第52話『第六幕の終焉 - 真実を携えて』
王都での死闘と逃避行を経て、ミレーヌはついに故郷オルターナ領へ帰還する。
彼女が持ち帰ったのは、父の死の真相へ繋がる“決定的な証拠”──そして、新たな戦いを覚悟した決意だった。
第六幕の終焉となる今回は、領地と民の待つ家へ戻る物語の節目となる一話。
オルターナ領に近づくにつれ、空気が変わっていくのをミレーヌは感じた。王都アヴァロンの洗練された、しかしどこか冷たい空気から、辺境の荒々しくも懐かしい風へ。馬は疲れ果て、脚を引きずりながらも、馴染みのある土の匂いを嗅ぎ分けて速度を上げる。
「領地が見えてきました、ミレーヌ様」
ガルムの声は、疲労で濁りながらも安堵に満ちていた。彼の左腕には深い斬り傷が負われ、簡易的な包帯が血に滲んでいる。王都脱出後の三日間、追手をかわしながらの逃避行は過酷を極めた。
眼下に広がるオルターナ領の夜景は、ミレーヌの胸を締めつけた。領主館の窓には幾つかの灯りがともり、周囲の集落からもかすかな明かりが揺れている。平和そうに見えるその光景の裏で、どれほどの不安と期待が彼女の帰還を待ちわびていたことか。
「ご無事で……!」
領主館の門前には、早くも人影が集まっていた。先頭に立つのは、杖にすがりながらも背筋を伸ばしたゴドウィンだった。彼の後ろには、エイランをはじめとする領民たちの顔が見える。
ミレーヌは馬から降りるなり、足を取られそうになった。極限の緊張が解け、疲労が一気に襲ってきた。
「ゴドウィン……皆……」
「ようやく帰られた」ゴドウィンが一歩前に出る。彼の目はミレーヌの全身を、無事かどうか確認するように走った。「王都の噂は既に届いている。侯爵主催の夜会で大乱闘があり、死者まで出たと」
ミレーヌはうなずき、胸にしまった証拠書類の束に手を当てた。「真実を手に入れました。父を殺したのは、間違いなくギデオン・ダンロップです」
領民たちからどよめきが起こる。
館の中では、エイランが温かいスープを用意し、ガルムの傷の手当てが急がれた。ミレーヌは暖炉の前の椅子に深く座り、目を閉じた。アルフォンスが崩れ落ちる瞬間、ギデオンの冷笑、逃げ惑う王都の夜道──すべてが瞼の裏に焼きついていた。
「まずは休まれるがよい」ゴドウィンが静かに言う。「詳細は明日でも遅くはない」
「いえ」ミレーヌは目を開けた。「今、話さなければ。皆が何を待っているか、私は知っています」
彼女は立ち上がり、館の広間に集まった主要な領民たちを前に、王都での出来事を語り始めた。翡翠の葡萄商会との二重契約、反侯爵派との出会い、仮面舞踏会でのギデオンとの舌戦──そして、アルフォンスの証言とその最期。
「これが、彼が命と引き換えに渡してくれたものです」
ミレーヌは机の上に証拠書類を広げた。改ざん前の帳簿の写し、ギデオンがアルフォンスに渡した小瓶(中身は専門的な分析を待っていた)、そしてセリーヌが用意した侯爵派の資金流れを示す書類。
「しかし、これだけでは不十分だ」ゴドウィンが現実的な指摘をした。「ダンロップ侯爵は、これらの証拠をすべて『偽造』だと主張するだろう。単独の証人は死亡し、我々に残されたのは状況証拠だけだ」
「わかっています」ミレーヌの目には確かな意志が灯っていた。「だからこそ、次の一手が必要です。これらの証拠を、侯爵派が否定できない形で提示しなければ」
その夜遅く、ミレーヌとゴドウィンは書斎に残り、戦略を練った。
「翡翠の葡萄商会は依然として味方ですが」ゴドウィンが指摘する。「王都での事件後、表立っての支援は難しくなるでしょう。侯爵派が商会への圧力を強めるはずです」
「ルフィンからの伝令が今晩届いています」ミレーヌは封のない手紙を手に取った。「商会との正式な取引ルートは、『再検討期間』として一時凍結された。しかし、情報部との非公式な連携は継続する、と」
「つまり、表の顔では距離を置き、裏では支援を続けるということか」
「ええ。そしてもう一つ」ミレーヌの表情が暗くなる。「クロード・ヴェルモンド子爵からも連絡がありました。反侯爵派の数名が、『不審な事故』に遭ったそうです。侯爵派の報復が既に始まっています」
書斎の窓の外には、オルターナ領の闇が広がっていた。しかしその闇は、王都の冷たい闇とは違う。ここには、守るべきものがある。
「我々に残された道は一つです」ミレーヌはゆっくりと言った。「この証拠を、ダンロップ侯爵派を倒すだけの『力』に変えること」
「どうやって?」
「二つの方法があります。第一に、王国の司法機関や王室を動かすだけの『圧力』を形成すること」ミレーヌは指を折る。「第二に……侯爵派そのものを内部から崩壊させることです」
ゴドウィンは鋭くミレーヌを見た。「つまり?」
「ギデオンの婚約者、イザベラ・レインフォード伯爵令嬢です」ミレーヌの目が細くなった。「あの女性は、単なる飾りではありません。彼女を通じて、レインフォード伯爵家をも巻き込める可能性があります」
「危険すぎる賭けだ」
「ええ。しかし、今の我々に安全な道などないのです」
ミレーヌは証拠書類をしっかりと握りしめた。羊皮紙の感触が、アルフォンスの血の記憶を呼び起こす。
「ゴドウィン、私はこれから、二つの戦線で戦います。一つは、この証拠を武器にした王都での政治戦。もう一つは……」
彼女は窓の外の闇を見つめた。
「オルターナ領そのものを、誰も侵せないほどの『力』に育て上げることです。第七幕で発見した古代遺物の力、そして魔導農園の技術を、防衛のための武器へと発展させなければ」
ゴドウィンは深く息を吐き、うなずいた。「かつての私は、知識を隠し、遠ざかることで平和を守れると思っていた。しかし、それは間違いだった。時には、知恵を剣に変えなければならない」
「ええ」ミレーヌは微笑んだ。「次の幕は、『魔導農園への飛躍』でしたね。私はそれを、単なる農業技術の向上だけではなく、領地全体を守る『要塞農園』へと進化させます」
その夜、ミレーヌは眠れなかった。書斎の机に向かい、第七幕以降の構想を練り始めた。魔導キノコのネットワークによる領地全体の監視システム。古代遺物のエネルギーを利用した防御結界。作物そのものを生物兵器として育てる可能性──。
しかし、彼女の思考は時折、王都で出会った人々の顔で中断された。ルフィンの心配そうな表情、セリーヌの鋭い瞳、クロード子爵の苦渋に満ちた決意。そして、何よりアルフォンスの最期の笑み。
窓の外が薄明るくなり始めた時、ミレーヌは一つの結論に達していた。
「私は二度と、誰の命も代償にしない」
彼女は証拠書類をしまい、立ち上がった。朝もやの中に浮かび上がるオルターナ領を見つめながら、彼女は誓った。
父の無念を晴らすこと。
領民を守り抜くこと。
そして、ダンロップ侯爵派という腐った権力の根を、この手で引き抜くこと。
真の戦いはこれからだ。ミレーヌは拳を握りしめ、新たな決意を胸に刻み込んだ。
「次は、こちらの番だ」
第52話を読んでくださり、ありがとうございます。
この回で、長かった第六幕が一区切りとなりました。
ミレーヌが背負う真実、領民たちの想い、そして新たに向き合うべき二つの戦い。
ここから先は、彼女自身が“領主として立つ”物語へと進んでいきます。
続く第七幕では、オルターナ領の未来が大きく動き始めます。
次回もぜひお付き合いください。




