第51話『王都脱出 - 追跡と死闘』
王都脱出編、いよいよ佳境です。
前回ついに掴んだ“決定的な証拠”を手に、ミレーヌとガルムが命懸けの脱出劇へ挑みます。
舞踏会の裏で始まった静かな策謀は、ついに正面衝突の局面へ──。
裏庭は月明かりに照らされ、不気味な静けさに包まれていた。ガルムはミレーヌの腕をしっかりと掴み、影に潜みながら馬厩へと急ぐ。侯爵邸からは怒号と武器のぶつかる音が響き、囮となった商会工作員たちが時間を稼いでくれている。
「あそこだ」ガルムが低く唸る。
馬厩の扉は半開きだった。中には三頭の軍馬が繋がれている。しかし──
「待て」ガルムがミレーヌを制止させた。「罠の匂いがする」
彼は地面から小石を拾い、馬厩の中に投げ込んだ。すると、何かが細かく光り、石が二つに切断されて落ちた。
「魔導のワイヤーだ。首を刎ねられる」
その時、背後から声が響いた。
「賢明な判断です、辺境の猟犬め」
振り返ると、そこには黒いローブをまとった三人の男が立っていた。そのうちの一人は、ラントフ男爵に雇われていた瘴煙の呪い師団の生き残りだとミレーヌはすぐに気づいた。
「ギデオン様は、貴女が裏庭から脱出しようとするだろうと予測されていた。見事な的中です」
ガルムはミレーヌを背後に隠すように立ちはだかった。「逃げろ、ミレーヌ様。別のルートを」
「しかしガルム、あなた一人では──」
「時間がない!」
魔術師たちが一斉に呪文を唱え始めた。黒い煙が渦を巻き、地面から骸骨のような手が伸びてくる。
ミレーヌは咄嗟に懐から小さな袋を取り出した。辺境から持ち込んだ、魔導キノコの乾燥粉末だ。
「ガルム、息を止めて!」
彼女は袋を空中に放り投げ、同時に懐から取り出した火打ち石で火花を散らした。粉末に引火した瞬間、閃光とともに幻覚性の胞子が拡散する。
「なにっ!?」
魔術師たちは目を覆い、咳き込み始めた。彼らの操る黒い煙が乱れ、骸骨の手が崩れ落ちる。
「今だ!」
ガルムが馬厩の横にある窓を蹴破り、ミレーヌを中に押し込む。馬たちが驚いて嘶く。
「馬に乗れ!」
二人は手近な馬に飛び乗った。ガルムが手綱を握り、馬厩の裏口から飛び出す。背後から魔術師たちの怒号が追ってくる。
侯爵邸の外には、既に十人ほどの私兵が待ち構えていた。しかし彼らは正面の商会工作員たちと交戦中で、裏からの脱出に気づいていないようだ。
「東の門へ!」ミレーヌが叫ぶ。「城門が閉まる前に!」
二頭の馬が石畳を駆け抜ける。王都の夜道を、警備兵の目をかいくぐりながら東を目指す。しかし──
「逃がすと思うか、オルターナ!」
突然、前方の広場から馬車が現れ、行く手を塞いだ。その馬車から降り立ったのは、まさにギデオン・ダンロップ本人だった。彼は優雅な礼服の上に防寒用の外套を羽織り、手には細身の刺突剣を持っている。
「よくも私の大切な証人を殺しましたね。あの男はまだ使い道があったのに」
「殺したのは貴方の部下でしょう!」ミレーヌが抗議する。
「証拠は?」ギデオンは冷笑した。「さあ、あの証拠書類をよこしなさい。そうすれば、痛みの少ない死を与えてやろう」
ガルムは馬から降り、剣を抜いた。「ミレーヌ様、先に行ってください。ここは私が」
「だが──」
「約束です。お嬢様を守ると」
その時、ミレーヌはあることに気づいた。広場の隅に、小さな花壇がある。そこに植えられているのは──ナイトシェード(悪魔の草)だ。毒性が強く、幻覚作用を持つ。
「ガルム、少し時間をください」
ミレーヌは馬から降り、花壇へと走り寄る。ギデオンは面白そうに見ている。
「何をするつもりだ? 最後の祈りか?」
ミレーヌはナイトシェードの葉を素早く摘み取り、懐から取り出した小さな乳鉢ですりつぶす。そこに唾と土を混ぜ、ペースト状にする。
「貴方は生物学の知識を駆使して父を殺した」ミレーヌはギデオンを見据えながら言う。「ならば、私も同じ武器で戦いましょう」
彼女はそのペーストを手に取り、地面に撒き散らす。同時に残りの魔導キノコ粉末を混ぜ合わせる。
「何をしている?」
「生態系のバランスについて、教えてあげましょう」ミレーヌは火打ち石を打つ。
今度は大規模な閃光ではなく、色とりどりの煙が立ち上る。ナイトシェードの毒が気化し、キノコの幻覚成分と混ざり合う。
ギデオンと私兵たちが咳き込み、目をしばたたき始める。
「見えぬ……何だこれは!?」
「私の『農法』の応用です」ミレーヌは馬に戻りながら言う。「自然の力を侮ってはいけません」
ガルムが追いすがってくる私兵二人を倒し、馬に飛び乗る。
「行きますぞ!」
二頭の馬が煙の中を突き進み、東門へと向かう。背後ではギデオンの怒号が響いている。
「見つけ出せ! 生きても死んでも、あの証拠を奪い返せ!」
城門は目前だった。しかし門番たちは既に警戒しており、門を閉めようとしている。
「止まれ! 通行禁止だ!」
ミレーヌは証拠の書類を高く掲げた。
「私はオルターナ伯爵家当主、ミレーヌ・オルターナ! ダンロップ侯爵家による犯罪の証拠を持って、王都を脱出する! これを止めるなら、侯爵派の共犯となる!」
門番たちは動揺した。彼らの多くは単なる兵士であり、貴族間の争いに巻き込まれたくなかった。
「しかし命令は──」
その時、後方から追手の足音が近づいてくる。
「時間がありません!」ガルムが叫ぶ。
一人の年配の門番が決断した。「……通れ! 速やかに!」
門がわずかに開き、二人は駆け抜ける。王都の外へ、闇夜の中へ──。
荒れ地を馬で駆けながら、ミレーヌは振り返って燃えるような王都の灯りを見つめた。手には、アルフォンスの命と引き換えに得た証拠が握りしめられていた。
「次はこちらの番だ」彼女は誓うように呟いた。
真実を携え、辺境へ帰還する。そして、決戦の時は近い──。
第51話まで読んでくださってありがとうございます。
今回は追跡と対決が重なる、これまででも特にアクション寄りの回でした。
ミレーヌ自身の知恵と、ガルムの武勇がようやく噛み合った「逃走戦」になったと思います。
物語はいよいよ折り返し。
次回も続きが気になる展開になるので、ぜひお付き合いください!




