第33話: 『蠢く影 - 魔術師団、動く』
領地が初めての成功を収め、希望に満ちたのも束の間――
その裏では、確かに“何か”が動き始めていました。
見えない敵、形のない恐怖。
第5幕は、オルターナ領を包む闇が、静かに、しかし確実に忍び寄るところから始まります。
王都への初出荷成功から数週間が経った。オルターナ領には、かつてない活気と自信が満ちていた。共有地では次の作付けが進み、子どもたちの笑い声は日に日に大きくなり、夜学で文字を学ぶ大人たちの真剣なまなざしは、未来への希望に輝いていた。
しかし、ミレーヌの胸の中だけには、晴れない翳りが残っていた。成功は嬉しい。しかし、その成功が、あの強大な敵――ダンロップ侯爵の逆鱗に触れていないだろうか? その思いは、夜になるほどに募っていく。
ある満月の夜、ミレーヌは眠れずに書斎の窓辺に立っていた。すると、 Laboratory からゴドウィンが足早に現れ、険しい表情で彼女の元へやって来た。
「ミレーヌ様、お眠りですか?」
「ゴドウィン……どうかしましたか?」
「……センサーキノコの反応が、尋常ではありません」
Laboratory に設置された親キノコは、かすかに、しかし明らかに不気味な紫色に輝いていた。それは、領地の北東境界付近で、複数の、そして強力な魔術的侵害が感知されたことを示すパターンだった。
「これまでのような、こそっとした嫌がらせとはわけが違います」ゴドウィンの声には、これまでにない緊張が走っていた。「この波動……熟練した術者が複数、領地のすぐ外で、意図的に気配を撒き散らしている……。いや……見せつけていると言った方が近いかもしれません」
「挑戦……ですか?」
「あるいは、威嚇……。我々の力を試し、あるいは、恐怖で萎縮させようとしているのでしょう」
その夜から、オルターナ領の空気は変わった。目には見えないが、確かに何かが張り詰めた。朝、目を覚ますと、共有地の端にある魔導キノコの一群が、理由もなくしおれていることがあった。それは病気ではなく、まるで生命力を一気に吸い取られたような、不気味な枯れ方だった。
「なん……だ、これは……?」リナが蒼い顔で報告に来た。「昨日までは、あんなに元気だったのに……」
防衛班の見張りは、決して怠っていなかった。しかし、誰も不審な人物の侵入を目撃していない。まるで、闇そのものが領地を侵食しているかのようだった。
そして、子どもたちの間で、奇妙な噂が流れ始めた。
「ねえ、お母さん……昨日の夜、窓の外で、紫の光る人が立ってたよ……」
「嘘つきはいけません!」
「でも……!本当だよ……! じーってこっちを見てたの……!」
それは、子どもゆえの想像力かもしれない。しかし、複数の子どもが似たようなことを口にする。恐怖は、目に見えないものから、確実に領民の心に染み込み始めていた。
「みんな、落ち着いて!」ガルムは力強く振る舞おうとしたが、その目には疲労の色がにじんでいた。「そんな幽霊話に惑わされるな! 俺たちには、ミレーヌ様とゴドウィン様がついている!」
しかし、彼自身、その言葉にどれほどの説得力があるか、わかっていた。敵は形のない魔術を使い、正体を見せずに、じわりじわりと彼らの神経をすり減らしてくる。
ミレーヌは、 Laboratory でゴドウィンと対策を練った。
「これ以上、領民を恐怖に陥れさせるわけにはいきません」
「ですが、無視することもできません。次の一手は、間違いなく……これまで以上のものになるでしょう」
彼女は、ふと、この身体の父親のことを考えた。同じように、目に見えぬ圧力と恐怖に苛まれながら、領地を守ろうとしていたのだろうか。そして、最後は……。
(父さん……あなたは、どんな気持ちで戦っていたのですか……)
彼女は、窓の外で必死に働く領民たちの姿を見つめた。リナ、ガルム、エイラン……そして無邪気にはしゃぐ子どもたち。彼らを、再びあの絶望の闇に引き戻すわけにはいかない。
「ゴドウィン」ミレーヌの声は静かだが、揺るぎない決意に満ちていた。「彼らが来るのを待つだけではダメですね。私たちが……こちらの準備を整えなければ」
「……おっしゃる通りです」
二人の間に流れた沈黙は、もはや不安ではなく、来るべき嵐に対する、静かなる覚悟であった。
その夜、ミレーヌは一人、父の肖像画の前に立った。絵の中の父は、優しく、しかしどこか憂いを帯びた目をしている。
(……守ってみせます。あなたが守ろうとしたもの全てを……。たとえ相手が、王国一の権力者でも……)
領地を取り巻く闇は、確実にその濃度を増していた。しかし、その闇に立ち向かう者たちの心には、一筋の希望の灯が、かすかながらも確かに灯り続けているのだった。
領地がようやく息を吹き返したと思った矢先、
その平穏を試すかのように現れた“蠢く影”。
今回は、直接的な戦闘こそありませんが、敵がどれほど執念深く、
そして陰湿に攻めてくるか――その片鱗が見えた回でした。
子どもたちの“紫に光る人”の証言。
センサーキノコの異常な反応。
魔術師団の真意はまだ掴めませんが、確実に次の段階へと動き出しています。
ミレーヌは、恐怖を感じながらも、それを理由に立ち止まることはしません。
守るために動く。
――それが、真の領主の第一歩なのかもしれません。
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