第47話『暗躍 - 情報戦の始まり』
情報が動き、人もまた動く――そんな忙しない空気の中で、ミレーヌの周りでは静かに大きな渦が巻き始めています。今回は、戦場とは違う“見えない戦い”に焦点が当たる回です。父の死の真相、王都に広がる不穏な影、そして新たに交錯する思惑。話が一段深みに入っていく、その入口のような一話になっています。
翡翠の葡萄商会の地下情報部で結ばれた危険な同盟から、数日が経った。
ミレーヌは宿の一室で、バートラムから託された資料と、商会情報部から提供された新たな情報を照合していた。紙束と石板が机の上に広げられ、彼女の目は鋭く文字列を行き来する。
「……なるほど」
彼女の呟きに、部屋の隅で武装の手入れをしていたガルムが顔を上げた。
「何か見つけたのか、ミレーヌ様?」
「ええ。父が関わったとされる鉱山事業……ここに記載されている採算性が、明らかに不自然です」
ミレーヌの指が、バートラムの写した帳簿の一行を指す。
「この『精錬効率』の数値が高すぎる。当時の標準的な技術では、とても達成できない。もしこれが虚偽なら、事業の収益性は大幅に水増しされていたことになります」
彼女は別の書類、商会が入手した鉱石の分析記録を手に取った。
「そして、この鉱石样本の分析結果。含有されているとされる希少金属の量が、実際の採掘可能量とかけ離れている。これは……最初から『詐欺』の可能性が高い」
ルフィンが宿を訪れ、新たな情報を持ち込んだ。
「ミレーヌ様、セリーヌさんからです。ギデオン・ダンロップの動向について」
彼は声を潜めて報告する。
「彼は表向きは文化サロンや慈善活動に勤しむ若き貴族ですが、裏ではかなり危険な交友関係を持っています。特に、『瘴煙の呪い師団』の残党と接触しているという確かな証拠を掴みつつあります」
ミレーヌの目が光る。
「ラントフ男爵と手を組んでいた魔術師団と、ギデオンが直接繋がっている?」
「はい。ただし、まだ直接の証拠はなく、すべては状況証拠の域を出ません」
その夜、ミレーヌはクロード・ヴェルモンド子爵の屋敷で開かれた、反侯爵派の密かな集会に招かれた。出席者はごく少数、皆が緊張した面持ちで集まる。
「オルターナ当主、ご苦労様です」
クロード子爵が挨拶する。
「我々も独自のルートで調査を進めている。ダンロップ侯爵派が、如何にしてこれほどの権力を築いたか……そのカギは、『薬』にある可能性が高い」
「薬?」ミレーヌは眉をひそめる。
「ええ。ご存知の通り、侯爵派に与する貴族は驚くほどに結束が固い。それは単なる利害関係以上の、ある『依存』があるからだと言われている」
ミレーヌの頭脳が高速で回転する。生物学教師としての知識が、糸口を求めて駆け巡る。
「もしや……向精神薬的なものですか? あるいは、長期投与によって効果を発揮する、特殊な毒……」
「その可能性が高い。我々の調べでは、侯爵派の貴族たちは定期的に『健康診断』と称して、侯爵家お抱えの魔薬師から調合品を提供されている」
ミレーヌは思わず机に手を置く。
「それでこそ、です。父の死因も、『心臓麻痺』というあいまいなものでした。もし、目立たない形で毒が作用するものなら……」
彼女の目に決意が灯る。
「子爵、お願いがあります。父が亡くなる前の数ヶ月、どのような症状が出ていたか、可能な限りの情報を集めていただけませんか?食欲の変化、皮膚の状態、動作のふらつき……どんな些細なことでも構いません」
「わかった。可能な限り調べよう」
ミレーヌは宿に戻ると、早速行動を起こした。商会情報部を通じて、王都で入手可能な薬草や魔鉱石の取引記録、特にギデオンや侯爵家が関与したものを集中的に調査させた。
そして三日後、決定的な手がかりが飛び込んでくる。
セリーヌが直接宿を訪れ、厳しい表情で報告した。
「ミレーヌ様、重大な発見がありました。ギデオン・ダンロップが、約十年前から特定の魔薬師に多額の資金を提供している記録を入手しました。その魔薬師は、『静かなる終わり』という、長期投与によって心臓を徐々に弱らせる毒の開発で知られる人物です」
ミレーヌの背筋が凍る。
「十年……前?」
「ええ。偶然の一致としては、あまりにも不自然な時期です」
さらにクロード子爵からも連絡が入る。老執事や侍女といった、当時オルターナ家に仕えていた者たちの証言をまとめたものだ。
「お父様は、倒れる数ヶ月前から、微かな吐き気とめまいを頻繁に訴えられていた。特に会食の後がひどかったという証言が複数あります」
ミレーヌは証言と記録を見比べ、静かに呟く。
「……会食の後」
すべてがつながり始めていた。ギデオンは父との会談の際、何らかの形で毒を盛った。そしてそれは、一度きりではなく、複数回にわたるものだった可能性すらある。
「しかし、まだ物的証拠が足りない」
セリーヌが現実的な壁を提示する。
「魔薬師とギデオンの資金の流れは掴めても、それが実際にオルターナ前伯爵に対する毒の調達に使われたという直接の証拠はありません。また、使用された毒そのもの、あるいはその調合記録が必要です」
ミレーヌは深く息を吸う。
「では、その『物的証拠』を探しましょう。その魔薬師のアトリエは?」
「王都の外れ、魔術師街の一角にあります。しかし、警備は厳重です。商会といえど、簡単に踏み込める場所ではありません」
「直接的な潜入は難しそうですね……」ルフィンがため息をつく。
その時、ミレーヌにあるアイデアが閃く。
「待ってください。その魔薬師……彼が使う薬草の調達ルートは掴めていますか?」
セリーヌの目がわずかに見開かれる。
「……それは、調査可能です」
「では、こうしましょう。彼が必要としているが、現在入手困難な薬草があるとします。商会のルートでそれを用意し、取引を持ちかけます。その過程で、アトリエ内部の情報を得るのです」
セリーヌは少し考え込み、ゆっくりとうなずく。
「危険な賭けですが……可能性はあります。調べてみましょう」
情報戦は静かに、しかし確実に進行していた。ミレーヌの生物学の知識が、政治と陰謀が渦巻く王都で、思わぬ形で光を放ち始める。
彼女は窓の外を見つめ、握りしめた拳を少しずつ強くしていく。
「もうすぐです、父様。あなたの無念を晴らす日が……」
読んでくださってありがとうございます!
今回はほぼ丸ごと情報戦の回でしたが、こういう静かな緊張感の話も書いていて楽しいです。ミレーヌがだんだん冒険者とか領主という枠を越えて、“調査官”みたいになってきましたね。
次回もじわじわと核心に近づいていくので、気軽に読みに来てもらえたら嬉しいです。ではでは、また!




