根と菌糸のネットワークが感知する情報を可視化したものだ。
「全システム、最終チェック完了」
ゴドウィンが報告する。
「第一防御ライン:境界の『茨の防壁』。第二防御ライン:中間地帯の『幻覚霧発生装置』。第三防御ライン:集落周辺の『魔力吸収網』。そして最後の砦:遺物中心の『浄化結界』」
カイルが各装置の起動レバーを順番に倒していく。彼の手には微かな震えがあったが、その動作は確かだった。
「全て順調です。ただし……『魔力吸収網』だけは、先ほど言った通り、成功率は五分五分です」
「構いません。起動してください」
カイルがスイッチを入れる。外部からは見えないが、領地の周縁部に設置された無数の金属製の杭が微かに震え、複雑な魔方陣が地中に展開される。
その時、水晶盤の一角が赤く点滅した。
「敵、境界から五百メートル! 停止しています!」
監視役の若者が叫ぶ。
ミレーヌが水晶盤に近づく。映し出された映像は、ギデオンの部隊が境界線の手前で整列し、何かを待っている様子を示していた。
「偵察をしているのでしょう」ゴドウィンが分析する。「カイルさんが流した偽の警備配置図を確認している可能性があります」
偽の配置図には、意図的に弱点と思しき箇所が記されていた。そこは実際には最も強固な防御が施されている「逆罠」区画だ。
「彼らがその罠にかかるかどうか……」ガルムが拳を握りしめる。
しばらくして、敵部隊が動き出した。偽の配置図に記された「弱点」とされる北西の区画に向かって、二十名ほどの先遣隊が分離して進軍を開始する。
「かかりました」ゴドウィンがほっと息をつく。
「では、『茨の防壁』を起動します」
彼が制御装置の一つのレバーを引く。境界線に沿って植えられた、見た目は普通の低木が突然活動を始める。蔓が蛇のように伸び、互いに絡み合い、三メートル以上の生きた柵を瞬時に形成する。その蔓には無数の毒針が備わっており、触れる者に麻痺毒を注入する。
先遣隊がその防壁に遭遇し、混乱する様子が水晶盤に映し出される。
「効果ありです! 先遣隊、足止めされました!」
「しかし……主力部隊は別の方向に移動を開始しています!」
ギデオン自らが率いる本隊は、弱点とされる区画を避け、正面から突破を図ろうとしていた。彼は偽の情報を完全には信じていなかったのだ。
「計算通りです」
ミレーヌは冷静だった。
「ギデオンが簡単に罠にかかるとも思っていませんでした。では、第二防御ラインでお迎えしましょう」
ゴドウィンが二つ目の装置を起動する。領地の中間地帯に設置された無数の噴出口から、微かに光る霧が噴き出し始める。これは特定のキノコの胞子と魔法薬を混合したもので、吸入すると軽い幻覚と方向感覚の喪失を引き起こす。
主力部隊は霧の中に突入していった。騎士たちは咳き込み、馬が嘶き、隊列が乱れ始める。
「効果確認! 敵部隊、速度が半減しました!」
しかし、その時だった。ギデオンが馬上で手を挙げ、何か叫ぶ。すると、同行する魔術師たちが一斉に呪文を唱え始めた。強風が起こり、幻覚霧が吹き飛ばされていく。
「魔法で霧を排除しますか……」ゴドウィンが歯ぎしりする。「では、第三防御ラインです。『魔力吸収網』、起動!」
カイルが祈るような表情でメインスイッチを押す。領地の集落周辺に埋め込まれた装置が作動し、敵魔術師たちが放出する魔力を吸収し始める。
「成功しています!」監視役が興奮する。「敵魔術師の魔法出力が30%低下! こちらのエネルギー貯蔵率が上昇中!」
しかし、その成功は長く続かなかった。ギデオンが再び合図を送ると、魔術師たちは詠唱を変える。今度は、地中に向けた破壊魔法だ。
「地中への攻撃! 『魔力吸収網』の装置が直撃します!」
水晶盤に映し出される数か所の地点で、地面が爆発する。設置された装置の幾つかが破壊され、魔力吸収網に穴が空く。
「装置の20%が損傷! 吸収効率が低下!」
「予想されたことです」ミレーヌは動じない。「彼らが何の対策もなく来るわけがありません。では、最後の手段に移りましょう」
彼女は制御室の中央に設えられた特別な台座に歩み寄った。そこには、古代遺物と直接繋がる「媒介者」用のインターフェースが設置されている。
「ミレーヌ様、お待ちください」
ゴドウィンが止めに入る。
「媒介者としての負担は大きすぎます。まだ戦いは始まったばかりです。もう少し別の手段で……」
「時間がありません。ギデオンはここまで来ています。彼をこの場で止めなければ、集落が危険にさらされます」
ミレーヌは台座の上に立ち、両手をインターフェースにかざした。彼女の目を閉じると、意識が遺物と直接結びつく感覚が広がった。
土地の鼓動が聞こえる。草花のささやきが感じられる。そして、迫り来る敵の殺気が、針のように肌を刺す。
「生命の炉よ……この土地を守る盾となってください」
彼女の意志が、遺物のエネルギーと共鳴する。領地全体に張り巡らされた植物のネットワークが、一斉に活動を開始する。
集落の周囲に植えられた通常の作物が、驚異的な速度で成長を始める。トウモロコシは巨大な壁となり、蔓植物は絡み合って生きたバリケードを形成する。花々は強力な睡眠花粉を放出し、樹木は枝を鞭のように振るう。
「何だこれは!?」
敵兵の驚愕の声が、水晶盤を通じて聞こえてくる。
「植物が動く!」
「こ、この花粉は……うっ……」
ギデオンの部隊は、文字通り「生きている土地」の攻撃に直面した。彼らの剣や魔法は、次々と生えてくる植物を切り払うのに手一杯だ。
「見事です……」ゴドウィンが感嘆の息を漏らす。「植物を使った生物学的防御……まさにミレーヌ様ならではの戦術です」
しかし、ギデオンはまだあきらめていなかった。彼は馬上から部下に指示を飛ばすと、自らも剣を抜き、魔法の炎を刃にまとわせた。
「焼き払え!」
炎の剣が振るわれる。植物の壁が炎上し、バリケードが焼け落ちる。ギデオンは魔術師たちに命じ、広範囲に火炎魔法を放たせた。
「火を使うとは……」ガルムが顔を歪める。「植物防御の弱点を突いてきます」
「そうさせるためです」
ミレーヌは目を開けずに言った。
「ゴドウィン、次の段階へ」
「了解しました」
ゴドウィンが新たな装置を起動する。焼かれた植物の灰から、新たな生命が芽吹き始めた。それは「耐火性変異キノコ」──ミレーヌが特別に培養していた種だった。このキノコは高温に強く、むしろ火災後の養分を吸収して急速に成長する特性を持っていた。
「灰から……キノコが!」
「何てことだ!焼いても焼いても、また生えてくる!」
敵兵の間に動揺が走る。彼らの士気が揺らぎ始めた。
その時、ギデオンが単身、馬を駆って前線へと躍り出た。彼の剣は熾火のように輝き、触れるもの全てを灰に変えていく。
「あの男、尋常じゃない強さです」
ガルムが警戒する。
「私が出ます」
「待ってください」ミレーヌが止める。「まだ、全ての手札は出していません」
彼女は再び意識を集中させた。遺物のエネルギーを、一点に集中させる。目標はギデオン・ダンロップ本人だ。
「土地そのものが、敵を拒絶する」
ギデオンの周囲の地面が揺れ動き、無数の根が飛び出して彼の馬の脚を絡め取る。空からは刺激性の胞子の雨が降り注ぎ、周囲の植物は彼に向かって毒針を放つ。
「小癪な……!」
ギデオンは剣を振るい、魔法の炎で周囲を焼き払う。しかし、次から次へと新たな攻撃が襲いかかる。
「撤退! 一旦撤退する!」
ついにギデオンが命令を下した。部隊は混乱しながらも後退を開始する。しかし、その撤退路にも既に植物の罠が仕掛けられていた。
「追撃は?」ガルムが尋ねる。
「しません」ミレーヌは台座から降り、よろめきながらゴドウィンに支えられた。「私たちの目的は、領地を守ることです。無駄な犠牲を出さないでください」
彼女の顔は青白く、額には冷や汗が浮かんでいた。媒介者としての負担は、確かに大きかった。
「ミレーヌ様、すぐにお休みください」
エイランが駆け寄り、支える。
「ええ……でもまず、被害状況を……」
報告は、比較的軽微だった。敵の被害は二十名以上の負傷者を出したが、死者は出ていない。オルターナ側の被害は、破壊された装置数基と、軽傷を負った護衛数名だけだった。
しかし、誰もが安堵していられないことを知っていた。
「ギデオンは戻ってきます」ガルムが言う。「今回の敗北で、かえって本気を出すでしょう」
「その時までに、さらなる準備を」ミレーヌは力なく言った。「そして……カイルさん」
カイルがはっとしたように振り返る。
「あなたの装置は、確かに役に立ちました。破壊されましたが、時間を稼ぎ、敵の魔力を消耗させました。これで、少しは罪が軽くなったでしょうか」
カイルの目に涙が浮かんだ。
「ありがとうございます……でも、まだ終わっていません。もっと、もっと償います」
その夜、領地は勝利の祝いではなく、次なる戦いへの備えで忙しかった。装置の修理、傷ついた植物の手当て、そして新たな防御策の検討──
ミレーヌは書斎で、イザベラからの最新の手紙を読んでいた。リディアが危険を冒して届けてくれたものだ。
『ギデオンは激怒している。王都に戻り、より大規模な部隊を編成するよう命令を出した。次は正規兵百名、魔術師三十名、攻城兵器まで用意するという。時間は、多くて十日。どうか、備えを。』
十日。たった十日で、より強大な敵が押し寄せる。
ミレーヌは手紙を机に置き、窓の外の闇を見つめた。遠くには、まだ消えやらぬ炎の残り火が、赤くくすぶっている。
「十日か……それなら、間に合うかもしれない」
「何がです?」ゴドウィンが尋ねる。
「『蔓』ネットワークの最終形態です。今こそ、『辺境技術開発協同組合』を正式に発足させる時です。これが、私たちの新たな盾になります」
彼女は立ち上がり、皆を見渡した。
「今夜は休息を。明日から、新たな戦いが始まります。今回は、言葉と技術の戦いです」
夜は更けていった。オルターナ領は、一時的な勝利に酔うことなく、次の脅威に向けて静かに目を覚ましていた。
真の戦いは、まだ始まっていない。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第63話では、防御戦という形でオルターナ領の“本気”を描きました。
剣や魔法だけでなく、土地そのものが戦うという構図は、この物語の核のひとつでもあります。
一方で、ギデオンという存在の底知れなさも、少しずつ見えてきたのではないでしょうか。
今回の勝利は、あくまで「時間を稼いだ」だけ。
次に来るのは、より大きく、より理不尽な圧力です。
そこから先は、武力だけではなく――
言葉、技術、思想までもが戦場になります。
ここまで読んで「面白い」「続きが気になる」と思ってもらえたら、
感想やブックマークをしてもらえると、とても嬉しいです。
それが、続きを書く大きな励みになります。
次話も、どうぞお付き合いください。




