第56話『同盟拡大 - 孤立からの脱却』
第56話では、商会との断絶で揺れるオルターナ領が、思わぬ来訪者たちとの出会いをきっかけに“新しいつながり”を作り始めます。孤立から、次の一歩へ。
翡翠の葡萄商会との取引凍結から二週間が経ち、オルターナ領の財政は徐々に締まり始めていた。
領主館の会計室では、エイランが古びた帳簿とにらめっこしながらため息をついた。
「今月分の給金は何とかなりましたが、来月の建築資材の支払いが……商会経由で注文していた分のキャンセル料もかさみます」
ミレーヌは窓辺に立ち、領地の外へと続く道を見つめていた。その道は、かつては商会の荷車で賑わっていたが、今は閑散としている。
「一本の太い幹に頼るのは、確かに危険だったわ」
その時、館の玄関から慌ただしい足音が聞こえ、ガルムが飛び込んできた。
「ミレーヌ様!領地の境界で、小さな商人の一団が足止めされています。通行許可を求めているようですが……」
「商人? 商会の関係者ですか?」
「いえ、見知らぬ顔ぶれです。しかも……」ガルムは声を潜めた。「護衛らしき者たちが、明らかに戦闘の傷を負っています。何かから逃げてきた可能性があります」
ミレーヌは目を輝かせた。
「連れてきなさい。ただし、武器は預かるように」
境界の検問所で待っていたのは、十人ほどの小集団だった。先頭に立つのは、四十代ほどの精悍な顔つきの男。その横には、若い女性と、老年の職人風の男がいた。皆、衣服に旅の塵をかぶり、疲労の色が濃い。
「わたくしは、カイルと申します」男は恭しく頭を下げた。「こちらは娘のリナ、そして親方のベルトルトです。元々は東部の自由都市カラドックで、魔導道具の部品を製造していました」
ミレーヌは彼らを書斎に招き入れ、温かい食事と飲み物を用意させた。
「カラドック……かなり遠方からいらしたのですね。何かあったのですか?」
カイルの表情が曇った。
「ダンロップ侯爵派の圧力です。半年ほど前から、侯爵家の御用商人が我が工房に『買収』を持ちかけてきました。断ると、原料の調達ルートを断たれ、納入先からは不当なクレームがつくようになり……」
リナが悔しそうに拳を握る。
「父は三ヶ月持ちこたえましたが、先月、工房に放火騒ぎが起こりました。幸い大事には至りませんでしたが、これ以上は無理だと判断し、工房を畳んで逃げ出すことにしたのです」
ベルトルト親方が、震える声で付け加える。
「侯爵派は、中小の技術を持つ工房を次々と手中に収め、あるいは潰しています。我々のように逃げ出した者も少なくありません。この辺境に、彼らの手が届かない場所はないかと探していたところ、オルターナ様の噂を耳にしたのです」
「噂?」
「はい」カイルの目が真剣になった。「辺境の小領地ながら、独自の魔導農法で土地を再生し、ダンロップ侯爵と対峙していると。もし本当なら……我々のような者を受け入れてはいただけないでしょうか」
ミレーヌはゴドウィンと視線を交わした。彼は微かにうなずく。
「あなた方の技術は、具体的にどのようなものですか?」
ベルトルト親方の目が輝いた。
「主に、魔力の微細な制御が必要な精密部品です。魔導灯の調光器、通信機の周波数調整器、小さな防御結界の核になる結晶の加工……」
「それは、まさに今、私たちが求めている技術です」ミレーヌが微笑んだ。「私たちは、古代遺物のエネルギーを利用した新しい農法を開発中ですが、その制御には、極めて精密な魔導部品が必要なのです」
カイルたちの顔に希望の色が戻った。
その夜、領主館で小さな集会が開かれた。出席者は、カイル一行、ミレーヌ、ゴドウィン、ガルム、そして数人の領民代表だった。
「私は、『地下の葡萄の蔓』計画を提案します」ミレーヌが語り始めた。「一本の太い幹(商会)に頼らず、無数の細い蔓(小規模な取引関係)を張り巡らせ、それらを網の目のように結びつけることで、一本が切れても全体が崩れない経済ネットワークを作るのです」
ゴドウィンが補足する。
「侯爵派は大規模な取引ルートを押さえることで影響力を行使します。しかし、小口で多様な、時に非公式な取引の網の目をすべて監視し、制圧するのは不可能でしょう」
カイルが感嘆の息を吐く。
「それは……つまり、見えない経済圏を作るということですか?」
「ええ」ミレーヌの目が鋭く光った。「第一段階として、オルターナ領を『避難所』兼『実験場』として開放します。侯爵派に追われた技術者や商人を受け入れ、彼らの技術を私たちの開発に活かす。その見返りとして、私たちは安全な場所と、研究の場を提供する」
ベルトルト親方がうなずく。
「技術者は、研究できる環境さえあれば生きていけます。報酬が少なくても、自分の技術が役立ち、新しいものを生み出せる場があるなら……」
「第二段階」ミレーヌが続ける。「このネットワークを、他の辺境領地や、侯爵派に抑圧されている地域へと拡大します。オルターナ領で生み出された技術や製品を、そのネットワークを通じて流通させる。決済は、金貨だけでなく、物々交換や、技術提供による相殺も可能にする」
リナが興奮して言う。
「それは、侯爵派が支配する既存の市場を完全に迂回する……『もう一つの経済』ですね!」
「その通りです。しかし、これは容易な道ではありません」ミレーヌは現実を直視した。「秘密を守るための暗号や、密かな物流ルートの確保、相互監視システム……何よりも、参加者全員の信頼と覚悟が必要です」
カイルは深く息を吸い、立ち上がった。
「オルターナ様。我々は、その覚悟があります。すでに失うものはほとんどありません。せめて、自分の技術が、あの腐った権力に利用されるよりは、こうした志のある方のために役立ちたい」
その後、一週間で状況は動き始めた。
カイルとベルトルト親方は、領地内にあった古い倉庫を改造し、小さな工房を立ち上げた。彼らの最初の仕事は、魔導農園の制御装置に必要な精密部品の製作だった。その精度は、ゴドウィンでさえ驚くほど高かった。
一方、リナは驚くべき才能を見せた。彼女は領地内をくまなく歩き、隠れた技能を持つ領民たちを見つけ出したのだ。染物が得意な老婆、細かい木工ができる樵、薬草の知識が豊富な野草摘みの少女──そうした「日常の技術」が、実は魔導農園の運用に不可欠なことがわかってきた。
「この染料は、魔力の流れを可視化する検査薬に転用できます」
「この木工技術で、精密な測定器具の外枠が作れます」
「この薬草の組み合わせで、魔導植物の病気を予防できます」
ミレーヌはリナの報告を聞きながら、あることに気づいた。
「私たちは、『専門家』だけを求めていた。でも本当に必要なのは、多様な『知恵』の結集なんだわ」
二週間後、最初の「蔓」が外部へと伸び始めた。
カイルの旧知の商人が、密かに領地を訪れた。彼は自由都市ラーベルで小さな雑貨店を営んでいたが、侯爵派の系列商会から不当な競争を強いられ、窮地に立たされていた。
「オルターナ領の特産品……例えば、あの魔法のキノコから作られた健康茶なら、うちで販売できます。代金は、貴方がたが必要とする薬草や、外部の情報で支払うことも可能です」
また別の日には、流浪の吟遊詩人が訪れた。彼は表面上は歌を奏でるが、実は各地の情報を収集し、売ることを生業としていた。
「王都の噂なら、いくらでもお教えしますよ。代わりに、この領地で一週間、安全に過ごさせてください。それと……あの美味しい野菜を少し」
ミレーヌは全ての申し出を慎重に検討した。中には、間違いなくスパイもいるだろう。しかし、完全な安全を求めていては、何も始まらない。
「ガルム、密かな監視体制を強化してください。ただし、表立って疑わしい態度は取らないように」
「了解しました。領民たちにも、『不審な者を見かけたら、自然に報せる』ように伝えておきます」
ある夕暮れ、ミレーヌは新設された工房の前で、カイルと話していた。
「ご協力、本当にありがとうございます。あなた方なしでは、ここまで来られませんでした」
「とんでもありません」カイルは遠くの山々を見つめながら言った。「むしろ、我々に希望を与えてくれたのは、あなた方です。権力に屈せず、自分の土地を、自分の手で守ろうとする姿に」
その時、リナが走ってきた。
「父さん!ミレーヌ様! 新しい連絡がありました!」
「どうしたの?」
「西の峠を越えたところに、鉱山技術者の一団が避難しているそうです。彼らの鉱山も、侯爵派に奪われたと……。接触を求める伝言が届きました」
ミレーヌはゴドウィンを見た。彼はゆっくりとうなずいた。
「次の『蔓』が、伸びようとしている」
そう呟きながら、ミレーヌは西の空を見つめた。夕焼けが山肌を赤く染め、それがまるで、広がりゆくネットワークの血管のように見えた。
孤立は、結束への第一歩だった。そして今、その結束が、新たな力を生み始めていた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
期末テストの期間に入るため、一週間ほど更新をお休みさせていただきます。
少し間が空いてしまいますが、テストが終わり次第、また続きから再開しますので、のんびり待っていただけると嬉しいです!
これからもどうぞよろしくお願いします。




