第55話『命の炉起動 - 理論と実践』
第55話では、ついに古代装置「命の炉」の本格的な解析と、小規模な実験が始まります。
ゴドウィンの古代魔術、ミレーヌの生物学、領民たちの経験がひとつに重なり、物語は“創造”の段階へ。
ゴドウィンの告白から三日後、領主館の書斎は「作戦室」と化していた。
机の上には、三種類の書類が山積みになっている。左側にはゴドウィンが三十年かけて解読した古代文字の写しと、彼の魔術理論に関するノート。中央にはミレーヌが生物学の知識から推測した生態系モデル図。右側には領民たちの実地観察記録──作物の成長速度、土壌の成分変化、魔性生物の行動パターンが細かく記されていた。
「では、統合いたしましょう」
ゴドウィンが一枚の新しい羊皮紙を広げた。ミレーヌと彼の間に立ち、筆を手に取ったのは、かつて書記官を務めていた老領民、マルコムだった。彼の手は震えていたが、それは年齢のせいではなく、歴史的瞬間に立ち会う緊張からだった。
「第一の前提」ゴドウィンが口を開く。「『ヴァーミス・ルミナリス』は、あらゆる生命に共通する『根源的な成長の原理』に働きかける装置でございます。単に植物を育てるだけでなく、微生物から高等生物まで、あらゆる生命活動を活性化させる力を持っています」
ミレーヌが続ける。
「しかし、現在の暴走状態では、そのエネルギーが無秩序に拡散しています。特定の種だけが異常繁殖し、生態系のバランスを崩している。鍵は『制御』です」
マルコムの筆が滑らかに動く。古代魔術の用語と、生物学の術語が、一つの図式の中に織り込まれていく。
「第二の仮説」ゴドウィンが指さす。「炉のエネルギーは、『波長』として理解できます。現在はすべての波長が混ざり合い、『白色光』のように無秩序に放出されています。本来は、特定の波長を選択的に放射するべきでございます」
「例を挙げると」ミレーヌが植物の図を取り上げる。「トウモロコシを育てたいなら、トウモロコシの遺伝子が最も共鳴する特定の波長を選ぶ。逆に、雑草の成長を抑制したいなら、その雑草の生命活動を阻害する逆位相の波長を送る」
老農夫のエズラが頬を震わせた。
「……そ、それはまるで、それぞれの作物に合わせた『太陽の光』を作り出すようなものですね」
「その通りでございます」ゴドウィンが深く頷く。「そして第三、最も重要な点は『フィードバック制御』です」
彼は複雑な魔方陣の図を描き始めた。
「炉はただエネルギーを放出するだけでなく、周囲の生命の状態を感知し、その情報に基づいて出力を調整できなければなりません。乾燥していれば水を、栄養が不足していれば養分を──そうした調整を自動的に行う『知性』が、古代の装置には組み込まれていたはずです」
ミレーヌの目が輝いた。
「生態系のホメオスタシス(恒常性維持)です!自然界そのものが持つ、バランスを保とうとする力。それを装置で補助、増幅する……」
「まさにその通りでございます」
議論は深夜まで続いた。ろうそくが何度も取り替えられ、コーヒー代わりのハーブティーが何杯も消費された。参加者は次第に増え、現場を知る農民たち、若い魔術に興味を持つ領民の子弟たちが、熱心に議論を聞き、時に意見を述べた。
こうして生まれたのが、後に「魔導農園基礎理論」と呼ばれることになる、五つの基本原則だった。
【第一原則:選択的共鳴】
生命の種類に応じた最適なエネルギー波長を選別・照射する。
【第二原則:生態連鎖調和】
単一種ではなく、生態系全体のバランスを考慮したエネルギー配分を行う。
【第三原則:土壌記憶利用】
土地が本来持っていた肥沃な状態の『記憶』を呼び起こし、再生を促す。
【第四原則:浄化循環】
魔性の汚染を、無害なエネルギーに変換し、浄化サイクルに組み込む。
【第五原則:人間との調和】
装置は人間の意思によって制御され、人間の生活を支えるために存在する。
「さて、理論は整いました」三日目の夜明け、ミレーヌは窓の外に広がる薄明るい空を見つめながら言った。「あとは実証あるのみです」
ゴドウィンが申し出る。
「まずは小規模な実験区画から始めるべきでしょう。炉の出力を万分の一に抑え、直径十メートルの円形区画で試験を行います」
「同意です。場所は?」
「西の森の端が適しております。万一の暴走があっても、周囲への影響が最小限に抑えられます」
その日の午後、選ばれた十人のチームが実験区画の設営に取りかかった。ゴドウィンの指揮のもと、地中に導管を埋設し、炉から伸びる魔力の『枝』を慎重に接続していく。
「出力調整用の魔方陣、確認いたしました」
「導管の接続点、漏れなしです」
「バックアップの遮断装置、作動確認済み」
ミレーヌは区画の中心に立ち、手にした特別な種を見つめた。これは、辺境で採れる最も生命力の強いが、同時に最も成長が遅い「鉄皮豆」だった。通常は三年かけてようやく発芽する。
「では……始めます」
ゴドウィンが古代語で呪文を唱え始めた。地面に刻まれた魔方陣が微かに青白く輝く。ミレーヌはその中心に種を埋め、上から両手をかざした。
「鉄皮豆よ、目覚めよ。この地のエネルギーと共鳴し、本来の姿を取り戻せ」
彼女の言葉は祈りのようでもあり、命令のようでもあった。生物学教師としての知識が、種の内部で眠る遺伝情報を思い起こさせ、領主としての意志が、土地との対話を促す。
一瞬、何も起こらなかった。
そして──
地面が微かに震えた。種を埋めた地点から、かすかな緑色の光が漏れ始める。それは徐々に強くなり、地中で何かが動く感触がミレーヌの手のひらに伝わってきた。
「発芽……しました」彼女が息をのむ。
通常三年かかる発芽が、数分で起こったのだ。土を割って現れたのは、鋼のように硬いが、生命力に満ちた若芽だった。
「出力、安定しています!」監視役の若者が叫ぶ。「周囲の雑草にも影響が出始めています。成長が促進されていますが、異常繁殖は見られません!」
ゴドウィンが記録を取る手を震わせた。
「選択的共鳴が……機能しています。鉄皮豆へのエネルギー集中率が82%。雑草への漏れは18%以下。見事でございます」
実験は三日間続けられた。その間、鉄皮豆は信じられない速度で成長し、三日目には小さな莢をつけ始めた。通常なら三十年かかると言われる開花まで、あと数週間というところまで来ていた。
「しかし、問題もございます」四日目の朝、ゴドウィンがデータを示した。「区画の外縁部で、わずかながら魔性の汚染が増加している。浄化循環が完全には機能していない証拠です」
ミレーヌはうなずいた。
「生態系全体のバランスを取るには、もっと広い範囲で、より多様な生物を対象にしなければなりません。単一種の実験では限界があります」
「次の段階としては?」
「直径百メートルの区画で、多様な作物と、昆虫、微生物を含む小さな生態系を作りましょう。そして『浄化循環』のテストを行います」
「危険が増しますが……」
「必要なステップです」ミレーヌの目は揺るがなかった。「この技術が本当に役立つものかどうか、徹底的に検証しなければなりません。中途半端な知識ほど危険なものはない。あなたが一番、ご存知でしょう?」
ゴドウィンは深く息を吸い、恭しく頭を下げた。
「おっしゃる通りでございます。では、来週にも第二段階実験の準備を始めましょう」
夕暮れ時、ミレーヌは実験区画を一人で見つめていた。鋼のような茎を伸ばす鉄皮豆は、夕日に照らされ、まるで小さな塔のように見えた。
「父様……見ていてください」
彼女は胸のペンダントに手を当てた。
「この技術で、オルターナ領を、いや、もっと多くの土地を救ってみせます。決して、武器にはしません。約束します」
風が吹き、鉄皮豆の葉がかすかに揺れた。それはまるで、同意するかのようだった。
理論は実践によって証明され始めた。そして、真の挑戦はこれからだった。
今回も読んでくれてありがとうございます!
いよいよ理論が形になって動き始める回でした。鉄皮豆の成長シーンは、書いててワクワクしたところです。
次回はさらにスケールが大きくなるので、ゆるっと楽しみにしてもらえると嬉しいです!




