第26話: 『ルフィンの帰還 - 王都からの第一声』
王都からの知らせが、オルターナ領の運命を変える――。
商会との取引が成功し、希望が見えたその裏で、より深い闇が姿を現す。
ついに、敵の正体が明らかになる回です。
古い井戸での衝撃的な発見から数日後、オルターナ領は緊張と不安の中にあった。古代遺物の存在はミレーヌとゴドウィンだけの秘密だったが、その重圧は領地の空気を淀ませていた。井戸の再生プロジェクトは中断し、代わりの水源を探す作業が地味に続けられていた。
そんな中、見張り台から若い防衛班員の興奮した声が響いた。
“見えます!荷車の影が! ルフィンさんです! ルフィンさんが戻ってきましたっ!”
その声を合図に、領地に活気が一瞬で戻った。農作業の手を止め、工具を置き、領民たちが一斉に集落の入口へと駆け寄る。ミレーヌとゴドウィンも、期待と不安が入り混じった表情で出迎えた。
やがて現れたルフィンの荷車は、王都の塵をかぶり、しかし彼の顔には、疲労の中にも達成感と興奮が輝いていた。彼は手を振りながら、威勢のいい声を上げる。
“おーい!ミレーヌ様! ゴドウィン爺さん! ただいま戻りましたぞー! そして、吉報を持ち帰りました!”
彼の荷車には、オルターナ領の作物は積まれておらず、代わりにいくつかの頑丈な木箱と、分厚い書類の束が見えた。
応接間(少しばかり家具が増え、以前よりは生活感が出ている)で、ルフィンはさっそく報告を始めた。
“まず、結論から言いましょう!『翡翠の葡萄商会』、見事に説得いたしました!”
彼は胸を張り、一番大きな木箱を開ける。中からは、高級な羊皮紙に書かれた仮契約書と、ずっしりとした前渡し金の入った袋が現れた。
“商会の重役連中は、最初は辺境の没落領地の話なんて相手にしませんでしたよ。ですがね――”
ルフィンはここで、得意げな笑みを浮かべた。
“僕が持って行った、あの魔力を帯びた野菜の数々を実際に味見させたんです。生で、調理して、そして商会専属の魔術師に分析させてみた”
“そしたらどうでしょう。あの頑固な重役の一人が、立ち上がってこう言ったんです。『これは、単なる野菜ではない。魔力の結晶だ!』ってね!”
ミレーヌは息を呑んだ。ゴドウィンも深く頷く。
“で、結論です!”ルフィンは契約書を指さす。“商会は、オルターナ領の作物を、『オルターナ産魔力付加野菜』として、王都の高級食材店や、特定の魔術師に向けて販売することを承認しました! ただし――”
ここでルフィンの表情が少し曇る。
“条件が二つあります。まず一つ目。品質と規格の統一です。王都の客はうるさい。毎回、同じ品質、同じ大きさ、同じ魔力の輝きが求められます。ばらつきは許されない”
“二つ目。持続的な供給です。せっかく商品として認知されても、注文に応えられなければ意味がありません。最低でも月に一度、決まった量を確実に送れる体制が必要です”
ミレーヌの表情が硬くなる。これは容易な条件ではなかった。天候や魔術師団の攻撃に左右されやすい農業で、それを完全にコントロールするのは至難の業だ。
“……厳しい条件ですが……受け入れます。私たちの技術で、それをクリアしてみせます”
“その意気込みです!”ルフィンは笑顔を取り戻し、次に小さな箱を取り出した。中には、幾つかの通信用の魔法道具(遠隔で短いメッセージをやり取りできる簡易な水晶玉)と、王都の最新の情勢を記した報告書が入っていた。
“これが、二つ目の吉報……というより、重要な情報です。王都で、オルターナ家やラントフ男爵のことを調べてきました”
ルフィンの声が低くなる。ミレーヌとゴドウィンは身を乗り出した。
“まず、ラントフ男爵ですが……彼は単なる辺境の小領主ではありません。彼の背後には、ダンロップ侯爵という、王国内でも強大な権力を持つ大貴族がついています”
ダンロップ侯爵。その名に、ゴドウィンの顔がわずかに強張る。ミレーヌも覚えがあった。父が生前、忌み嫌っていた名前だ。
“ダンロップ侯爵は、国王陛下の側近でありながら、拡張主義的な派閥の領袖です。国境近くの領地を手中に収め、その影響力を強めようとしている……その尖兵が、ラントフ男爵というわけです”
“では……オルターナ家の没落は……”
“おそらく、政争です”ルフィンの言葉は冷徹だった。“ダンロップ侯爵派が勢力を拡大するにあたり、邪魔になったオルターナ家を、借金という罠を使って追い詰めた……。そして、その過程で、前領主であるお父様が亡くなられた……”
ミレーヌの拳が膝の上で握りしめられた。父の死が単なる不幸ではなく、陰謀の結果だったかもしれないという衝撃。
“……それだけではありません”ルフィンはさらに重い口調で続ける。“商会の情報網によれば……瘴煙の呪い師団は、ダンロップ侯爵の私設の魔術部隊である可能性が極めて高い……そうです”
室内の空気が凍りついた。辺境の領地争いが、王国の権力者を巻き込んだ国家的な陰謀の一端であったことが明らかになった瞬間だった。
“彼らが領地を狙う理由は、単なる領土欲以上のものがある。おそらく……この土地に眠る何か……例えば、あの古代遺物に関わっているのではないか……と商会の分析官は見ています”
ゴドウィンがゆっくりと口を開いた。“……なるほど。これでつじつまが合います。ダンロップ侯爵が、古代遺物の力に目をつけ、それを手に入れるためにオルターナ家を潰し、今はその遺物が眠る土地そのものを手中に収めようとしている……と”
ミレーヌは頭を抱えそうになった。借金返済という目前の現実から、いきなり王国の政治と古代の魔力が絡む巨大な陰謀の渦中に放り込まれた気分だった。
“……なんて……こと……”
“ミレーヌ様”ルフィンは真剣な眼差しで彼女を見つめる。“これはもはや、単なる領地経営ではありません。あなたは、気づかぬうちに、強大な敵の野望の砦に立ち向かうことになったのです。……商会としても、この取引はリスクが極めて高いと認識しています。それでも……私は続けたい。なぜなら、あなたの農法と、この領地の可能性が、それ以上の価値があると信じるからです”
沈黙が流れた。重すぎる現実が、ミレーヌの肩にのしかかる。
しかし、彼女はゆっくりと顔を上げた。その目には、もはや迷いはなかった。
“……わかりました。たとえ敵が王国の大貴族であろうと……この領地と、ここに住む人々を守るのは、私の役目です”
彼女はルフィンを見つめ、強く言った。
“ルフィンさん。王都との取引、よろしくお願いします。私たちは、この厳しい条件をクリアし、確実に作物を送り続けます。そして……王都への情報の窓口としても、あなたに依存させてください”
ルフィンの顔に、満面の笑みが広がった。
“ああ!任せておけ! これで俺たちは、運命共同体さ!”
その夜、ミレーヌはゴドウィンと二人、書斎で向き合った。
“ゴドウィン……ついに、敵の正体がわかりましたね”
“ええ……ダンロップ侯爵。……かつて、賢者の塔を追放されるきっかけを作った張本人です”
ゴドウィンは静かに、しかし激しい怒りを込めて呟いた。
“どうやら、因縁の相手と再び対峙することになるようですな”
ミレーヌは窓の外の暗い領地を見つめた。そこには、古代遺物の謎、王国の陰謀、そして復讐心に燃える魔術師団の影が重なって見えた。
“守るだけじゃ足りない……いずれは……こちらの方から、真実を暴き、この因縁に決着をつけなければ……”
王都からの使者は、希望の光とともに、冷厳な現実の重みももたらしたのだった。戦いは、新しいステージへと突入する。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ルフィンの帰還で、物語はいよいよ「政治」と「陰謀」の舞台へ突入しました。
ここからは、オルターナ領が“世界の渦中”へ巻き込まれていく予感がしますね……!
今回の豆知識:「王都にもキノコは生える」
実は、城下町や貴族の屋敷の“地下貯蔵庫”などでもキノコはよく育ちます。
風通しが悪く湿気の多い場所では、パンやチーズと一緒に偶然の発生を見ることがあり、
中には料理人が“発酵の神の贈り物”と呼ぶ珍しい種もあるそうです。
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