第23話: 『新たな脅威 - 魔導農園への陰湿な攻撃』
王都への販路を目指し、新たな一歩を踏み出したオルターナ領。
しかし、繁栄の兆しが見えたその矢先――静かに忍び寄る影があった。
見えない敵、そして“魔導キノコ”を狙う不可解な呪い。
それは、領地全体を揺るがす最初の「報復」だった。
ミレーヌたちの戦いは、いよいよ“防衛”から“対抗”の段階へ――。
ルフィンが王都へ向かい、領地が新たな生産体制を整え始めた頃、最初の異変は静かに、しかし確実に訪れた。
それは、共有地の一番端にある、最も古い魔導キノコの群落から始まった。ある朝、当番のリナが、キノコの傘に不気味な黒い斑点が浮かんでいるのを発見する。それは、病気というよりは、まるで腐敗が進行しているかのような様相だった。
“ミレーヌ様! ゴドウィンさん! 大変です!”
リナの慌てた声に、Laboratory にいた二人は駆けつけた。
ミレーヌはしゃがみ込み、ルーペで黒い斑点を詳細に観察した。彼女の顔から血の気が引いていく。
“……これは……ないはずだ……”
“何ですか、お嬢様?”ゴドウィンが心配そうに尋ねる。
“このキノコ……Sclerotium(菌核)と呼ばれる、一種の休眠体を作り出している……! これは、環境ストレスが極度に高まった時、つまり……死の危険を感じた時に取る最終手段なんだ……!”
彼女の声は震えていた。
“死の危険?”ゴドウィンの表情が硬くなる。“魔物的な気配は感じられないが……”
“違う……これは……人為的なものだ”ミレーヌはキノコの根本の土を慎重に掘り起こした。そこには、菌糸のネットワークが、所々で黒く変色し、溶けるようにして断絶しているのが見て取れた。
“見てください……菌糸が……何者かによって毒でも盛られたように、壊死している……!”
その言葉に、周りに集まってきた領民たちから動揺の声が上がった。
“な、なんだって……?”
“毒?誰がそんな……!”
“ラントフの野郎の仕業かっ!”
ガルムが怒鳴り散らす。しかし、ミレーヌは首を振った。
“違う……ラントフ男爵の手下がここに侵入して、こんな細かい工作をすることは不可能に近い。もっと……目立たない、陰湿な方法だ……”
ゴドウィンが目を閉じ、周囲の大気に意識を集中させる。彼の長い眉毛が微かに震えた。
“……ふむ……確かに、魔物的な大げさな気配はない。しかし……ごく微細な……不自然な魔力の残渣が、この病んだキノコの周囲にだけ、かすかに漂っている……”
彼の目を見開く。“これは……魔術だ。生物を標的とした、腐敗の呪い……あるいは魔性病と呼ばれるものに近い……”
“魔術……?”ミレーヌは絶句した。彼女の専門外の領域だ。
“ですが……なぜキノコが?魔導キノコはむしろ魔力を糧にしているはず……”
“であればこそ……”ゴドウィンの声は重い。“この呪いは……魔導キノコが吸収する魔力そのものを毒に変えるように仕組まれているのかもしれん。つまり……この領地の再生の根幹を、直接腐食することを目的とした……極めて悪質な攻撃だ”
その頃、他の区画からも次々と異常報告が入ってきた。
“西の区画のキノコも、元気がありません!”
“キャベツの葉が黄色く変色し始めています!”
パニックが領民の間に広がり始めた。彼らにとって、魔導キノコは単なる作物ではなく、未来そのものの象徴だった。それが侵食されることは、希望そのものが朽ちていくことに等しい。
“みんな! 静まれ!”ミレーヌは必死に声を張り上げた。彼女自身も内心は動揺しているが、ここで指導者が慌ててはならない。“パニックになるのは敵の思うつだ! まずは現状を正確に把握する! ゴドウィン、病変の拡大速度を測って! リナさん、異常の見られる区域を地図に記録して! ガルムさん、見張りを強化して、不審な人物がいないか徹底的に確認を!”
彼女の的確な指示に、領民たちは少しずつ落ち着きを取り戻し、それぞれの任務に散っていった。
ミレーヌとゴドウィンは Laboratory に戻り、緊急の対策会議を開いた。
“どうすればいい……?私の生物学の知識では、魔術的な病気を治療する方法なんて……”
“焦りは禁物です、ミレーヌ様”ゴドウィンは冷静に言った。“魔術的な病も、その理屈はあります。まずは、この呪いの媒介経路を特定しなければ”
彼は提案した。“魔導キノコは地中でネットワークを形成している。ならば、呪いもそのネットワークを伝って広がっている可能性が高い。病変区域を物理的に隔離し、菌糸の連結を断つことが先決でしょう”
“隔離……? でも、それだと……”
“ええ、隔離された区域のキノコは……犠牲になるでしょう”ゴドウィンの表情は苦い。“しかし、それで全体への感染拡大を防げるなら……最小限の被害で済む”
ミレーヌは唇を噛んだ。自分たちが慈しんできたキノコを自らの手で断ち切るというのは、耐え難い決断だった。
“……わかりました。……やるしかない”
その日、オルターナ領では悲壮な作業が行われた。鍬で地面に深い溝を掘り、病変区域のキノコ群落全体を、他の健全な区域から物理的に分断するのである。黒く変色したキノコは、全て抜き取られ、慎重に焼却処分された。
作業を行う領民たちの表情は暗く、沈黙していた。エイラン老婆は、焼かれるキノコを見つめながら、ぽつりと呟いた。
“せっかく……ここまで育てたのに……。なんという……無慈悲な……”
夜、 Laboratory で、ミレーヌは疲れ果てて机に突っ伏していた。ゴドウィンが一杯のハーブティーを差し出した。
“……今日はよくやり遂げました”
“……ええ。でも……これで終わりじゃないですよね?あの魔術師たちが、また別の方法で攻めてくるのは明白です”
“然り。受身ではいずれ破綻します”
ミレーヌは顔を上げ、目に力を込めた。
“じゃあ……こっちから対抗手段を開発するしかない。魔術には魔術で……いや、魔術と科学の融合で対抗するんだ”
彼女はノートを広げ、ペンを握った。
“まずは、あの『腐敗の呪い』を検知する方法……。魔導キノコのネットワークをセンサーとして使えないか?それと……呪いを無力化する、あるいは浄化するための……抗魔術キノコ……そんなものの開発は可能ですか、ゴドウィン?”
ゴドウィンの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
“ふむ……実に興味深い発想です。魔術的な『毒』を分解する……魔法的バイオレメディエーションとでも呼ぶべきでしょうか。……やってみる価値は大いにありますな”
窓の外では、隔離された区域が暗く沈んで見えた。しかし、 Laboratory の中では、新たな希望のための研究が、今、始まろうとしていた。脅威は確かに領地を傷つけた。だが、それは同時に、彼らに新たな戦い方を教える、過酷な授業でもあったのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回のエピソードでは、オルターナ領に初めて「外部からの明確な攻撃」が描かれました。
敵の姿はまだ見えませんが、影は確実に近づいています。
そしてミレーヌは、ただ守るだけではなく「科学と魔術の融合」で反撃を目指し始めました。
物語の転換点とも言える回です。
さて、恒例のきのこ豆知識
今回は、**「キノコの毒」**について。
実は、キノコの毒は「自分を守るための武器」だけではなく、
環境の変化に適応するための化学的な信号でもあります。
たとえばベニテングタケの毒成分は、他の菌類や微生物の成長を抑える効果があるんです。
つまり、キノコにとって毒とは“呪い”ではなく“防御と警告の魔法”のようなもの。
……まるで今回の物語と、どこか重なりますね。
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次回も、お楽しみに。




