第21話: 『新たな旅路 - 王都への野心』
借金返済の勝利から数日――オルターナ領に、再び静かな夜が訪れます。
ですが、ミレーヌはまだ机に向かい、新たな戦略を練っていました。
次なる舞台は、王都アヴァロン。
行商人ルフィンが語る「商会」との提携は、彼女の運命を大きく変えることになります。
小さな領地から、王国の中心へ――ミレーヌの挑戦が始まります。
三度目の祝宴の熱気と興奮が冷め、オルターナ領は静かな夜の帳に包まれていた。領民たちは、達成感と疲労からか、深く安らかな眠りについている。しかし、ミレーヌの書斎の灯りだけは、まだ静かにともっていた。
彼女の前に座るのは、行商人ルフィンだった。彼の飄々とした笑みは消え、真剣な商談の顔つきに変わっている。テーブルの上には、ルフィンが支払った金貨の残りと、今後の計画が記されたメモが広げられていた。
“……というわけで、ミレーヌ様”
ルフィンは計算機(魔術的な光る盤)を叩きながら言った。
“今回の利益は、見事に借金の第一期返済分を賄いました。……ですが、領地の運営や防衛のための資金を考えると、これではまだまだ火の車ですな。せいぜい、数ヶ月の猶予ができた程度でしょう”
ミレーヌは深く頷いた。祝宴の熱狂が嘘のように消え、冷徹な現実が戻ってきた。
“ええ……わかっています。ラントフ男爵が次の手を打ってくるまでに、もっと強固な基盤を作らなければ……”
“そのためには、量と持続性、そして何より高値で売れるルートの確保が必須です”ルフィンは指を立てた。“そして、それを可能にする場所は……ここではありません”
彼は地図を広げ、一点を指さした。王国の中心部に輝く、巨大な都市の印――王都アヴァロン。
“ここです。ここには、美食を追求する貴族、魔力に貪欲な魔術師、そして世界中から珍品を求める大商人がうようよしています。彼らなら、あなたの魔力を帯びた特産品に、喜んで我々の提示する値段――今日ヴァルゴが提示した額のさらにその倍以上を払うでしょう”
王都。その言葉は、ミレーヌの胸を高鳴らせたと同時に、巨大な壁のようにも感じられた。それは、ラントフ男爵の支配する辺境とは次元の違う、未知で危険に満ちた世界だった。
“ですが……王都は……”ミレーヌはためらった。“ラントフ男爵の本拠地よりも、もっと……複雑で、危険な場所だと聞いています。私たちのような者が、簡単に販路を開拓できるものなのでしょうか?”
その時、これまで静かに聞いていたゴドウィンが口を開いた。
“ルフィン殿の言う通りです。しかし、ミレーヌ様の懸念ももっともです。王都は、辺境の領主如きが簡単に渡り歩ける場所ではありません。魔物の巣窟……つまり、権謀術数が渦巻く、言葉通りの魔都です”
ゴドウィンはルフィンを一瞥した。
“ルフィン殿。あなたはフリーランスとおっしゃるが……王都であの品質の作物を売りさばくには、それなりのコネクションと保証が必要なはずです。あなたの本当の目的と、リスクを、明かしてはいただけませんかな?”
ルフィンは、ゴドウィンの鋭い眼光に少し驚いたように眉を上げたが、すぐに含み笑いを浮かべた。
“さすがは老獪な執事さんだ。見抜かれたか。……ええ、その通りです。僕一人の力では、王都の大物たちを相手にするのは荷が重い”
彼は懐から、一つの銀の認印を取り出した。そこには、葡萄と天秤の精巧な紋章が刻まれている。
“実を言うとね、僕は『翡翠の葡萄商会』の独立代理人なんだ。小さくても由緒ある商会でな、王都にそれなりのコネがある。僕の役目は、こうした辺境で将来性のある宝物を発掘し、商会の力で大きく育てることだ”
ミレーヌは息を呑んだ。ルフィンは単なる行商人ではなかった。
“では……あなたは……”
“ええ、ミレーヌ様の魔導農法と、その産物は、まさに僕が探し求めた『宝物』です”ルフィンの目が熱を帯びた。“商会を説得し、あなたの産物を王都への正式な販路に乗せたい。もちろん、リスクはあります。商会の競合他社の妨害、ラントフ男爵の派閥の嫌がらせ……失敗すれば、僕もあなたも、大きな損害を被るでしょう”
彼は真剣な眼差しでミレーヌを見つめた。
“ですが……ここでじっとしていても、いずれラントフ男爵に飲み込まれるだけです。だったら……大きく賭けてみる価値は、十二分にあると、僕は思います。どうですか……?私と……『翡翠の葡萄商会』と、パートナーになってみませんか?”
ミレーヌはルフィンを見つめ、そしてゴドウィンを見た。老執事は微かにうなずき、彼女の判断を促している。
彼女は窓の外を見た。暗闇の中、ほのかに蒼く光る魔導キノコの畑が見える。そして、その周りで眠る領民たちの家々が見える。
(……守りたい……)
(この光を……この人々を……)
彼女は深く息を吸い、顔を上げた。その碧い瞳には、迷いの色はなかった。
“……わかりました。ルフィンさん。お言葉に甘えましょう”
彼女の声は静かだが、確信に満ちていた。
“領地の防衛と生産の拡大は、私たちで進めます。……王都への販路開拓……その大きな賭けの方は、あなたと『翡翠の葡萄商会』に……お願いします”
ルフィンの顔に、満面の笑みが広がった。
“よし!決まりだ! これで、君は僕の正式なパートナーさ!”
彼はミレーヌの手を握り振ると、さっさと荷物をまとめ始めた。
“では、すぐに王都へ向かうとしよう。商会の親父を説得せねば。次に僕が来る時は、契約書と、最初の大口注文を持ってくるよ!”
ルフィンは颯爽と邸を後にする。彼の背中は、新たな冒険への期待に満ちていた。
ミレーヌとゴドウィンは、静かな書斎に残された。
“……ついに、ここまで来ましたな”ゴドウィンが呟く。
“ええ……”ミレーヌは頷いた。“でも、これで終わりじゃない。むしろ……本当の意味での戦いの始まりですよね”
“然り。王都は甘くありません。しかし……ミレーヌ様”
“はい?”
“貴女はもう、一人ではありません。領民がいます。ルフィン殿のような味方もできました。そして……私がおります”
ミレーヌは、はっとしたようにゴドウィンを見つめ、そして温かな笑みを浮かべた。
“……ええ。そうですね”
彼女は再び窓の外の暗い領地を見つめた。しかし今、その暗闇は、未知の可能性に満ちた広大なキャンバスのように感じられた。
(王都……か)
(杉本大輔の知識と、ミレーヌ・オルターナの立場と、仲間たちの力を合わせて……どこまでいけるだろう?)
彼女の胸には、恐怖よりも、挑戦への興奮がわき上がっていた。静かな夜明け前の闇が、新しい一日の始まりを告げようとしているように。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
今回の話では、ついにミレーヌが「外の世界」に目を向けました。
ルフィンの言葉が、物語を新しい段階へと押し出してくれたように感じます。
そして恒例の豆知識コーナー。
今日のテーマは**「山椒」**。
実は山椒って、ミカンの仲間なんです。
刺激的な香りとしびれる辛味の裏には、柑橘の血筋がちゃんと流れているんですね。
小さな粒でも、料理の味を一変させる――
まるで、ルフィンみたいな存在かもしれません。
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次回、ミレーヌの「王都への賭け」が本格的に動き出します。お楽しみに。




