第49話『仮面舞踏会 - 言葉の刃』
王都編はいよいよ核心へ。
今回の舞台は、煌びやかでありながら、もっとも残酷な戦場──仮面舞踏会です。
言葉が武器となり、笑顔が罠となるこの場で、ミレーヌはついに“真実の影”に触れます。
父の死をめぐる謎が動き始める一話となりました。
ダンロップ侯爵家の本邸は、王都の他の貴族館を遥かに凌ぐ威容を誇っていた。磨き込まれた黒大理石の階段を上がると、そこには天井まで届きそうな巨大なシャンデリアが輝く広間が広がっている。壁一面に描かれたフレスコ画はダンロップ家の栄光を謳い、所々に配置された魔導装置が微かな気配を放っていた。
「オルターナ伯爵家当主、ミレーヌ・オルターナ様、ご到着!」
従者の告げる名前に、広間の喧騒が一瞬、微妙に途切れた。数十、いや数百もの視線が一斉にミレーヌに向けられる。好奇の目、侮蔑の目、憐れみの目、そして敵意すら感じる鋭い視線――。
ミレーヌは背筋をさらに伸ばし、優雅に一礼した。辺境の地で鍛えられた足取りは確かで、深緑のドレスがわずかに揺れる。
「あら、まあ……あのオルターナ家の?」
「辺境からよくぞこれたものね……」
「あのドレス、三年前の流行よ。やはり田舎者という感じがするわ」
ささやき声が波のように押し寄せる。ミレーヌはそれらを意に介さず、広間を観察した。ガルムは入口近くで警備の私兵たちと共に立たされ、苛立った様子でこちらを見つめている。
「オルターナ当主、よくお越しくださいました」
優雅な声音が響く。振り返ると、白銀の髪を背で束ねた初老の貴族が立っていた。その胸には、ダンロップ家の紋章が誇らしげに輝いている。
「私はクロヴィス・ダンロップ。本日の主催者でございます」
ミレーヌは内心で警戒を最大限に高めながら、完璧な礼儀作法で応える。
「侯爵閣下、本日はお招きいただき、光栄に存じます」
ダンロップ侯爵の笑顔は慈愛に満ちているように見えたが、その瞳の奥には計算高い光が宿っていた。
「お父上とは……残念ながら意見を異にすることが多かったが、優れた人物であった。貴女が領地を立て直しつつあると聞く。立派なことだ」
「お心遣いありがとうございます」
「さて、息子のギデオンにぜひ紹介したい。こちらへ」
侯爵に導かれるまま、広間の中央へと進んでいく。周囲の視線がさらに強くなるのを感じた。
そして、ついに彼が見えた。
グループの中心で笑いを誘っている青年。金色の髪を完璧に整え、最新の流行を意識した深紅の礼服がよく似合っている。青く澄んだ瞳は知的で、口元には人を惹きつける笑みを浮かべていた。
「ギデオン、こちらがオルターナ当主だ」
青年が振り返り、ミレーヌを見つめる。その瞳には一瞬、何かが走った――好奇心と、どこか残酷な興味の混ざった感情が。
「これはこれは、オルターナ様。お噂はかねがね承っておりました」
ギデオン・ダンロップは優雅にミレーヌの手を取ると、その手背に口づけした。その動作は完璧すぎて、かえって不気味に感じられた。
「ダンロップ様。お目にかかれて光栄です」
「とんでもない。辺境の地で見事な領地経営をなさっていると。特に……あの『キノコ』を使った農法は実に興味深い」
ミレーヌの心臓が一拍早くなった。彼は領地のことを詳細に把握している。
「お褒めいただき恐縮です。領民一同、力を合わせて取り組んだ結果でございます」
「領民と共に、ですか」ギデオンの口元がわずかに歪んだ。「なるほど、民主的なお方のようで。しかし、時には指導者たるもの、独断で推し進めることも必要ではありませんか? 例えば……十年前のあの鉱山事業のように」
ミレーヌの背筋が凍りつく。彼はわざとらしいほど無造作に、オルターナ家没落のきっかけとなった事業に言及した。
「父は領民の幸せを願って行動していました。結果は不幸なものとなりましたが、その思いだけは本物でした」
「ああ、お父様は確かに……理想家でしたね」ギデオンの目が細められる。「しかし現実は時に、理想では割り切れないこともある。特に……高い所がお苦手な方には尚更です」
ミレーヌの呼吸が止まりそうになった。転落事故――元のミレーヌを死に至らしめたあの事故をほのめかしている。
「高い所……ですか?」ミレーヌは必死で平静を装った。「辺境では日々、危険と隣り合わせです。どんな状況でも生き延びる術を学ばなければなりません」
ギデオンの目に一瞬、驚きの色が走った。彼はミレーヌが狼狽するのを期待していたのだ。
「実に頼もしいお言葉です。しかし……」ギデオンは一歩近づき、声を潜めた。「王都は辺境とは違います。ここでは、目に見えない罠が至る所に仕掛けられている。足を踏み外せば、二度と這い上がれないこともあるのです」
これは明らかな脅迫だ。ミレーヌは微笑みを崩さず、しかししっかりと応戦する。
「ご忠告ありがとうございます。しかし、オルターナ家の者は、一度倒れても必ず立ち上がるものです。それは……どのような形であれ」
二人の間には、見えない火花が散っている。周囲の会話が遠のき、この小さな空間だけが緊迫した空気に包まれた。
「ギデオン様、お客様がお待ちですよ」
優しい女性の声が割って入った。振り返ると、淡いピンクのドレスを着た若い女性が立っていた。
「ああ、イザベラ。オルターナ様、こちらはレインフォード伯爵家の令嬢で、私の婚約者です」
イザベラは無邪気な笑顔をミレーヌに向ける。
「オルターナ様、初めまして。お綺麗な方ですね。辺境からいらしたとは思えません」
その言葉には悪意はないように見えたが、ミレーヌは本能的に違和感を覚えた。イザベラの瞳の奥に、ギデオンと似た何かを見た気がした。
「お世辞でも、お褒めいただき光栄です」
「またお話ししましょうね、オルターナ様」ギデオンが優雅に一礼した。「夜会はまだ始まったばかりですから」
二人が去っていくのを見送りながら、ミレーヌは胸の内で確信した。ギデオン・ダンロップは間違いなく敵だ。そして、彼女の父の死にも何らかの形で関与している。
「オルターナ様、お久しぶりです」
振り返ると、クロード・ヴェルモンド子爵が立っていた。彼はミレーヌの様子を心配そうに見つめている。
「子爵様」
「あの狐との会話、見ておりました」クロード子爵は声を潜めた。「どうでした?」
「……噂に違わぬ方です」ミレーヌは静かに答えた。「しかし、これで良かった。生の敵をこの目で見られましたから」
「さて、これからが本番です」クロード子爵が囁く。「セリーヌさんからの伝言です。『準備は整いました。あとは合図を待つのみ』と」
ミレーヌは微かにうなずいた。商会情報部の工作員たちが、すでに侯爵邸内に潜入しているのだ。
夜会は華やかに続いていたが、ミレーヌにはそれが仮面を被った戦場にしか見えなかった。次の一手が始まろうとしている――。
第49話を読んでくださり、ありがとうございます。
ギデオンとの対峙は、静かでありながら緊張が走る場面になりました。
ここから物語はさらに深い領域へ踏み込んでいきます。
次回も楽しみにしていただければ嬉しいです。




