第41話: 『賢者の代償 - 新たなる盟約』
ひとつの戦いが終わった時、人は何を失い、何を得るのだろう。
ゴドウィンが払った代償は、あまりにも大きく、そして重い。
――第五幕、その本当の終わりがここに訪れる。
Laboratory の奥の部屋のドアの前で、ミレーヌはただ立ち尽くしていた。ドアの向こうからは、もはや何の音も聞こえてこない。重い沈黙だけが、彼女の鼓動を不気味に響かせる。
「ゴドウィン……?」
彼女は震える手で、ゆっくりとドアの取手を回した。鍵はかかっていなかった。
ドアがきしみながら開く。部屋の中は、ほのかな蒼い光に満たされていた。光源は、中央の台の上に安置された古代遺物の破片だった。それは以前よりも落ち着いた、穏やかな輝きを放っている。暴走していた魔力が、何者かによって鎮められたのだ。
そして、その台の傍らで、一人の老執事が倒れ伏していた。
「ゴドウィン!」
ミレーヌは駆け寄り、彼の身体を抱き起こした。ゴドウィンの顔は、蝋のように青白く、深い皺が刻まれ、一夜で十年は老け込んだように見えた。かつて銀色に輝いていた髪は、今や雪のように真っ白で、力なく床に広がっている。彼の呼吸は浅く、かすかな喘ぎを漏らすのみだ。
「ゴドウィン……! 目を開けて……! お願い……!」
ミレーヌの涙が、ゴドウィンの頬に落ちる。彼女は必死に彼の手を握りしめた。その手は冷たく、かつて感じた確かな力は失われている。
「……ミ……レ……ーヌ……様……」
かすかに、息をもらすような声が聞こえた。ゴドウィンが、重たげにまぶたを開ける。その瞳は、かつての鋭さや深い知性の輝きを失い、濁り、疲労に満ちていた。しかし、その奥には、確かな安堵の色が浮かんでいる。
「ゴドウィン……! よくて……! なぜ……そんなことを……!」
「……敵は……?」
「退いたわ……!あなたのおかげで……! でも……! あなたのその……!」
「……それで……よかった……」
ゴドウィンは微かに、ごく微かに笑みを浮かべた。
「この程度の……代償で……済んで……良かった……」
「この程度なんかじゃない……! あなたは……あなたは……!」
「……ミレーヌ様……。私は……長い間……生きてきました……。賢者の塔で……追放され……この地に流れ着き……。オルターナ家に仕えること……それが……私の……贖罪……だと思っていました……」
彼の声はかすれ、一言一言が大きな労力を要しているようだった。
「しかし……貴女に出会って……変わった……。貴女は……領地を……人々を……本気で愛している……。その……ひたむきな……想い……。それは……私が……塔で追い求めて……いた……理想……そのもの……だった……」
ゴドウィンの目から、一筋の涙がこぼれた。
「私の……残りの……人生……。いや……命そのものを……貴女と……この領地に……捧げられると……思えて……。嬉しかった……」
「……ゴドウィン……」
「……約束……です……。生き残って……ください……。貴女が……いれば……この領地は……必ず……希望で……満ちる……。私の……夢……も……叶う……だから……」
そう言い終えると、ゴドウィンは再び意識を失った。しかし、彼の口元には、わずかながらも確かな安らぎの表情が残されていた。
「ゴドウィン……! ゴドウィン……!」
ミレーヌは彼の名を呼び続けた。Laboratory に、彼女の嗚咽だけが響く。
その時、ドアの外から足音が聞こえ、ガルムとリナが駆け込んできた。二人は戦いの痕跡——汚れと傷だらけの姿だった。
「ミレーヌ様!ご無事で……!」
ガルムの言葉が途中で止まった。倒れるゴドウィンと、彼を抱いて泣くミレーヌの姿を見て。
「ゴドウィン様……!?」リナが息を呑む。
「あの……光は……ゴドウィン様の……?」ガルムの声も震えている。
ミレーヌは涙で曇った視界を必死にこらえ、顔を上げた。
「ええ……。ゴドウィンが……みんなを……領地を……守ってくれた……。その……代償に……」
彼女はゴドウィンの冷たくなった手を、自分の頬に押し当てた。
「彼は……家族だ……。私は……もう……誰にも……犠牲になってもらわない……。だから……」
ミレーヌの声には、泣き声はなく、静かな、しかし鋼のような決意が込められていた。
「強くなる……。私が……もっと……強くならなければ……。知識でも……力でも……心でも……!この身を挺して守ってくれる……家族を……守れるだけの……領主に……なる……!」
ガルムは深くうなずいた。
“ふん……!ならば、この俺も、もっと働かねえとな! マルクの分まで……ゴドウィン様の分まで……!”
“私もです”リナも涙をぬぐい、強く言った。“ミレーヌ様が……私たちの光です。その光を、必ず守り抜きます”
やがて、ゴドウィンは病室に運ばれ、静かに眠りについた。ミレーヌは彼の枕元に座り、ずっと手を握り続けた。
夜が明け、戦いの傷跡が生々しい領地に朝日が差し込む。ミレーヌはゴドウィンの眠る病室の窓辺に立った。眼下には、破壊された農地、疲弊した領民の姿がある。しかし、そこには確かな結束と、生き延びたという希望もあった。
(ゴドウィン……見て……。私たちは、生き残ったわ)
(あなたの犠牲を……無駄にはしない)
(この領地を……王国で一番、希望に満ちた場所にするんだ……。あなたが夢見た……理想の地に……)
彼女は拳を握りしめ、誓った。
ダンロップ侯爵との戦いは、これからが本番だ。しかし、もはや怖くはない。彼女には、守るべき家族と未来がある。
この度もお読みいただき、ありがとうございました。
物語はひとつの山場を越えましたが、まだまだ彼らの戦いと成長は続きます。今後も、ミレーヌたちの歩みを見守っていただければ嬉しいです。
そして少し個人的なお知らせですが、
最近ずっと咳が続いており、体調が完全に戻っていません。
そのため、執筆ペースが今後しばらく不安定になり、投稿が遅れることがあるかもしれません。
できる限り無理のない範囲で続けていきますので、ゆっくり見守っていただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。




