第43話: 『王都への扉 - ルフィンの新たな提案』
お読みいただきありがとうございます。
今回は、戦後の混乱が少し落ち着いたところに、物語を大きく動かす“外からの風”が吹き込む回になっています。
辺境から王都へ――舞台が一気に広がる、その最初の一歩です。
新しい局面を楽しんでいただければ嬉しいです。
戦いの傷痕がまだ生々しいオルターナ領に、一人の馴れた客が馬を走らせてやって来た。行商人ルフィンである。彼は以前より少し痩せ、顔には疲労の色が浮かんでいたが、目には変わらぬ好奇心と熱意を輝かせている。
彼が真っ先に向かったのは、 Laboratory だった。扉を開けると、ミレーヌが憔悴したゴドウィンの脈を取っているところだった。
「ゴドウィン様……!」ルフィンは息をのんだ。老執事の変わり果てた姿は、報告以上に衝撃的だった。
「ルフィンさん……」ミレーヌは疲れた笑みを浮かべて立ち上がった。
「商会には『無事撃退』と伝えたが……これは……まさか、ゴドウィン様ご自身が……?」
「ええ」ミレーヌはうなずき、涙ぐんだ。「彼が……みんなを守ってくれた」
ルフィンは無言でうなだれ、しばしゴドウィンの眠る横顔を見つめた。そして、顔を上げると、これまでにない真剣な表情でミレーヌに向き合った。
「ミレーヌ様。今回は、取引の話だけではありません。……もっと重大な用件があって参りました」
書斎に移動し、三人(ミレーヌ、ルフィン、そして少しばかり顔色の良いゴドウィン)が向き合う。ゴドウィンは椅子に寄りかかり、毛布に包まれている。
「まず、報告から」ルフィンは語り始めた。「ラントフ男爵軍の敗退は、王都でもかなり話題になっております。辺境の小領主が、男爵の軍勢を撃退したというのは、かなり衝撃的な事件です。特に……ダンロップ侯爵派にとっては、大きな痛手であり、面目丸つぶれです」
ミレーヌの表情が硬くなる。
「商会内でも、オルターナ領を単なる取引先ではなく、重要なパートナーとして見る声が強まりました。そこで……上層部が決断いたしました」
ルフィンは、革のケースから、金色のインクで記された分厚い羊皮紙の書類を取り出した。
“『翡翠の葡萄商会』との正式な独占供給契約です。これまで以上の量と、三割増の単価で、貴女の『魔力付加野菜』を買い取ることをお約束します”
それは、領地の経済的自立を確かなものにする、願ってもない提案だった。ミレーヌの胸が熱くなる。
“これは……光栄です……”
“しかし……”ルフィンの口調が沈む。“問題が一つあります。このような正式で高額な契約を結ぶには、商会の規定により、領主である貴女が王都の商会本部に赴き、直筆のサインをする必要があるのです”
王都。その言葉が、書斎の空気を一瞬で凍りつかせた。
“王都……?”ミレーヌは息を詰まらせた。
“まさか……”ゴドウィンも苦い表情を浮かべる。
“わかっています”ルフィンは早口で続けた。“王都は、ダンロップ侯爵の牙城です。貴女がそこへ乗り込むことは、狐が虎の巣に飛び込むようなものだということを。侯爵派は、貴女が王都に来れば、何としてでも恥をかかせ、社会的に抹殺しようとするでしょう”
“ならば……!”ミレーヌは言いかけた。
“ですが、これを断れば……”ルフィンは遮った。“商会は、これ以上オルターナ領を前面に押し出すことができません。侯爵派の圧力に屈した形になり、取引は以前の小規模なものに戻る……あるいは、完全に停止される可能性さえあります”
窮地に立たされるミレーヌ。王都に行けば危険が待ち受け、行かなければ領地の発展が止まる。
“ミレーヌ様”ルフィンは身を乗り出し、声を潜めた。“私は……これを危機であると同時に、最大の好機だと考えています”
“どういう……ことですか?”
“これまで、我々は侯爵派に受身で立ち向かってきました。ですが、この契約を結び、オルターナ領が正式に商会のパートナーとなれば、貴女は王都に足場を築くことができます。そこで……侯爵派の弱点を探り、反撃の糸口を見つけることができるかもしれない……”
“つまり……契約のためだけではなく……情報を集め、敵の本拠地を偵察するために王都に行け……と?”
“ええ”ルフィンの目が鋭く光った。“商会としても、ダンロップ侯爵の独走を快く思っていない者は少なくありません。私は、王都で貴女を護衛し、必要な人脈を紹介します。これは……賭けです。しかし、ここで踏み出さなければ、いつまでも辺境でじっとしているしかありません”
ゴドウィンがゆっくりと口を開いた。声はかすれているが、意志はしっかりと伝わってくる。
“……ルフィン殿の……言う通り……です……”
“ゴドウィン……?”
“もはや……逃げ場は……ありません……。ダンロップ侯爵は……今回の敗北で……さらに……執拗に……なります……。ならば……こちらの方から……戦場を……敵の本拠地に……移す……べき……時です……”
ゴドウィンはミレーヌを見つめる。
“ですが……ミレーヌ様……。王都は……辺境とは……次元が……違います……。武力ではなく……言葉と権謀術数……が……武器です……。貴女の……知恵と……度胸が……試される……でしょう……”
ミレーヌは深く息を吸った。彼女の頭の中を、様々な想いが駆け巡る。
・父の無念。
・ゴドウィンの犠牲。
・領民たちの期待。
・そして、この地で築き上げてきたわずかな希望。
(ここで……踏み出せるか?)
(杉本大輔としての知識と、ミレーヌ・オルターナとしての責任……。それを、王国の中心地で試す時が来たのか……)
彼女は顔を上げた。目には、迷いの代わりに静かな決意が宿っていた。
“……行きます”
“ミレーヌ様……”
“このままじっとしていては、いずれまた同じことが繰り返される。それに……父の敵が、王都で高笑いしていると思うと……耐えられない”
彼女はルフィンを見つめ、力強く言った。
“ルフィンさん。お言葉に甘えます。王都へ行き、契約を結びます。そして……ダンロップ侯爵の罪の証拠を、この手で掴みに行きます”
ルフィンの顔に、大きく笑みが広がった。
“よし!決まりだ!”
“ですが……一つ条件があります”ミレーヌは続けた。“私は一人では行きません。ガルムたち、何人かの護衛を連れて行きます”
“もちろんです! 準備は私が整えます!”
こうして、オルターナ領の命運をかけた、王都への旅が決定した。それは、新たな取引の始まりであると同時に、ダンロップ侯爵との戦いを新たなステージへと導く、重大な布石 を打つのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
ついに、物語は「王都編」に向けて動き始めました。
次回からは、少し旅の準備や王都の描写も増えていく予定です。
世界が広がるタイミングって、作者としても楽しい瞬間なので、ぜひ一緒に楽しんでいただければ嬉しいです!
それでは、また次話でお会いしましょう。




