第22話: 『幕切れ - 迫りくる影』
勝利の夜が訪れ、領民たちは久々に安らかな眠りについた。
だが静けさは、ときに嵐の前触れでもある。
青く光る魔導キノコ――現実でも「ヤコウタケ」など発光する種類が存在する。
けれど、美しい光が“警告”であることもあるのだ。
ルフィンの荷車の音が遠ざかり、オルターナ領は再び静かな夜の帳に包まれた。祝宴の熱気も、借金取り撃退の興奮も、そして新たな取引への期待も、今は深い静寂の中に吸い込まれていった。領民たちは、初めての明確な勝利と、わずかながらも確かな希望を得て、久しく訪れない安らかな眠りについている。
しかし、闇は全てを癒やすばかりではなかった。
オルターナ領を見下ろす小高い丘の上で、一人の男が暗がりに溶け込むように立っていた。ラントフ男爵の密偵――シルエットは、以前ミレーヌたちを監視していた者と同じだ。彼は、遠方に見えるオルターナ邸の灯りと、ほのかに蒼く光る魔導キノコの畑を、双眼鏡でのぞき込み、苛立ったように舌打ちをした。
“ちっ……あの小娘め……思ったよりタフだぜ”
彼は小さな手帳に走り書きをする。
“借金取りを……法の力で追い返した……?どうやら、あの老いぼれ執事がただ者じゃないらしい。そして……領民どもが完全に結束しやがった。もはや、力ずくでの制圧は……流血を伴い、男爵様の評判を傷つけるリスクが高い……”
男は顎に手をやり、考え込む。単なる没落領地の片付け仕事と思っていたのに、予想外の障害が立ちはだかった。
その時、不気味な紫色の光を発する小さな水晶玉が、彼の怀中で微かに震えた。男はそれを取り出すと、魔力を込めて囁く。
“……どうやら、『力ずく』は難しそうだ。あの奇妙なキノコと農法が、奴らの結束の核となっている。……あれを何とかせねば……”
水晶玉から、歪んだ声がかすかに返ってくる。
《ふむ……報告、了解した……。ならば……方針を転換する……》
《力で奪えぬなら……根元から断て……》
男の口元に、卑劣な笑みが浮かぶ。
“つまり……?”
《あの……魔導キノコの原菌そのものを……壊滅せよ……》
《無論、表立って動ける者ではない……。我々《瘴煙の呪い師団》の出番と……なるか……》
“瘴煙の呪い師団……!”男の声に、畏敬と恐怖の色が混ざる。“ですが……あの連中を動かすとなると、代償も……”
《……心配無用……。ラントフ男爵の……将来性への……投資……だ……》
《お前は……引き続き……監視を……続けよ……。我々の……工作が……始まる……まで……》
通信が切れる。男は冷や汗を拭い、再び双眼鏡を覗く。オルターナ邸の灯りは、もはや希望の象徴ではなく、標的のように冷たく感じられた。
“泣きっ面に蜂だな、お嬢様……”男は嗤う。“男爵様の私兵より……はるかに……質の悪い敵を、招き入れてしまったようだな……”
その一方で、オルターナ邸書斎では、ミレーヌとゴドウィンが今後の計画を練っていた。彼らは、ラントフ男爵の次の動きが「武力」であるという前提で話し合っている。
“防衛柵の強化と、魔導キノコを用いた魔除け結界の拡大が最優先です”ゴドウィンが地図に線を引く。“そして、ルフィン殿が戻るまでに、次の収穫量を倍増させなければ”
“ええ……でも、何だか……少し、静かすぎませんか?”ミレーヌは不気味なほどの静け気に、かすかな不安を覚えていた。“ラントフ男爵があんなに恥をかかされて、何もしてこないというのは……”
“……おっしゃる通りです”ゴドウィンも眉をひそめる。“何か……別の策を講じているのでしょう。油断は禁物です”
彼らは知る由もなかった。次の脅威が、騎士団の槍や剣ではなく、目に見えぬ毒と卑劣な魔術という形で、すでに領地に向けて動き出していることを。
平穏の裏で、闇は確かに動き始めていた。
それは剣ではなく、毒と呪いによる見えぬ戦い。
ミレーヌたちの希望の光は、果たして守りの灯か、それとも災いの火種か――。




