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没落令嬢は農業で成り上がる!〜転生教師の魔導農園改革〜  作者: 星川蓮
第7幕『魔導農園への飛躍 - 防御から反撃へ』

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第53話『帰還後の現実 - 凍結された取引』

王都での死闘と逃避行を経て、ミレーヌはついに故郷オルターナ領へ帰還する。

彼女が持ち帰ったのは、父の死の真相へ繋がる“決定的な証拠”──そして、新たな戦いを覚悟した決意だった。

第六幕の終焉となる今回は、領地と民の待つ家へ戻る物語の節目となる一話。

王都からの帰還から十日が経った。


オルターナ領の朝は、かつてない活気に包まれていた。魔導農園の中核となる古代遺物周辺では、ゴドウィンの指揮のもと、魔力の導管マナ・コンダクトを地中に埋設する作業が昼夜を問わず続いていた。領民たちの顔には、新たな希望と技術者としての誇りが宿っている。


しかし領主館の書斎には、それとは別の空気が流れていた。


「届きました、ミレーヌ様」


エイランが差し出す封筒は、翡翠の葡萄商会の正式な紋章が押され、重々しい質感を持っていた。ミレーヌはそれを手に取り、少しの間ただ見つめていた。開封する前から、中身は分かっていた。


「……開けましょう」


羊皮紙を取り出すと、そこには厳格な事務用語で、簡潔すぎるほどの文章が記されていた。


『拝啓 オルターナ伯爵家当主 ミレーヌ・オルターナ様


平素より格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。


さて、本商会と貴領間における取引契約について、第3条項第2節(不可抗力及び継続困難事由)に基づき、再検討を要する状態にあると判断いたしました。


つきましては、本日より180日間、すべての取引を一時凍結とさせていただきます。期間中は、商品の受発注、資金決済、物流一切を停止いたします。


本措置は、貴領の品質や信頼性を疑うものではございませんが、外部環境の変化に伴うやむを得ない判断であることをご理解賜りますようお願い申し上げます。


なお、契約に基づく違約金等は発生いたしません。


敬具


翡翠の葡萄商会 取引管理部』


ミレーヌは静かに書類を机に置いた。傍らで聞いていたゴドウィンが低く唸る。


「180日……半年か。表向きは『再検討』だが、実質的な破棄通告だ」


「ええ」ミレーヌの声には怒りも嘆きもなく、ただ事実を受け止める冷たさがあった。「王都での一件後、ルフィンからは非公式に連絡がありました。侯爵派が商会の主要取引先に圧力をかけ、『オルターナ領との取引継続はダンロップ家に対する敵対行為とみなす』との通告を出したと」


書斎の窓からは、領民たちが作業する姿が見える。あの光景は、この書簡一枚で脆くも崩れ去るのだろうか。


その時、館の玄関から慌ただしい足音が聞こえ、ガルムが書斎に飛び込んできた。


「ミレーヌ様! 倉庫地区から報告です!」


「どうした?」


「商会専用の輸送車が三台、領地の境界まで来ていますが、中身を降ろそうとしません! 今期分の契約肥料と種子、それに次回分の前払い金を積んだままです!」


ミレーヌとゴドウィンは視線を交わした。これは、凍結の「実行」だった。


「行きましょう」


倉庫地区には、重々しい貨物馬車が三台、不気味なまでに静止していた。周りには困惑した領民たちが集まり、不安そうにささやき合っている。


「どういうことだ?」

「今月の分が届かないと、拡張予定の西畑が……」

「給料の支払いも……」


馬車の傍らには、商会の担当者と思われる初老の男が立っていた。ルフィンではなく、見知らぬ顔だった。その表情には、業務を遂行するだけの無表情さが張り付いている。


「オルターナ当主様」男は形式ばって頭を下げる。「本日付で取引凍結の通知が発効いたしました。積み荷はすべて領地内に搬入できません。持ち帰ることになります」


「肥料や種子は、時間が経てば価値が下がります」ミレーヌは静かに指摘する。「少なくともそれらだけでも引き取らせてはもらえませんか? 代金は既に支払済みです」


「規定により不可能です」男の返答は機械的だった。「『すべての取引』の凍結です。商品の受け渡しも『取引』に含まれます」


領民たちから怒りの声が上がり始めた。


「それはひどい!」

「せめて代金だけでも返せ!」

「商会の信用はどこへ行った!」


ミレーヌは手を上げて周囲を静めると、担当者に一歩近づいた。


「では、こうしましょう。これらの積み荷を『寄付』として領地に置いていってください。代金の返還は求めません。ただ、作物が実った際に、お礼として収穫物を商会に送るとします。これは『取引』ではなく、個人間の『贈与』です」


男の目が一瞬、わずかに揺れた。彼もこの決定が理不尽であることを承知しているようだった。


「……申し訳ありません。私にはその権限がございません。命令は明確です」


彼は馬車の御者に合図を送った。車輪がきしみ、馬車がゆっくりと方向を変え始める。領民たちは無力感に打ちひしがれ、ただそれを見送るしかなかった。


その夜、領主館で緊急会議が開かれた。出席者はミレーヌ、ゴドウィン、ガルム、そして各地区の代表者たち。


「今期の予算の四割を、商会への売上に依存していた」ゴドウィンが石板に刻まれた数字を示す。「凍結は即座に現金の流れを止める。今月末の給金支払いが危うい」


「肥料がなければ、拡張予定の西畑の開墾は延期せざるを得ない」農業担当の老農夫が頭を抱える。


「建築資材も、商会経由で手配していた分はすべて止まる」建築責任者の男がため息をつく。


不安と焦りの空気が部屋を満たす。ミレーヌはそれらすべてを感じ取りながら、ゆっくりと立ち上がった。


「皆さん、聞いてください」


全員の視線が彼女に集まる。


「確かに、これは危機です。しかし、同時に『機会』でもあるのです」


「機会?」誰かが呟く。


「ええ」ミレーヌの目に確かな光が灯る。「私たちはこれまで、翡翠の葡萄商会という『一本の太い幹』に依存していました。それは確かに安定していましたが、その幹が折れれば、私たちは倒れてしまう」


彼女はテーブルの上に、領地の地図を広げる。


「では、どうするか。一本の幹に頼るのではなく、無数の『蔓』を張り巡らせるのです」


ゴドウィンが理解したようにうなずく。「……自立的な経済圏の構築か」


「そうです」ミレーヌの指が地図の上を動く。「まず第一に、私たちは単なる『一次産品の生産者』から脱却します。収穫した作物をそのまま売るのではなく、ここで加工し、付加価値をつけてから売るのです」


「具体的には?」ガルムが前のめりになる。


「三つの柱です」ミレーヌは指を折り始める。「一つ目:薬学。魔導キノコや浄化植物から、薬品や健康補助食品を製造する。二つ目:魔導素材。魔力を帯びた作物から、簡易な魔導器や魔力貯蔵素材を作る。三つ目:食のブランド。ここでしか育てられない特殊な作物を使った高級食品」


代表者たちの目に、少しずつ希望が戻ってくる。


「しかし、その『蔓』となる取引先は?」老農夫が現実的な質問を投げかける。


「二つあります」ミレーヌは微笑んだ。「一つは、ダンロップ侯爵派の圧力にさらされている中小商人や職人たちです。彼らもまた、新たな活路を求めています。もう一つは──」


彼女の目が鋭くなる。


「──王国の『外』です」


「外?」ガルムが驚く。


「隣国との密貿易?」ゴドウィンが眉をひそめる。


「違います」ミレーヌは首を振る。「独立した自由都市、冒険者ギルド、魔術師の研究機関、そして辺境を巡回する大規模キャラバン。これらは、王都の権力構造に直接縛られていない存在です。侯爵派の影響力が及ばない、あるいは及んでも無視できるほどの独自の権威を持つ者たちです」


会議の空気が一変した。絶望から、可能性へ。受け身から、能動へ。


「もちろん、道は険しいでしょう」ミレーヌは皆を見渡した。「商会のような確実な大口取引は期待できません。小口で多様な取引を細かく管理する必要があります。失敗もするでしょう」


彼女は拳を握りしめた。


「しかし、これは私たちが『自立』するための唯一の道なのです。誰かの都合で振り回される領地から、自らの技術と産物で世界と対等に渡り合える領地へ。これが、私たちの次の一歩です」


沈黙が一瞬流れ、そして老農夫が立ち上がった。


「……お嬢様がそこまでおっしゃるなら。この老いぼれも、もう一頑張りしてみますか」


「私もです」建築責任者が続く。「新しい工房の設計を始めましょう」


「護衛の強化も必要ですな」ガルムが力強くうなずく。「新しい取引路は、新しい危険も招きます」


ミレーヌは深く頭を下げた。


「ありがとうございます。では、明日から動きましょう。最初の目標は、今月末の給金を、商会に依存しない形で全額支払うことです」


会議が終わり、人々が去っていく中、ミレーヌは一人書斎に残った。窓の外には、古代遺物から伸びる微かな魔力の光が、闇夜を優しく照らしていた。


彼女は机の上の商会からの通知書をもう一度見つめると、ゆっくりと引き裂いた。


「依存からの卒業です、ルフィンさん」


紙片が暖炉の火に投げ込まれ、瞬く間に炎に包まれた。


新しい経済戦争の幕が、静かに上がった。


第52話を読んでくださり、ありがとうございます。

この回で、長かった第六幕が一区切りとなりました。

ミレーヌが背負う真実、領民たちの想い、そして新たに向き合うべき二つの戦い。

ここから先は、彼女自身が“領主として立つ”物語へと進んでいきます。


続く第七幕では、オルターナ領の未来が大きく動き始めます。

次回もぜひお付き合いください。

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