第38話: 『ラントフ男爵の最終手段 - 武力侵攻』
外から来るのは、自然の猛威ではない──人が人に向ける鋼の意志だ。
古代の謎がまだ消えぬうちに、力を奪わんとする刃が迫る。
――ここに、領主ミレーヌの試練が幕を開ける。
古代遺物の暴走による異変は、ミレーヌとゴドウィンの尽力により、かろうじて収束の方向へ向かい始めていた。魔導キノコのネットワークが徐々に暴走した魔力を浄化し、変異した動植物も一部を処分することで、領地は息をつく間もなく、次の脅威に備えていた。
その時、見張り台から緊急の鐘が鳴り響いた。それは、これまでとは明らかに異なる、戦闘準備を告げる音だった。
「敵襲! 敵襲だ!」
「ラントフ男爵の旗印だ!騎兵……数十……いや、百を超える軍勢が、領地へ向かってくる!」
ガルムが、足を引きずりながらも全力で邸宅へ駆け込んできた。彼の目には、マルクを失った悲しみはまだ深く刻まれているが、それ以上に老兵としての怒りが燃え盛っていた。
“来た……!ついに、あの餓鬼どもが、力ずくで来るというのか……!”
ミレーヌとゴドウィンは書斎の窓へ走った。地平線の彼方に、塵煙を上げて迫ってくる軍勢の姿が見える。鎧に身を包んだ騎兵、槍を揃えた歩兵、そして……投石器を備えた攻城兵器の影までもが認められた。これは、もはや小競り合いではない。領地殲滅を目的とした、本格的な侵攻である。
「ダンロップ侯爵の『許可』を得たのでしょう」ゴドウィンの声は冷たい。「我々を『危険な魔術実験場』とでもでっち上げ、討伐の大義名分を立てたのです」
「こんなに……たくさん……」リナが震える声で呟く。
領民たちの間に、恐怖が一気に広がった。魔術という目に見えぬ脅威とは異なり、眼前に迫る鋼鉄の軍勢は、物理的な破壊と死を如実に想起させた。
「どうしよう……!」
「逃げるしか……」
「でも、どこに逃げるの……!?」
パニックが起きる一歩手前で、ミレーヌが高い声を張り上げた。
“皆さん……!静かに……!”
彼女の声は、恐怖に震えていたが、確かに全員の耳に届いた。
“見てください……!あの軍勢を! 彼らは……私たちの家を、私たちの畑を、私たちの未来を、力ずくで奪おうとしている……!”
彼女は一人一人の顔を見つめながら、語りかける。
“私は……あなたたちに、真実を隠してきました。私たちの敵は、ラントフ男爵だけではありません。その背後には、ダンロップ侯爵という、王国でも強大な権力者がついています”
ダンロップ侯爵。その名は、辺境の領民にとっては雲の上の存在だ。その重みに、皆、息を呑んだ。
“侯爵は、この土地に眠る古代遺物の力を狙い、私の父を罠にはめ、領地を追い詰め……そして、私の命さえも狙いました!”
ミレーヌの声に、これまでの無念と怒りが込められる。
“私たちは……もう、逃げも隠れもできません!ここで立ち向かわなければ、どこに行っても、同じ運命が待っている……! あるいは……奴隷としてこき使われるか……!”
彼女の言葉に、領民たちの表情が変わっていく。恐怖が、怒りと諦念へと変わる瞬間だった。
“ですが……私は諦めません!” ミレーヌは拳を握りしめ、声を限りに叫んだ。“なぜなら……私には、皆さんがいるから……! この数ヶ月、共に汗を流し、苦楽を共にしてきた……家族がいるから……!”
“ミレーヌ様……” リナが涙を浮かべながら呟く。
“この戦いは……もはや私一人の戦いではありません! オルターナ家のための戦いでもありません! これは……私たち全員の、生きるための戦いなのです!”
彼女の熱い呼びかけに、ガルムが咆哮した。
“その通りだ……!もう逃げるのはごめんだ……! この土地で、立って死ぬ……!”
“俺たちの家を守る……!” かつてマルクと共に戦った若者たちが声を上げる。
“子どもたちの未来を……!”母親たちが涙をぬぐい、覚悟の表情を浮かべる。
“では……聞け……!” ガルムが防衛班を指揮する。“俺の指示に従え……! お前たちはここで……! お前たちはあそこへ……!”
“リナさん!” ミレーヌは呼びかける。“女性と子どもたちは、邸宅の地下室へ避難を! そして、可能な限り、食料と水を確保して!”
“はい……!任せてください!”
“ゴドウィン……!” ミレーヌは最後に、最も重要なパートナーを見つめた。“私たちにできることは……?”
“まずは、魔導農法の総力をもって迎え撃つことです”ゴドウィンの目は冷静さを取り戻している。“そして……私が……最後の手段を講じます”
“最後の手段……?”
“……今は、まだ言えません”ゴドウィンは苦い表情を浮かべた。“まずは、私たちが持てる力の全てを尽くしましょう”
こうして、オルターナ領は総力戦への準備を開始した。
· 防衛施設班は、魔導キノコの菌糸を仕込んだ地雷原や、強化された蔓でできた罠を境界線に設置する。
· 農業生産班は、急ぎ収穫できる作物を収穫し、食料として確保する。
· 研究開発班は、 Laboratory にこもり、遺物の力を利用した最終防衛手段の開発に着手する。
やがて、ラントフ男爵軍の先鋒が、オルターナ領の境界線目前にまで迫った。騎兵隊長が大声で叫ぶ。
“オルターナの者たちよ!速やかに領地を明け渡し、魔術使いの女を差し出せ! さもなくば、老若男女問わず、皆殺し……!”
その傲慢な声が、逆にオルターナ領の結束を最後に固めた。
ミレーヌは、胸に宿る二つの人生——杉本大輔の知識と、ミレーヌ・オルターナの想い——を一つに融合させ、覚悟を決めた。
(来い……!この領地と、この人たちを守るために……私は、教師でも令嬢でもなく……戦う領主になる……!)
戦いの火蓋が、今、切られようとしていた。
鋼の軍勢が迫る中、恐怖はやがて怒りへと変わり、
怒りは、静かな覚悟へと姿を変えていった。
ミレーヌの声が響き、人々は立ち上がる。
彼らはもはや守られる存在ではない。
この地を、自らの手で守る者たちとなった。
そして、ゴドウィンの口にした「最後の手段」が、
この戦いにどんな結末をもたらすのか――
誰にも、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは、
失われた命と流された涙が、無駄には終わらないということだ。
――オルターナ領の戦いは、今まさに始まろうとしている。




