第28話: 『領内規則の制定 - 小さな自治の始まり』
瘴煙師団の影を退けたオルターナ領に、ようやく平穏が訪れた。
だが、平和とは次の試練の始まりでもある。
今回は、“戦い”ではなく“話し合い”。
ミレーヌたちが築くのは、血や魔法ではなく、信頼と約束の絆だ。
瘴煙の呪い師団の手下を撃退した成功は、領民たちに大きな自信を与えた。しかし、その成功がもたらしたのは安堵だけではなかった。領地が複雑化し、人口が増え、活動が多様になるにつれて、これまでにはなかった新たな問題が表面化し始めた。
最初のトラブルは、水の分配をめぐる些細な諍いからだった。灌漑用の水路が未完成なため、限られた井戸の水を農業班と生活用水で使う住民とで分け合わねばならなかった。ある日、農業班のリナが野菜への水やりを優先したため、生活用水の桶が空になってしまい、これに他の家族の主婦が激しく抗議したのである。
「野菜が大事なのはわかってるよ! でも、家で飲む水だってなくちゃ生きていけないんだ!」
「でも、この苗が枯れたら、次の収穫が危ないの!あなたたちだって、後で食べるものがなくなるじゃない!」
双方の言い分はどちらも正しく、ミレーヌは初めてルールの不在という問題に直面した。これまでは全員が貧しく、分け合うものも少なかった。しかし、わずかながらも豊かになり、活動が増えると、分配の公平さが最大の課題として浮上したのだ。
二つ目の問題は、収穫物の所有権をめぐるものだった。個人の庭で魔導キノコを使って育てた野菜は、その家のものなのか、それとも領地の共有財産なのか? ある家族が、自分たちで育てた野菜をルフィンに頼んで個人的に売り払おうとしたことが発覚し、波紋が広がった。
「俺たちが汗水垂らして育てたものだ! 少しぐらい自分のものにしたっていいじゃないか!」
「でも、菌糸はミレーヌ様がみんなのために分けてくれたものだよ!それに、みんなで守ったからこそ、安心して育てられたんじゃないか!」
これらは氷山の一角だった。道具の貸し借り、作業分担の偏り、子どもたちの間のいさかい……。領地が大きくなるにつれ、共通の決まり事が必要不可欠であることが明らかになった。
「これは……私が一方的に命令を下せる問題ではないですね」ミレーヌはゴドウィンに悩みを打ち明けた。「『領主が決めた』では、不満が残る。みんなが納得する規則が必要です」
「おっしゃる通りです」ゴドウィンは深く頷いた。「これは、領主としての権威を示す場ではなく、共同体としての在り方を模索する場です。皆を集め、話し合うことをお勧めします」
こうして、オルターナ領で初めての領民会議が開かれることになった。会場は邸宅の広間。ミレーヌ、ゴドウィンをはじめ、各班のリーダー、そして各家族の代表が集まった。最初は互いに険しい表情をしていた。
「まず、現在起きている問題を、皆さんで共有しましょう」ミレーヌは進行役を務めた。「リナさん、水の問題から説明してください」
リナが状況を説明すると、たちまち議論が沸騰した。
「じゃあ、どうすればいいんだ!水は限られているんだぞ!」
「順番を決めるべきだ!」
「いや、農業を優先すべきだ!それがみんなのためだ!」
「静まれ!」ガルムがどなるが、なかなか収まらない。
その時、これまで静かに聞いていたエイラン老婆が、ゆっくりと立ち上がった。
“……皆の者、聞け”
彼女の威厳のある声に、場が静まる。
“我々は、飢えと絶望の中で、ばらばらだった。しかし、ミレーヌ様とゴドウィン様のお陰で、一つ屋根の下に再び集い、希望を持てるようになった”
“この小さな希望を、また自分勝手でつぶすつもりか?水が足りない? ならば、足りるように知恵を出し合うのが筋じゃないのか? 奪い合うのは、我々が逃げ出したあの暗い日々のやり方だ”
老婆の言葉が、皆の胸に刺さった。彼女は続ける。
“我々はもう、オルターナ領の民じゃ。ならば、オルターナ領の民として、どう振る舞うべきか……を、決めねばならん。領主様に頼るだけではなく、自分たちで”
沈黙が流れた。そして、少しずつ、建設的な意見が出始めた。
“……水の使い道を、毎朝、掲示板に書いてはどうか?そうすれば、無駄が減る”
“新しい井戸を掘る人手を、もっと増やそう。俺も手伝う”
“収穫物は……一旦は共有の倉庫に納め、皆の労働に応じて分配する……というのはどうか?”
ミレーヌは、その様子を感慨深く見守った。彼女は導きはするが、結論を押し付けない。議論が紛糾すると、「では、賛成の人? 反対の人?」と採決を取ることもした。
こうして、いくつかの暫定規則が話し合いで決まっていった。
1. 水の使用規則: 優先順位(飲用>農業>その他)を明確化し、使用量と時間帯を共有の掲示板で告知する。
2. 収穫物の分配規則: 個人の区画で採れたものも含め、一旦は共有倉庫に納め、各世帯の人数と領地への貢献度(労働時間など)に応じて再分配する。
3. 労働と役割の規則: 各班への所属と役割を明確にし、毎週ミーティングで負担の偏りがないか調整する。
4. 紛争解決規則: もめ事が起きた場合は、まずは各班のリーダー同士で話し合い、解決できない場合は、ミレーヌとゴドウィンを交えた会議で審議する。
会議の終わりに、ミレーヌは皆に向き直った。
“今日、私たちは、とても大切な一歩を踏み出しました。これは、私が決めた規則ではありません。私たち全員で決めた、私たち自身のための約束事です”
彼女の声は温かく、しかし力強かった。
“この約束を守り、より良い領地を作っていくのは、私一人の力ではなく、ここにいる皆さん一人一人の力です。これからも、何か問題があれば、今日のように話し合いましょう”
会議が終わり、人々が帰っていく後ろ姿は、議論で疲れていたが、どこか清々しい表情をしていた。自分たちの声が反映されたという手応えを感じているようだった。
ゴドウィンがミレーヌに囁いた。
“ミレーヌ様、お見事です。今日ほど、貴女が真の領主として成長された姿を感じたことはありません”
“いいえ……これは、皆が成長したのです”ミレーヌは微笑んだ。“私たちは、『治める者』と『治められる者』ではなく、共に領地を作り上げる同志になれた……そんな気がします”
この日、オルターナ領には、法の精神という、目には見えないが確かな基盤が築かれた。それは、どんな魔術の攻撃よりも強固な、領地を守る砦となるだろう。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
今回は、オルターナ領が「自治」を始めるお話でした。
戦いのあとの“ルールづくり”って、地味だけどすごく大事な過程ですよね。
ミレーヌが「命令する領主」から「共に考える仲間」へ変わっていく姿は、
書いていて私自身も成長を見守るような気持ちになりました。
きのこの豆知識コーナー!
きのこ(菌類)は「群体」と呼ばれる集合体で、
1つの“個体”のように見えても、実は無数の細胞が協力して動いています。
つまり、森のきのこも“自治体”みたいなもの。
ミレーヌの領地が目指す姿と、どこか似てますね。
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