第39話: 『決戦前夜 - 覚悟と策謀』
戦は避けられなかった。
しかし、剣を取る理由は、ただ勝つためではない。
守りたいものがあるからこそ、人は立ち上がる。
――オルターナ領、決戦前夜。
ラントフ男爵軍の軍勢が領地の境界線に布陣を終え、重苦しい戦雲がオルターナ領を覆った。敵は、日没を待っての総攻撃を伝えてきた。最早、時間は限られている。
避難を終えた領民たちは、邸宅の広間や地下室に身を寄せ合っていた。子どもたちは恐怖で泣きじゃくり、母親たちは必死でなだめ、男たちは無言で武器を握りしめていた。異様な静寂が、領地を支配する。
その中で、ミレーヌは「防衛協議会」の面々と最後の作戦会議を開いていた。メンバーは、ミレーヌ、ゴドウィン、ガルム、リナ、エイラン。皆、疲労と緊張の色を濃く浮かべている。
「敵の数は百を優に超える」ガルムが机の上の略図を指す。老兵の声には、もはや迷いはない。「正面からの戦力では、勝ち目はない。故に……時間稼ぎと、奇襲が命綱だ」
「魔導キノコを用いた地雷と罠は、第一波の歩兵を十分に混乱させられるだろう」ゴドウィンが淡々と補足する。「問題は、その後だ。騎兵の突撃と、投石器をどうするか」
「投石器……」ミレーヌは唇を噛んだ。「あれが動き出せば、邸宅も Laboratory も……」
「ふん……だがな、奴らが投石器を使えるほど近づけるかどうか……」ガルムがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。「わしらが仕掛けたからくりが、それを許さん」
「食料と水は、一週間分は確保しました」リナが報告する。彼女の目は泣き腫らしているが、意志はしっかりと前を向いている。「怪我人の手当てに使うハーブや包帯も。……どんなことがあっても、生き残るために」
エイラン老婆は、最後まで黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。
“……お嬢様……いや、ミレーヌ。お前は、よくここまでやってきた”
彼女の声は、これまでになく優しかった。
“わしはな、お前が目覚めた頃は、またぞろ世間知らずの令嬢が……と思っていた。だが、違った。お前は……この土地に、本物の根を下ろした。……だから、みんながついていく”
老婆の言葉に、ミレーヌの胸が熱くなった。
“エイランさん……”
“だが、リーダーたるもの、時に……冷酷な決断も必要だ”エイランの目が鋭くなる。“もしも……防衛線が破られ、もはやこれ以上……という時は……。お前は、生き残る者たちを連れて……逃げるのだ”
“そんな……!”
“聞け!”エイランの声が強くなる。“お前が死んでしまっては、全てが終わりだ! 生き残れば……いつか、再起の機会は訪れる! この老婆は……ここで、骨になる覚悟はできている!”
“私もだ” ガルムが静かに言った。“マルクの分まで、戦う。お前さんは……未来を生きろ”
“ミレーヌ様……”リナも涙を浮かべてうなずいた。“あなたが生きていれば……私たちの希望は消えません”
ミレーヌは、彼らの自己犠牲の精神に、胸を締め付けられた。彼らは、自分を未来の象徴として守ろうとしている。
(そんな……私は……ただの……)
その時、ゴドウィンが厳かな口調で言った。
“ミレーヌ様。私にも……お願いがあります”
“ゴドウィン……?”
“私は……古代遺物の力を、一時的に解放する術を知っています”
一同の息が止まる。あの危険極まりない力を?
“それは……『瘴煙の呪い師団』さえも一掃しうる、強大な力です。しかし……その代償は……甚大です”
ゴドウィンの表情は、深い悲しみに満ちていた。
“施術者である私の寿命を大きく削り、あるいは……魔力そのものを失う可能性があります。さらに……遺物の力が完全に暴走すれば、この領地自体が……魔境と化す恐れもあります”
“そんな……!” ミレーヌは絶句した。“それだけの代償を……”
“しかし……これが……最後の切り札なのです”ゴドウィンはミレーヌをまっすぐ見つめる。“この術を使うかどうか……その決断は、領主である貴女にお任せします”
重い沈黙が訪れた。逃げるか、それとも、ゴドウィンの命と引き換えに、勝利の可能性を掴むか。
ミレーヌは目を閉じた。頭の中を、数々の光景が駆け巡る。
・初めて魔導キノコが光った瞬間の、小さな希望。
・収穫祭で皆が笑った、あの温かな時間。
・マルクの最期の言葉。
・そして、ゴドウィンがこれまでに示してくれた、揺るぎない忠誠心。
(私は……何のために戦っているのか?)
(領地を守るため?父の仇を討つため?)
(違う……!それは……この人たちの、笑顔のためだ……!)
彼女はゆっくりと目を開けた。その瞳は、涙で潤んでいたが、決意に曇りはなかった。
“ゴドウィン……。その術は……封印してください”
“ミレーヌ様……!”
“あなたを失ってまで……この領地を守る意味はない!”ミレーヌの声は強く響いた。“あなたは……家族です……! 家族を……道具のように使うことは……できません……!”
ゴドウィンの目に、大きな涙の粒が浮かんだ。老執事は、声を詰まらせながらうなずいた。
“…………かしこまり……ました……”
“私たちは……私たち自身の力で戦う” ミレーヌは皆を見渡した。“魔導農法の力で……この土地で育んだ知恵と技術で……! たとえ負けるとわかっていても……! 逃げるときは……全員で逃げる……! それが……私の決断です!”
その言葉に、ガルムもリナもエイランも、深くうなずいた。彼らは、自分たちの命を捧げるよりも、この領主の人間としての尊厳を守る道を選んでほしかったのだ。
決戦前夜。オルターナ領には、悲壮感ではなく、共に戦い、共に生きるという、静かで強い決意が満ちていた。ミレーヌは、教師として、令嬢としてではなく、一人の人間として、仲間と共に運命を選択したのである。
夜は深く、空気は凍るように静かだった。
誰もが恐れていた戦いが、いよいよ幕を開けようとしている。
けれど、その静寂の中にあったのは、絶望ではなかった。
ミレーヌの決断が、人々の心に“灯”をともしたのだ。
ゴドウィンは涙を拭い、リナは震える手を強く握りしめ、
ガルムは武具を整え、エイランは祈りを捧げた。
誰もが知っていた――この夜を越えた者こそ、真にオルターナの民となるのだと。
命を懸ける覚悟は、もはや悲壮ではなく、静かな誇りへと変わっていた。
――そして、夜明けが訪れる時、彼らの物語は新たな段階へと踏み出す。
(作者より)
体調を崩しており、今後少し投稿が遅れるかもしれません。
それでも、この物語を最後まで紡ぐつもりです。
どうか気長にお付き合いいただければ幸いです。




