第32話: 『幕切れ - 静かなる決意』
オルターナ領、ついに王都での初出荷に成功。
だが、歓喜の影には、次なる嵐の予感が忍び寄る。
領主ミレーヌは静かに、そして確かに、戦う覚悟を固めるのだった――。
王都への初出荷の成功は、オルターナ領全体を、かつてない高揚感で包んだ。領民たちの顔には、達成感と自信が満ちていた。共有地では、次の出荷に向けての作付けがすでに始まっており、人々の動きには活気と張り合いがあった。子どもたちの笑い声は一段と明るく、教育班で学ぶ大人たちの真剣なまなざしは、未来への確かな希望を映し出している。
しかし、領主邸の書斎では、高揚感とは対照的な、深く静かなる決意が固められようとしていた。
ミレーヌは、ルフィンから送られてきた代金――領地にとっては史上最高額となる金貨の袋を、ただ茫然と見つめていた。それは、彼女がこの世界で初めて、自分の知識と仲間たちの努力で稼ぎ出した、紛れもない成果だった。
「……これが、自立への第一歩ですね、ゴドウィン」
「ええ、然りです」
ゴドウィンは窓辺に立ち、夕陽に赤く染まる領地を見下ろしていた。そこには、整えられた農地、強化された柵、ほのかに蒼く光る魔導キノコの群落……数ヶ月前の荒廃ぶりが嘘のように思える光景が広がっている。
「しかし、ミレーヌ様。この平穏は、あくまで仮初めのものに過ぎないことを、我々は肝に銘じねばなりません」
ミレーヌは深く頷いた。
「ええ……わかっています。ダンロップ侯爵が、この成功を看過するはずがありません。ラントフ男爵を通じた圧力はこれまで以上に強まり、瘴煙の呪い師団は、より巧妙で陰湿な手段で魔導農園を破壊しようとしてくる……。この成功が、逆により危険な局面を招き入れるかもしれません」
彼女の分析は冷静そのものだった。もはや、初めてこの地に目覚めた時のような無力感や焦りはない。敵の姿と力関係をほぼ把握し、自分たちに何ができるかを見極めている。
「我々の目的は、もはや単なる『領地の再生』や『借金返済』ではありません」ゴドウィンの声は低く、重々しい。「ダンロップ侯爵という巨悪と、彼が仕組んだオルターナ家への数々の罪に対して、真実を暴き、決着をつけることです」
「父の無念を晴らす……ということですね」
「そして、您ご自身の命を狙った罪もです」ゴドウィンの目に、鋭い光が走る。
ミレーヌははっとした。ゴドウィンは、彼女が「転生した」とは知らない。彼は、本当のミレーヌ・オルターナが殺されかけた、あるいは殺されたと思っている。その無念を晴らすことも、彼の使命なのだ。
(……そうだ……この身体と、この立場には、果たさなければならない責任がある……)
彼女は立ち上がり、ゴドウィンの隣に立った。窓の外では、ガルムが防衛班を指揮し、リナが農業班をまとめ、エイランが子どもたちに何かを教えている。
「でも、ゴドウィン。私たちは、復讐のためだけに生きるわけにはいきません」
彼女は仲間たちの姿を慈しむように見つめながら、静かに続けた。
「この人たちの笑顔と未来を守ること。それが、何よりも大切なことです。ダンロップ侯爵との戦いは……この守るべきものを永続させるために、どうしても避けては通れない道なのです」
「おっしゃる通りです」ゴドウィンの口元に、わずかな微笑が浮かんだ。「貴女は、立派な領主でいらっしゃいます」
やがて夕陽が沈み、闇が領地を包み込む。魔導キノコの蒼い光が、闇の中にぽつりぽつりと灯り、それは希望の灯であると同時に、不気味な魔力を放つ古代遺物の存在を思い起こさせもした。
「次の一手は何でしょう?」ミレーヌが問う。
“まずは、この資金で防衛力をさらに強化することです。そして……あの古代遺物の調査を本格化させるべき時かもしれません」ゴドウィンは真剣な表情で言った。「敵がそこまで執着するものの正体を、我々が知らぬままでは、いつまでも受身です。……ですが、これは極めて危険を伴います」
“わかっています……”ミレーヌは覚悟を決めたように呟く。“いずれ……あの遺物と、真正面から向き合わなければならない日が来る……。その時のために……私たちはもっと強くならなければ”
遠くの空に、不気味な紫色の閃光が一瞬、弧を描いた。瘴煙の呢い師団の、新たな動きか、あるいはただの落雷か。しかし、どちらにせよ、オルターナ領を取り巻く空気は、確実に変わりつつあった。
第4幕は、領地がひとつの共同体として結束し、経済的自立への第一歩を踏み出した達成の時であると同時に、より巨大で危険な真の敵との戦いが目前に迫っているという緊張の高まりの中で静かに幕を下ろす。
闇の中、ミレーヌは拳を握りしめた。
(ダンロップ侯爵……あなたがどんなに強大でも、もう怖くない)
(だって……私は、一人じゃないから)
第4幕の締めくくりとなるこのシーンは、
「再生から自立へ」、そして「自立から抗う意志へ」と
オルターナ領の物語が新たな段階へ踏み出したことを示しています。
ミレーヌたちは、もはや生き延びるだけの存在ではなく、
理不尽な権力に抗う“意志ある共同体”へと成長しました。
静けさの中に潜む緊張感――
それは嵐の前の静寂であり、次なる戦いの鼓動でもあります。




