第60話『侯爵派の本格的な動き - 二つの圧力』
魔導農園の完成は、領地に繁栄をもたらした。
だが同時に、それは「見過ごされない成果」でもあった。
静かな発展の裏で、ついに外の世界が動き出す。
これは、オルターナ領が避けてきた“現実”と正面から向き合う物語。
魔導農園の本格稼働から十日が経ち、オルターナ領の変容は目覚ましいものだった。汚染されていた土地の九割以上が再生し、魔導作物は驚異的な速さで成長を続けていた。辺境の貧しい領地というイメージは、もはや過去のものになりつつあった。
しかし、その変化はあまりにも劇的すぎた。外部の目を引きつけないはずがない。
朝もやがまだ立ち込める早朝、領主館の書斎で緊急会議が開かれていた。
「三つ、連絡が入りました」
ガルムが厳しい表情で報告する。
「まず、東の境界から。王都からの公用の使者が、明日にも到着するとの連絡です」
「公用の使者?」ミレーヌが眉をひそめる。
「はい。『王国農務省および魔導技術管理局合同調査団』を名乗っています。表向きの目的は『辺境における異常な農業発展の実態調査及び技術評価』です」
ゴドウィンが低く唸る。
「来るのが早すぎる……明らかに、誰かが情報を流したのでしょう」
「二つ目」ガルムが続ける。
「『蔓』ネットワークの主要な連絡役である自由都市ラーベルの商人、ロバートから緊急連絡です。彼の店が、ダンロップ侯爵派系の商人組合から『不適切な取引』を理由に調査を受けているとのこと。明日にも営業停止処分になる可能性が高い」
ミレーヌの顔色が変わる。
「ロバートさんは私たちの重要な窓口です。彼を失えば、外部との物資調達が大幅に困難になります」
「三つ目……」ガルムは一呼吸置いた。「イザベラ様から、リディアを介した緊急の伝言です」
書斎の空気が一層張り詰める。
「何と?」
「『ギデオンは二つの手を打った。第一に、王国に圧力をかけ、オルターナ領を「危険な古代技術の濫用」として弾劾する。第二に、「蔓」のネットワークを壊滅させるため、主要な協力者を次々と標的にする。急げ』とのことです」
ミレーヌは机に手をつき、深く考え込んだ。
「……二正面作戦ですね。表向きは合法的な調査という圧力。裏では、経済的な締め上げ。どちらも、領地を孤立させ、弱体化させるためのもの」
「どう対処いたしますか?」ゴドウィンが尋ねる。
「まず、調査団の対応から」ミレーヌは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。「彼らは『調査』を口実にしています。ならば、私たちは『公開実験』で応えましょう。隠すのではなく、むしろ積極的に見せるのです」
「しかし、魔導農園の核心技術が筒抜けになる危険が……」
「核心部分は見せません。あくまで『成果』と『安全性』だけをアピールする。そして、この技術が王国全体の荒廃地再生にどれほど有益かを訴えるのです」
彼女は振り返り、皆を見渡した。
「調査団の中には、良心を持った者もいるはずです。侯爵派の手先ばかりとは限りません。むしろ、彼らを味方に引き入れるチャンスかもしれません」
「では、どのように?」
「準備にかかる時間は……」ミレーヌは計算する。「今日いっぱいあれば、デモンストレーションの準備はできます。ゴドウィン、カイルさんたちと協力して、視覚的にわかりやすい展示を考えてください。安全性のデータも、可能な限り揃えて」
「かしこまりました」
「ガルム、調査団の護衛と接待は慎重に。侯爵派のスパイが紛れ込んでいる可能性が高い。監視はするが、露骨な敵対行動は避けるように」
「了解しました」
「そして『蔓』ネットワークの防衛について」ミレーヌの目が鋭くなる。「ロバートさんには、一時的に活動を休止するよう伝えてください。代わりに、これまで表立っていなかった予備の連絡役を活性化させます。ネットワークを分断される前に、自ら分散化させるのです」
その日、オルターナ領は二つの「戦い」の準備で慌ただしくなった。
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翌日正午、調査団が到着した。
一行は十名。先頭に立つのは、農務省の役人らしい五十代の男性、レオンハルト・フォーゲル官僚。彼の傍らには、魔導技術管理局の若手技官、そして──ミレーヌが一目で見抜いた──明らかに私兵風の男が二人混じっている。
「オルターナ伯爵家当主、ミレーヌ・オルターナ様」
レオンハルトは形式ばった口調で挨拶する。
「ご多用中、突然の訪問をお許しください。我々は、王国農務省及び魔導技術管理局の命を受け、貴領における『魔導農園』と称する新技術の実態調査に参りました」
「ようこそお越しくださいました」ミレーヌは完璧な礼儀で応える。「ご案内いたします。どうぞ、こちらへ」
最初に案内されたのは、魔導農園の「成果展示区画」だった。ここには、再生前と再生後の土壌サンプル、成長記録、収穫物の比較などが、視覚的にわかりやすく展示されていた。
「ここが、かつて魔性の汚染に侵されていた土地です」
ミレーヌが説明する。
「この土壌サンプルAは、三ヶ月前のもの。魔性物質の濃度が危険水準を超え、通常の作物の栽培は不可能でした」
レオンハルトがサンプルを手に取り、厳しい表情で観察する。
「そして、これが現在の土壌か」
「はい、サンプルBです。魔性物質の濃度は、王国の安全基準値を十分に下回っています。そして、栄養分は基準値の三倍です」
魔導技術管理局の技官、エルマーが興味深そうに測定器を手に取り、数値を確認する。
「……確かに、驚異的な変化です。これが、その『魔導農園』技術によるものなのか?」
「ええ。しかし、それは単なる『技術』ではありません」
ミレーヌはわざとらしくない程度に熱を込めて語る。
「古代の知恵と、現代の生物学、そしてこの土地を愛する人々の努力が結実したものなのです」
次のデモンストレーションは、実際の作物成長の実演だった。
区画に植えられた鉄皮豆の種に、ミレーヌが手をかざす。彼女はゴドウィンと事前に調整した、控えめだが目に見える効果だけを発揮させる。
「通常なら三年かかる発芽が、この技術により三日で可能になります」
種が微かに光り、土を割って芽が出始める。調査団の中から驚嘆の声が上がる。
「しかし、これが危険ではないという証拠は?」レオンハルトの口調には依然として疑念が滲む。
「古代遺物を利用していると聞く。過去には、同種の技術が暴走し、大災害を引き起こした例がある」
「ご心配はごもっともです」
ゴドウィンが前に出る。彼はあえて学者らしい落ち着いた態度をとる。
「我々は、三十年にわたる研究の末、完全な制御システムを確立いたしました。これが、その安全装置の設計図です」
カイルが製作した精密な模型が提示される。多重の安全装置、自動遮断システム、エネルギーのフィードバック制御──どれも、極めて高度な魔導工学に基づいていた。
エルマー技官の目が輝く。
「これは……賢者の塔の最新研究に匹敵する、いや、ある分野では凌駕している可能性すら……」
その言葉に、私兵風の男たちの表情がわずかに曇る。
午後の調査は、領地内の施設見学へと移った。工房、研究施設、そして一般の農地──どこを見ても、活気に満ちた領民の姿と、驚異的な農業の成果があった。
「ここで働く人々の健康状態は?」レオンハルトが尋ねる。
「有害な影響はないのか?」
「定期的な健康診断の結果もご覧いただけます」
ミレーヌが書類を提示する。
「労働者全員の健康状態は良好で、魔導技術に起因する疾病は一例も報告されておりません。むしろ、浄化された環境により、呼吸器疾患が減少しています」
夕方、調査団は領主館に招かれ、ささやかな夕食会が開かれた。この席で、ミレーヌは大胆な提案を行った。
「フォーゲル閣下、そして調査団の皆様」
彼女は静かに、しかし力強く語り始める。
「オルターナ領の技術は、この土地だけのものではありません。王国には、まだ多くの荒廃地が存在します。もしこの技術が広まれば、どれほどの土地が再生し、どれほどの人々が救われるでしょうか」
レオンハルトの表情がわずかに動く。
「……つまり?」
「我々は、この技術を『オルターナ農法』として体系化し、王国全体に広める用意があります。ただし、一つだけ条件がございます」
「それは?」
「この技術が、決して兵器として転用されない保証です」
ミレーヌの目は鋭く光る。
「過去の過ちを繰り返してはなりません。これは、生命を育む技術です。奪うためではなく、与えるためのものなのです」
夕食会の後、調査団は宿泊施設へと向かった。しかし、夜更けになって一人の客が密かに領主館を訪れた。
エルマー・技官だった。
「オルターナ様、密かに話がしたい」
彼は緊張した面持ちで言う。
「私は、本当は魔導技術管理局の調査員ではなく、賢者の塔の第三円環『応用魔導研究所』の研究員です」
ミレーヌとゴドウィンは驚きを隠せない。
「賢者の塔が……なぜ?」
「塔は、貴方の技術に強い関心を持っています。特に……『ヴァーミス・ルミナリス』の完全制御に成功したという報告に」
エルマーは声を潜める。
「しかし、塔内部には二つの意見があります。開放派は、貴方との協力を望んでいます。しかし統制派……特にダンロップ侯爵派とつながりの深い者たちは、この技術を『回収』すべきだと考えています」
ゴドウィンの顔がこわばる。
「また、あの過ちを繰り返すというのですか」
「私は開放派です」
エルマーは真剣な表情で言う。
「今日見たものは、驚異的でした。そして何より……貴方たちの理念に共感します。私は、調査報告書をできる限り好意的に書くつもりです。ただし、統制派の動きにはご注意を。彼らは、法的な手段ではダメなら、もっと直接的な手段に出る可能性があります」
その夜、ミレーヌは眠れなかった。
調査団の対応はひとまず成功したかもしれない。しかし、エルマーの警告は重かった。
そしてもう一つの戦線──「蔓」ネットワークの防衛戦は、より厳しい状況だった。
翌朝、リディアを介して新たな情報が届く。
『ロバートの店、閉鎖される。他の三つの連絡拠点も、今週中に標的にされる見込み。「蔓」の三割が危機。イザベラ』
ミレーヌは書斎で、地図を広げた。ネットワークの拠点が次々と赤い印で塗りつぶされていく。
「これでは、じり貧です……」
しかし、その時、彼女にある考えが閃いた。
「もし……ネットワークを『隠す』のではなく、逆に『見える化』したら?」
ゴドウィンが首をかしげる。
「どういう意味です?」
「私たちは、小規模な密かな取引網を作ろうとしていました。しかし、侯爵派はそれを潰しに来る。ならば、それを『公認の協同組合』に昇格させればどうか」
「公認?」
「ええ。複数の小規模商人や職人が集まり、『辺境技術開発協同組合』を設立する。表向きは、オルターナ領の技術普及を目的とした合法的な組織です。侯爵派がこれを潰そうとすれば、今度は『中小業者を弾圧する大貴族』という汚名を着ることになる」
ゴドウィンの目が輝く。
「逆に、倫理的な優位に立つわけですね」
「そうです。そして、この組合の顧問に……例えば、賢者の塔の開放派や、農務省の良心派を迎え入れれば、さらに保護の盾が厚くなります」
その瞬間、領地の境界から急を告げる鐘の音が鳴り響いた。
ガルムが駆け込む。
「ミレーヌ様!領地の西で、不審な集団が目撃されました! 武装しており、魔術師も混じっているようです!」
「ついに……直接的な手段に出たのですか」
ミレーヌは窓の外を見つめた。調査団はまだ領地内にいる。このタイミングで武力行使があれば、侯爵派の意図が明白になる。
「護衛を集合させてください。ただし、調査団の安全は最優先です。彼らに、侯爵派の本性を見てもらいましょう」
二つの圧力は、激化の一途をたどっていた。しかしミレーヌは、もう受け身ではない。それぞれの圧力を、逆に利用する方法を考え始めていた。
戦いは、新たな段階へと入ろうとしている。
ここから先、物語は防御だけでは進めなくなります。
政治、経済、そして力――
複数の圧力が同時に押し寄せる中で、ミレーヌは「選ばされる」立場に立ちます。
次話では、言葉と理屈によるもう一つの戦いが始まります。
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