第5話: 『最初の収穫 – 希望の味と新たな敵意』
初めまして。作者の星川蓮です。
この作品は「生物教師が異世界に転生し、没落令嬢として農業改革に挑む」物語です。
戦闘よりも農業・経営・領地運営がメインですが、ときどきバトルや政治劇も入ります。
難しいことは抜きに、知識と工夫で逆境を切り開く姿を楽しんでいただければ嬉しいです。
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【実験区画の拡大と成長】
オルターナ邸の裏庭では、小さな奇跡が着実に育っていた。最初の成功から数週間。ミレーヌとゴドウィンは休むことなく実験を続け、浄化茸の菌床を拡大し、その効果を検証していた。
区画は当初の数平方メートルから、ゆうに十倍以上の広さにまで広がっていた。そして、そこでは以前では考えられない光景が広がっている。
魔性の紫黒色だった土壌は、見事な肥沃な黒土へと変貌し、そこには浄化茸が群落を形成していた。それだけではない。茸の周囲には、普通の草花が緑の絨毯を敷き詰めるように生い茂り、ついには数種類のハーブや、イチゴの類いの小さな実までが顔を出し始めていた。
「信じられない……ほんの数週間で、ここまで……」ミレーヌは毎日のように記録を取るノートを手に、感嘆の息を漏らした。彼女のスケッチは、土地の回復の過程を克明に記録していた。
ゴドウィンは、魔力感知によってその変化を追っていた。
「ミレーヌ様、驚くべきことに、浄化は菌糸のネットワークを通じて、同心円状に広がっております。まるで……地中で無数の小さな浄化装置が作動しているかのようですな。この調子なら、いずれは領地全体にも……」
しかし、ミレーヌは首を振った。
「そう簡単ではないでしょう。土地全体を浄化するには、この何倍もの菌糸と、何より時間がかかる。私たちに与えられた時間は……あと五ヶ月しかない」彼女は借金返済の期限を思い出し、表情を曇らせた。
【「希望の味」- 最初の収穫】
ある夕方、ミレーヌとゴドウィンが実験区画の手入れをしていると、物陰からこっそりと小さな人影が近づいてくるのに気づいた。テオだった。彼はもう隠れることもせず、キラキラとした目で区画を見つめている。
「……ねえ、お姉さん。あの……赤い実、食べられるの?」
彼は指さした。それは、浄化された土地に自生し始めた野生のイチゴだった。
ミレーヌは微笑んだ。「うん、多分大丈夫だと思う。だって、周りの草やキノコはみんな元気に育ってるからね。でも、まずは私が試してみるね?」
そう言い、彼女は一つだけ、真っ赤に熟した実を摘み取った。少し緊張しながら口に入れる。
その瞬間、彼女の口の中に、甘酸っぱく、そして驚くほど濃厚な味わいが広がった。
「……!?」
これは、現代日本で食べていたどのイチゴとも、そしておそらくはこの世界の普通のイチゴとも違う、力強い生命力を感じさせる味だった。浄化の過程で、何らかの変化が起きているのかもしれない。
「大丈夫だ、テオくん。とっても美味しいよ」
彼女はそう言い、もう一つ実を摘んで少年に手渡した。
テオは恐る恐る実を口に入れた。次の瞬間、彼の顔がぱあっと輝いた。
「わあ!すっごく美味しい!! 僕、生まれて初めて食べたよ、こんな美味しいもの!」
彼の純粋な歓声は、裏庭にこだました。その声を聞きつけてか、近くの家から別の領民――かつて農夫だったという足を悪くした老兵が、興味深そうに顔を出した。
【エイラン老婆への証拠】
ミレーヌはハッとした。彼女はゴドウィンが持って来させた小さな籠に、育ったイチゴとハーブ、そして浄化茸そのものをいくつか収めた。
「ゴドウィン、テオくん、ちょっと来てください」
彼女は再びエイランの小屋の前へと立った。今回は、ためらうことなくドアをノックした。
ドアが開き、相変わらず猜疑心に満ちた老婆の顔が見える。
「……また、お嬢様か。何の用だ――」
その言葉が終わる前に、ミレーヌは籠を差し出した。
「エイランさん。これは、オルターナ邸の裏庭で、数週間前まで魔性に侵されていた土地で採れたものです」
老婆は言葉を失った。籠の中の、鮮やかな赤いイチゴと瑞々しいハーブを見つめる。そして、特に、あの不気味だったキノコが、むしろ生き生きとしている様子をじっと観察した。
「……まさか……あのキノコが……?」
「ええ」ミレーヌは力強く肯いた。「このキノコが、土地を癒しました。そして、普通の作物が育つ土壌を取り戻しつつあります。これが、私がお見せしたかった『結果』です」
老婆は無言で、籠から一本のイチゴを取り、慎重に口に運んだ。彼女の頬が、わずかに動いた。そして、長い沈黙の後、彼女はゆっくりと顔を上げた。その目には、もはや猜疑心はなく、驚きと、わずかながらの希望の光が宿っていた。
「……ふん……まあ……、思ったよりは……ましな味じゃ」彼女はわざとそっけない言い方をしたが、その声のトーンは以前より明らかに柔らかくなっていた。「……で? その……キノコの土を、わしの庭にも……くれるというのか?」
ミレーヌの顔に、ぱっと笑顔が広がった。
「ええ、喜んで!ただし、条件があります。あなたの庭も、一つの『実験区画』として、経過を一緒に観察させてください」
【ラントフ男爵の影】
その帰路のことだった。オルターナ邸へと戻る途中、境界付近の道で、よそ者らしい男とすれ違った。肥太った、商人風の男だ。男は、ミレーヌとゴドウィン、そして彼らが持つ籠の中の産物を、細い目でじろりと観察した。特に、浄化茸に視線が長く留まった。
「おや、これはこれは……オルターナのお嬢様じゃありませんか」男はわざとらしくおどけた調子で声をかけてきた。「随分と……珍しいものを収穫されているようで。そのキノコ、見たこともない種類ですが、いったいどこで?」
ゴドウィンが微かにミレーヌの前に立ちはだかる。
「領内のことは、領内の者だけで充分です。お尋ね者のお方には、何のお答えも致しませんな」
男は嗤った。
“ふん……つまらん用心深さだ。まあいいさ。だがな、お嬢様」男の声が急に低く、威圧的になる。「借金を抱えた没落領主が、妙な物を栽培している……となれば、ラントフ男爵様も、さぞご興味を持たれるでしょうなあ。ご注意を」
そう言い残すと、男は嘲るように去っていった。
冷や汗がミレーヌの背中をつたった。
(ラントフ男爵……!あの借金取りの背後にいる……!)
ゴドウィンが厳しい表情で呟く。
「……油断なりませんな。男爵は、この領地自体を我が物にしたいと長年虎視眈々と狙っております。この浄化の成功は、彼にとっては邪魔でしかない……」
ミレーヌは籠の中のイチゴを見つめた。ほんの数時間前までは、希望の象徴に思えたその赤い実が、今は少しだけ危険の香りを帯びているように感じられた。
(成功は、必ずしも祝福だけをもたらすわけじゃない……)
(新たな敵意と警戒……これもまた、領地を再生する上で越えなければならない壁なんだ)
彼女は拳を握りしめた。細い指に、今回は覚悟の力がこもる。
「ゴドウィン、急ぎましょう。菌糸の培養速度を上げなければ。そして……領地の防衛についても、考え始めないと」
更新は不定期になるかと思いますが、最後までしっかり描いていきたいと思っています。
気長にお付き合いいただけると嬉しいです!




